東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: ヘブル4章12-13節「神のことばは生きている!」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2025/06/16

ヘブル4章12-13節「神のことばは生きている!」

 *** 6/15(日)主日礼拝 説教概略 ***

 「吾輩の辞書に不可能はない」という言葉で有名なナポレオンは、晩年になって聖書やキリスト教について、より深い見方をするようになったと伝えられています。彼は流刑地のセント・ヘレナ島でこう言ったそうです。

「聖書は単なる書物ではない。それは生き物であり、抗う者すべてを治める力を持つ」と。

 それだけではなく、彼はこうも言ったようです。



「アレキサンダー大王、カエサル、カール大帝、そしてこの私も帝国を築いた。しかし、我々は『力』で帝国を築いたが、イエス・キリストは愛で帝国を築いた。そして今、幾百万もの人々が彼のために命を捨てるであろう。」

 人間の力で築かれたものは、ついえ去りました。しかし、みことばとキリストの愛によって建てられた神の国は、ますます大きく前進し続けていると彼は言いたかったのでしょう。

 本日のみことばは、まさに、「神のことばは生きていて力がある」と語ります。あのナポレオンでさえ、認めざるを得なかった「神のいのちのみことば」です。それは、世の力や権力とは全く異なる、「愛に根ざした力」、「人を生まれ変わらせるいのちの力」です。私たちは生涯、この素晴らしい聖書を学んでいけるのです。ご一緒にみことばに聴いてまいりましょう。

 

1.神のことばとは  

 34章にかけては、「神の愛のことばを聞いたら、不信仰になって心を閉ざさないで、信じて素直に受け入れなさい」と語られてきました。そして、今日の箇所はその締めくくりとして、その理由を明言しています。それは、神のことばが生きていて、力あるものだからです。

改めて12節を読んでみましょう。

12 神のことばは生きていて、力があり、両刃(もろは)の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いやはかりごとを見分けることができます。 

 原語では「生きている!」とのことばで始まり、とても印象的です。朗読されただけで、元気をもらえそうです。神のみことばは、「生きていて、力がある」。それは、人を内側から造り変える力です!神のみこころにかなう豊かな人に!

「生きている」とは本当に大胆な表現ですよね。ナポレオンがもはや生き物だと感じるほどでした。そして、生きているので力があります。「力」という語は「エネルゲ―ス」で、現代の「エネルギー」に相当することばです。まさに、私たちがイキイキと霊的ないのちに生きて行くために、みことばは溢れるエネルギーを与えてくれるのです! 

 だから、「日々の糧(みことばという霊的なご飯)」とも言われます。しかも、それは美味しい!蜜よりも甘いし、いくら食べても糖尿病にならない!血圧も気にしなくていい!むしろ、食べれば食べるほど健康になる!!

 私たちは毎日、好きな時に、好きだけいただくことができるのです。なんて幸せなのでしょう。人は年を取れば衰えます。細胞も毎日たくさん死滅しています。ですから、私たちはむしろ年を取るほどに、みことばのいのちの力を毎日いただいて、イキイキと生かされて行きたいのです。

 教会に通っているご年配の方、みことばを学び続けている方は元気です!目に力があります。魅力があります。神のことばは永遠にいのちも力も失わないからです。イザヤ書40:8にこうありますね。「草はしおれ、花は散る。しかし、私たちの神のことばは永遠に立つ」年をとっても、内側から新しくされ続けるのがクリスチャンの魅力です。それは御霊とみことばによるのです。 

 では、具体的に、どのようにみことばが私たちのうちで働くのでしょうか。

 

2.内側から活性化させるみことば  

 その具体的な説明として、「両刃(もろは)の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いやはかりごとを見分けることができます」と語られています。

 両刃(もろは)の剣よりも切れ味が鋭いとあります。日本刀は片方にしか刃がなく、もう片方は「みね」と言って切れませんね。時代劇では「切られた~」と思った人に、「安心せい!みね打ちじゃ!」と言われ、「あ、生きてる!」なんてシーンがあるわけです。

 しかし、「両刃(もろは)」は、両側が刃になっている剣です。どちらからでもスパッと切れる。つまりそれは、神のみことばが切れ味抜群であるということです。しかもそれは、普通の剣では切れないものを切ることができる!私たちの心、たましい、骨の髄まで!私たちがどのような動機で、どんな思いで歩んでいるのか。浅いところも深いところも、硬いところにも鋭く切り込めるのです

 さらに、ここでは「たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き」とあります。みことばの剣は切るだけでなく、刺し貫く力を持ちます。最近の若い人たちは、「この音楽、刺さったわ~」なんてよく使うようです。良かったぁ、感動した!という意味です。しかし、「刺し貫く」とあるように、このことばは貫通するほど深く刺さるとの意味があります。それは薄っぺらい感動ではなく、上辺の悔い改めでもない。そういう軽いものではないのです。たましいの深みまで貫きます。しかも深いところで感動し、「アーメン」と納得できる真理です。

 こうして、みことばは「深化する」ことがとても大切です。そして、神様との交わりが親密になるほど、みことばも深~~~くまで刺ささるようになる。成長したクリスチャンほど、深く豊かにみことばが入っていき、取り扱われ、ますます恵みを知って豊かにされる。だから、みことばは、噛めば噛むほど味わい深くなる。美味しくなる。


 ただし、ここで一つの問題があります。「食わず嫌い」という問題です。「刺さる」というのは痛み、苦みが伴います。その分、拒絶してしまいがちです。それは、私自身振り返って思うのですが、自分の傷となっている部分に刺さると非常に染みるからです。それで、つい深く味わうことをせずにブロックしてしまいます。

 しかし実は、一番良くないのが、痛みも苦しみも通らない心です。何も変化が起こらないのです。筋肉痛なしに筋肉がつかないように、痛みや苦みを通らないと成長がありません。心が固いままで生き、渇いていってしまいます。それは、時間とともにますます硬くなります。ですから、硬くなって、ほぐせなくなる前に、心を開いて主の御声を慕い求めていきたいのです。

 そのために助けになるのは、神様のみことばは、時に苦みや痛みを通るけれども、その奥にこそ蜜よりも甘いうまみ成分があるということです。なぜなら、みことばは、神様の完全な愛に根ざしているからです。私たちが傷ついたのは、愛や真実から出たものによってではなく、罪と偽りから出たものを受けたからなのです

 ですから、その傷の癒しのためには、愛と真実に満ちたことばが必要です。神様のおことばが愛と真実に満ちたものと信じて受け入れることです。これによって、深いところから本当の癒しと変革が始まっていくからです。

 あるキャンプでご奉仕させていただいた際、ご要望があったのと、私も大切なことだと思い、ある回では罪の問題を深く語らせていただきました。祈りと配慮をもってですが・・・。自分自身もチャレンジでした。結果、一番反応が良かったのがこの説教でした。個人的には驚きでした。ある人は、「自分はそこそこ良い人を演じて来たけれど、本当はそうではないことが分かっていました。分かっていたけれど、見て見ぬふりをしてきました。でも、今日、それをはっきりと示されたので、すごく大きな人生の変革の時になりました。」と話してくださいました。涙ながらでしたが、不思議とすがすがしい表情でした。胸につかえていた物が取れたように。主のおことばが愛と真実に満ちているゆえに、深いところから取り扱い、癒し、慰め、立ち上がらせてくれたのです。

 

3.応答として  

 さて、12節の最後に、「心の思いやはかりごと」とあります。それらは人間の中で起こるあらゆる心の動きです。私たちのうちにある、すべての感情、あらゆる意志、様々な考え。これらすべてについて、みことばが切り込んでいきます。

 そして、それらが良いものか、悪いものか、必要なものか、不要なものなのかを判別し、見分け、気づかせてくれるのです。何よりも、13節にあるように、神様の目はすべてが丸裸です。心の隅々までご覧になっています。それゆえに、心やたましいに潜む悪いものすべてを、明確に見抜き、切り離し、私たちを健全にしてくれるのです。神様が私たちのたましいにメスを入れて、私たちの重荷となっている霊的な病巣を取り除いてくださるのです。いや、それ以上に私たちの心とたましいを取り扱い、いのちを与えて活性化させ、内側からイキイキとみこころに生きる者へと変えてくださるのです。

私たちはまだまだ、みことばに生きていない。そうは思いませんか。やはり、自分の思いが優先されていないでしょうか。自分の経験や考えが優先されていないでしょうか。私たち福音自由教会は「聖書信仰」を大事にしてきました。聖書を熱心に学び、みことばに生きる群れなのです。

ですから、「聖書のどこにその根拠がありますか?どこに書いてありますか?」とのことばが合言葉だったのです。人の思いや経験、考えは、環境や状況次第で変わりますよね。様々なものに影響され、流されます。なぜ、変わるのでしょう。なぜ、流されるのでしょう。なぜ、反対意見がちょっと出たら引き下がるのでしょう。みことばという根っこがないからです。

自分の思いや考えは罪の影響も受けてしまいます。しかし、主のみことばは罪の影響を受けません。そして、変わりません。神の愛と真実がそこに絶えずあります。ですから、みことばによって心や考えを探っていただきながら決断するのです。状況が変わっても、苦しくなっても、多くの反対を受けても、「主のことばが私に語られた」という確信が、揺るぎない力を与え続けてくれるのです。

 

 ご一緒に教えられて参りました。

神様のみことばは、「愛に根ざした力、人を生まれ変わらせるいのちの力」です。

主は、あなたに語っておられます。

「わたしはあなたを愛している。あなたが大切で可愛くて仕方がない。だから、このいのちのことばをあなたに与える。力あることばをあなたに語る。だから、このいのちのことば、力あることばを受け取りなさい。そうすれば、あなたは深いところから豊かにされる。あなたは、年を取ろうとも、いつまでもイキイキと輝き、喜び躍りながら生涯を歩むことになる!」

引用元聖書
聖書 新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会

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