東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

最新情報

2019/04/28

我に返り、父のもとへ


しかし、彼は我に返って言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が、なんと大勢いることか。それなのに、私はここで飢え死にしようとしている。(ルカ15:17 

 私たちはみな、「神の目に」ではなく、自分の目に良いと思えることを大事にして生きています。しかし、実に盲目で、こうすれば幸せになれると考えるその価値観自体が歪んでいて、不完全であることになかなか気づけません。キリストのたとえ話「放蕩息子」では、弟息子は父から譲り受けた財産を持って、父から遠く離れた異国の地に行き欲のままに生きていました。ところが、散財した後訪れた大飢饉で窮乏して、豚の世話係でなんとか食いつなごうとします。豚のエサでお腹を満たしたいと願う自分、そしてそれさえも許可されないほど身を貶めてしまった自分の姿にようやく向き合うようになります。「我に返った」とは、本来の自分自身に返っていくこと。それは、客観的な自分の姿に気づき、正気に戻った時になんとみすぼらしい悲惨な自分であるかに気づくことです。そこから彼の父の愛への回帰が始まっていくのです。神を離れては、人はどんなに自分の目に良いと願うことをしても幸せにはなれません。父なる神に立ち返り、その恵みの中で輝きましょう!
(2019年4月28日 週報掲載)

2019/04/24

多目的ルームの卓球台、バスケットゴール♪

 
 家庭用サイズではなく、ちゃんと世界規格です!



エレベーター

 
会堂内のエレベーターです。
3人まで(200キロ制限)同時に乗れます。
車椅子と介助者というかたちで利用できます。
 
 
木目の雰囲気が落ち着きをもたらしていて、良い雰囲気です。


2019/04/23

心のケアと人間関係 ~悲しみに、こんにちは~


 多くの人が「悲しみ」というものを良くないもの、早く退けたいものとして考えますから、悲しみに「さようなら」と言いたいのです。クリスチャンもしばしば、誤解しています。強い信仰さえ持っていれば悲しまなくて済む。あるいは、信仰がしっかりしていれば傷つけられることばを言われても傷つかない・・・などと考えがちです。
 

2019/04/22

イースター礼拝の感謝

4/21(日)は、イースター特別礼拝でした。

トリオルーチェ(ヴァイオリン、フルート、ピアノ)の皆さんは、本当に美しい心のこもった演奏をしてくださり、神の栄光が音を通して現れる思いでした。尊いご奉仕に感謝!!

 
イースター礼拝のために特別に用意されたお花と礼拝堂の十字架。
 
お花屋さんが、背景が白であることを配慮して花を選んでくれました。
しかも、少しサービスでお花を加えてくださって、上品な優しい雰囲気が出ていました。
 
 
多くの方が礼拝に来られ、キリストの復活の喜び、死への勝利の恵みを
ともに味わうことができました。

子どもたちも、中高生、青年たちも、
大人のひとりひとり、年配の方も一緒に神様を賛美できました。


※同じテーマ「日々の恵み」のメッセージはコチラから読めます。

キリストとともに、新しいいのちに


キリストはすべての人のために死なれました。それは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためです。(Ⅱコリ5:15 

 イェス・キリストの十字架の死は、すべての罪人のための死でありました。信じる者に永遠のいのちを与えるために、ご自分が罪のさばきを身代わりに受けるために死なれたのです。キリストに感謝し、キリストを愛する者たちのためにならば、まだ「死に甲斐」もあるでしょう。心から感謝してくれる者のためならば納得もいくでしょう。しかし、感謝もせず、何度も罪を繰り返し、自分勝手に生きる罪深い者のために、キリストは喜んでご自身のいのちを差し出されたのです。そして、キリストは死後3日目に死人のうちよりよみがえり、罪のさばきが完了したことを示されました。罪の結果である死を滅ぼされたのです。そこに永遠のいのちが現わされ、キリストが「ただの人」ではなく、「信じる者を救う生ける神」であることを公に示されたのです。それはもはや、信じる者たちも自分の力で自分のために生きるのでなく、よみがえられた方とともに生きるためです。キリストの復活のいのちに歩み、新しいいのちに満ちた人生へと歩き始めるためなのです。
(2019年4月21日 週報掲載)

2019/04/21

どなたでもいらしてください!


新会堂での礼拝が始まりました!(2019年4月7日開始)


初めての方、心から歓迎いたします!どなたでもいらしてください!

新会堂のイメージは緑の牧場です。

主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させいこいのみぎわに伴われます。(詩篇23:1-2)





 
 
 2F 礼拝堂です



 
正面から 夕方から十字架がライトアップされます↓
 
 
 

【 1F 多目的ホール 】 

 
【 1F 入口付近のラウンジ 】
 
 
 
わたし(キリスト)は門です。だれでも、わたしを通って入るなら救われます。また出たり入ったりして、牧草を見つけます。(ヨハネ10:9)
わたし(キリスト)が来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです。(ヨハネ10:10)

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