東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

最新情報

2019/03/20

聖書の読み方


 神のことば、人生の手引書、世界のベストセラーである聖書を読んでみましょう!

とは言っても、初めての人は、どこからどう読んでいいかも分からないものですよね。そこで、少し読み方をお伝えしようと思います。

1. 祈って読んでみましょう。

聖書は、神の霊的な息吹によって記された霊的な書ですから、神の助けなしに人の知識や教養だけで読んでも真理を得られるものではありません。

信じている方はもちろん、信じていない方も一言でいいので「神様、あなたの真理を教えてください」とまず祈ってから読んでみてください。

これまでとは違った発見、まさに「目からウロコ」と思える体験をすることと思います。
※「目からウロコが落ちる」ということわざは、聖書に由来しています(TV番組 『トリビアの泉』でも紹介されていました。参考:使徒9章18節)。


2. どの書から読んだらいいのか?

聖書はとても分厚い書と思われがちですが、ジャンルの異なる小さな本の集まりとも言うことができます。旧約39巻、新約27巻、合計66巻からなります。3×9(さんく)=27 と覚えると楽です。

その中でどこから読むかは、個人の自由で良いと思うのですが、一応お勧めを書いてみます。

◆ キリストの生涯を学んでみたい
 ⇒そういう方は、新約聖書の福音書から読んでみましょう。どの福音書でもいいです。

◆ 天地創造のこと、人の起源を知りたい
 ⇒旧約聖書の最初の書である「創世記」を読んでみてください。割と読みやすいと思います。

◆ 全部を通して読みたい
 ⇒創世記から黙示録まで、順に読んでいくと良いと思います。おおむね時系列になっています。流れをつかむのに良いと思います。なお、1日に4章読むと1年以内に全部読むことができます。

◆ 格言や詩を味わいたい
 ⇒箴言(しんげん)は、格言集で日々の生活に役立つ知恵が満ちています。31章ありますので、毎日1章ずつ読むとちょうど1か月ぐらいです。詩篇は美しい詩、賛美、感謝、また苦悩の告白など、人の心の叫びがあります。励まされることでしょう。


3. 心に留まったことばを繰り返し味わおう

イギリスのロイド・ジョーンズという人が、この読み方を提唱してくれていました。読んだ時にわからないところも多くありますが、ずっと読んでいるうちにちょっと気にかかった部分、心に留まる部分というのがあると思います。

そういう場合に、一旦立ち止まって、じっくりとそのか所やその前後を読んで味わってみてください。心に思いめぐらしながら味わうと良いでしょう。

ただ読むだけで終わらず、そのことばを信じて心に握りしめてみてください。


2019/03/17

すべてを神の栄光のために

こういうわけで、あなたがたは、食べるにも飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい。 (Ⅰコリ10:31)  

 キリストを信じる者には自由があります。聖書の教えは人を束縛するものではなく、人を罪とサタンの支配から自由にし、正しい良いと思えることのために自分をささげることができるようにするものなのです。「真理はあなたがたを自由にします」とキリストが言われたように、真理を知ると自分がどういう支配の中にいたかがわかり、何が自由で何が不自由なのかも知る者とされます。そして自由を有意義に用いて、自身もイキイキとしていける道とは、神の栄光と他の人の益を求めて生きることですです。自分のために使う自由は思ったほど豊かではありません。かえってむなしさが残るものです。子どもたちが自分に与えられたお小遣いの多くを、意外にも家族や友人のために使っている姿を見て微笑ましく思います。そして教会にいる時だけが恵みの時でもありません。聖俗分離ではなく、私たちが遣わされているところすべてが、神の働かれる場となることを覚え、みことばを握りしめて毎日を歩みたいものです。神はあなたのいるところどこにでもおられ、あなたを通してその場を祝福したいと願っておられるのです。

(2019年3月17日 週報掲載)

2019/03/10

神の御前に、私は何者か

このように自ら進んで献げる力を持っているとしても、私は何者なのでしょう、私の民は何者なのでしょう。すべてはあなたから出たのであり、私たちは御手から出たものをあなたに献げたにすぎません。(Ⅰ歴代誌29:14)  

 多くの奉仕をなしたり、多くの犠牲的なささげものをしたりするときに、私たちはしばしば高慢のワナにかかることがあります。「自分はこんなにやっている」という感覚は、次のような思いへと発展しやすいのです。ある人は、こんなにやっている自分は非常に立派であると考え、神への感謝、人々への感謝を見失います。ある人は、こんなにやっているのに十分な評価がないと考え、不平不満を募らせます。しかし、ダビデ王のこの祈りは、神の前に自分が何者であるかを問われるものです。彼の祈りに教えられることは、献げることができた自分を誇るのではなく、献げられるように与えてくださった神に感謝し、神を賛美するすばらしさです。人がほめてくださる時に、建前ではなく心から「いいえ、私ではなく主がしてくださったことです」と告白できる者とされたいのです。何かが思った以上にできた時にも「主にある兄弟姉妹の祈りのおかげ、祈りを聞かれた主のみわざです」と実感を込めて言える者となりたいのです。

(2019年3月10日 週報掲載)

2019/03/03

自ら進んで、全き心をもって

民は、長たちが自ら進んで献げたことを喜んだ。彼らが全き心をもって、自ら進んで主に献げたからである。ダビデ王も大いに喜んだ。 (Ⅰ歴代誌29:9)  

 喜びにあふれているイスラエルの民の姿がここにあります。それは祈り求めていたものが与えられた喜びではありません。病がいやされた喜びや何かを完成させた喜びでもありません。それは「献げる」喜びでした。喜びの理由は何でしょうか。第一に、主のために、主の宮のために「献げられた」という喜びです。むなしく消え去るもののためでなく、永遠の神の栄光のために財を献げた喜びです。第二に、嫌々ではなく「自分から進んで」、しかも心からの平安のうちに「全き心をもって」献げられた喜びです。強いられてではなく、騙されてでもなく、虚栄心からでもなく、ただ主のために自分の意志で進んで献げたゆえに喜びがあふれているのです。心を献げた喜びです。第三に、個人的な喜びではなく、他の人々が主を信頼して喜んで献げているのを見て喜んだというともに献げた喜びです。共同体としての喜びであり、一人二人では不可能なことでも、主に導かれともに献げ合っていくとき豊かにされます。新会堂建設の中で私たちは今、現にその喜びをともに味わっているのです。

(2019年3月3日 週報掲載)

2019/02/24

多様性を喜び、協力してともに成長する

 キリストによって、からだ全体は、あらゆる節々を支えとして組み合わされ、つなぎ合わされ、それぞれの部分がその分に応じて働くことにより成長して、愛のうちに建てられることになります。
 (エペソ4:16)  

 人は自分と異質な存在を受け入れることが難しく、しばしば正反対の人とは対立したり、排除したりしがちです。しかし、神は人をそのような多様性のある存在として造られたのです。人間のからだも異なる多様な器官の協力、連携で成り立っています。ボールひとつ投げる動作でさえ、体のあらゆる部位が一連の動作に協力し、同じ目的に向かって動き、その時にまっすぐに質の高いボールを投げることができます。キリストの教会は異なる賜物を与えられた者たちの個性豊かな集まりです。違うことを嘆いたり、否定したりするのではなく、その多様性こそが神が備えられた豊かさであることをともに喜び、感謝しましょう。そして、それぞれが他人任せではなく、自分に与えられた使命に忠実に歩む時に、成長して愛のうちに建てられるのがキリストのからだなのです。多様性を楽しみ、異なるからこそ助け合える関係を感謝し、愛のうちに協力していくこと。そうして、キリストの教会が建て上がっていくことが神のみこころなのです。

(2019年2月24日 週報掲載)

教会へのメールはこちらから

名前

メール *

メッセージ *