2026/08/14
詩篇11篇1-7節「主こそ、私たちの避け所」
*** 8/12(水)祈祷会 説教概略 ***
詩篇11篇は、危機の中で「どこに身を避けるのか」を問う詩篇です。ダビデは命を狙われていました。ですから周囲の人々は、「鳥のように山へ逃げたらどうか」と勧めたのです。それは、人間的に考えれば当然の助言にも思えます。
しかしダビデは、私は「主に身を避ける」と答えました。
2026/07/29
2026/07/22
詩篇10篇1-11節「神の真実に目を留める」
*** 7/22(水)祈祷会 説教概略 ***
私たちには、神様が沈黙しておられるように思える時があります。詩篇10篇の前半は、そのような人間の思いや叫びを現わしています。その意味で詩人は私たちの思いを代弁していると思えるのです。しかし同時に、後半の12節以降になると、神様はしっかりと苦しむ者たちを見て下さっていたのだと変化していきます。実は、目に見える現実や、そこで私たちが抱く感情が、必ずしも真実とは限りません(ここが重要なポイントです)。
2026/07/15
詩篇9篇13-20節「人間が勝ち誇らないように」
*** 7/15(水)祈祷会 説教概略 ***
現代社会の様々な分野の発展、進歩は目覚ましいものがあります。AIの技術は凄まじい速度で発展していますね。医療も日進月歩です。軍事力においては「恐ろしい」の一言です。大国が本気で戦争をしたら、世界が滅ぶでしょう。しかし、私たちはそれでも「人間である」ことを忘れてはいけません。
2026/07/01
詩篇8篇1-9節「人とは何者でしょう」
*** 7/1(水)祈祷会 説教概略 ***
「私は何者なのか」、そして「私を造り、救ってくださった神とはどういうお方なのか」。これは人生のテーマではないでしょうか。そして、イエス様によって救われたあなたは、自分を何者だと表現するでしょうか。
2026/06/24
詩篇7篇1-17節「神は正しい審判者」
*** 6/24(水)祈祷会 説教概略 ***
表題に「シガヨンの歌」とあります。おそらく「哀しみの歌(哀歌)」のことだと考えられています。表題の続きに、ダビデによる「ベニヤミン人クシュのことについて主に歌ったもの」とあります。ベニヤミン人クシュとは、サウル王もしくは、サウルの家臣等ではないかと考えられます。
2026/06/11
詩篇6篇1-10節「不信仰の中の信仰」
*** 6/10(水)祈祷会 説教概略 ***
私たちには弱さがあり、しばしば神様を信頼しきれず、疑いを抱くこともあります。しかし、そのような不信仰に陥る弱さの中でさえも、主を呼び求める者でありたいのです。そうした信仰の弱い者の叫びや訴えさえ、主には聞こえているのですから。
2026/05/29
詩篇5篇1-12節「望みを抱いて主に身を避けよう」
*** 5/27(水)祈祷会 説教概略 ***
私たちは苦しい時、「誰かに分かってほしい」と願います。しかし現実には、理解されないことも少なくありません。誤解され、傷つけられ、ことばにならない思いを抱えることもあります。
2026/05/14
詩篇4篇1-8節「神のもとにある平安」
*** 5/13(水)祈祷会 説教概略 ***
この世界の多くの人が心満たされ、平安の中に歩むことを願っているでしょう。しかし、それを得る道は多くはありません。実際、どれだけ多くの物を所有し、どれだけの偉業を成し遂げても、心はむなしく空虚であると、何もかも持っていた王ソロモンは言いました。聖書は、神のもとで得られる満たし、平安は、他の物では代えられないと教えるのです。
2026/04/30
詩篇3篇1-8節「安らかな眠りを与えられる主」
*** 4/29(水)祈祷会 説教概略 ***
この詩篇3篇で大事なポイントは5節にあるかと思います。
「私は身を横たえて眠り また目を覚ます。主が私を支えてくださるから」とあります。
私たち人間は眠る存在です。人生の1/3~1/4ぐらいは眠っているわけです。寝ないと生きていけない存在です。しかし、心に安心がなければ途端に眠れなくなったり、眠りが浅くなったりします。そしてまた、人は寝ている時は、ほとんど無防備な状態です。仕事もできないし、遊ぶことも出来ません。何も出来ないのです。
2026/04/24
詩篇2篇1-12節「まことの王にひれ伏そう」
*** 4/22(水)祈祷会 説教概略 ***
私たちは無意識のうちに、「神不在」のままに神の国の働きをしてしまうことがあります。神様のみこころに聞かず、神様のみわざに目を留めず、神様への感謝も失うのです。それはどのようにして・・・でしょうか。
2026/04/15
詩篇1篇1-6節「幸いな人」
*** 4/15(水)祈祷会 説教概略 ***
本日から詩篇を学びます。詩篇は、全部で150篇と長篇ですが、「祈りと賛美の書」として、多くの人に親しまれています。詩篇の多くはダビデ、もしくは彼の後継者らの作品ですが、他の詩人たちの作品もあります。内容は賛美、感謝、嘆き、悔い改めなど、人間の様々な感情を神様に率直に表したものです。
2026/01/04
詩篇34篇1-22節「主を仰ぎ見ると 彼らは輝いた」
*** 1/4(日)新年礼拝 説教概略 ***
昨年から「サンライズ・イキイキプロジェクト」を掲げています。私たち皆がイキイキすることをともに目指します。ただ、私たち自身は太陽ではありません。太陽の光に照らされて輝く月です。ですから、義の太陽なる主から隠れないことが大切です。
2025/12/29
年末感謝礼拝 詩篇30篇「夕暮れの涙から朝明けの喜びへ」
*** 12/28(日)年末感謝礼拝 説教概略 ***
12月はクリスマスシーズンでもありますが、日本では「忘年会」シーズンでもあります。「忘年会」は、「皆で集まって飲食をし、一年の苦しみやマイナスな出来事などを忘れようとする会」です。何とか苦い思い出を忘れ、前向きに新しい一年を向かえたいという願望でしょう。ただ、私の経験上、深く傷ついた出来事ほど、蓋をして忘れることは難しいなと感じるのです。傷があるのに無かった事にすることは難しい。
2025/02/07
詩篇27篇4節「ただ一つの願い」
*** 2/5(水)祈祷会 説教概略 ***
協議会総会のために、この者の奉仕のためにお祈りくださり、ありがとうございました。主の御手に導かれ守られ、平安のうちに総会を終えることができました。今日は、その中で語られ教えられたことをお分かちしたいと思います。
2023/03/21
詩篇119篇105-112節「みことばに親しみ、みことばに生きる(2)」
*** 3/19(日)主日礼拝 説教概略 ***
詩篇119篇105-112節「みことばに親しみ、みことばに生きる(2)」
2週前のメッセージで、同じく詩篇119篇のこの直前の個所から語られました。おもに「みことばに親しむ」ということが中心テーマでしたね。神様のみおしえを愛し、いつも自分の心に思いめぐらして、自分の思いになるかのようにするということでした。
今日は、このタイトルの後半の方によりフォーカスします。それは、「みことばに生きる」ということです。みことばに親しんでみことばが自分の心に蓄えられるだけで終わるのでありません。与えられた主のみことばによって生きていくのです。
2023/03/08
詩篇119篇97-104節「みことばに親しみ、みことばに生きる(1)」
*** 3/5(日)主日礼拝 説教概略 ***
詩篇119篇97-104節「みことばに親しみ、みことばに生きる(1)」
早いもので3月となりました。今年度最後の月です。今年度、私たちの教会では、「受ける者から、与える者へ」というテーマで取り組んできました。
第二コリントの9章7節「一人ひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は、喜んで与える人を愛してくださるのです。」
このみことばを年間聖句として歩みました。皆さんご自身、今年度4-3月を振り返っていただく時、このみことばにどのように向き合い、取り組んで来られたでしょうか。「受ける者から与える者へ」いくらでも踏み出せたでしょうか。
2021/12/27
詩篇103篇1-12節「主は良いお方」
*** 12/26(日)年末感謝礼拝 説教概略 ***
詩篇103篇1-12節「主は良いお方」
クリスマス・・・たくさんの集いがありました。様々な制限がある中でしたが、知恵をもって工夫をし、多くの祈りの支援を感じながら、協力して主にある働きができました。本当に感謝です。
特に普段来られていない方々をお招きする集会、これまでに6つほどありました。CS(子どもクリスマス)、JYLC(中高生クリスマス)、女性クリスマス、クリスマス特別礼拝、青年クリスマス、また教会開放日クリスマス。今日の午後も入れると7つですね。
そこには尊い準備があり、様々な労苦があったことと思います。お疲れ様でした。
このような忙しいクリスマス、一人ぼっちで頑張るならばクルシミマス。でも兄弟姉妹で協力して労するならば、神のみわざにビックリス(シ)マス。そして主にあって大いにヨロコビマス! 一年の締めくくりのジョークにしてはお粗末でした。
2021/09/21
詩篇71篇 「神の義の現われとしての救い」
*** 9/19(日)主日礼拝 説教概略 ***
詩篇71篇 「神の義の現われとしての救い」
立川福音自由教会牧師 高橋秀典師
「心が傷つく」とは自分が無価値な者と見られること、つまり「恥」の意識から生まれます。ただ、ときにそれはキリストにあるアイデンティティーが確立していない結果と見られ、信仰の未熟さの現われとして「傷ついてしまう」と評価されることがあります。しかし、それこそ人の感性に対する暴力かもしれません。
少なくともダビデは誰よりも傷つきやすい心を持っていたことが彼の詩篇から読み取ることができます。そしてイエス・キリストはダビデの詩篇を愛読していました。それは人となられたキリストご自身も繊細な傷つきやすい心を持っていたからとも言えるかもしれません。
2021/06/14
ホセア書6章6節「神を知る喜び」
*** 6/13(日)主日礼拝 説教概略 ***
昨日、夕方に教会の外に出て祈りながら散歩をしました。そよ風がとても心地良く感じられました。そして、そよ風とともに、風が木々の葉を揺らす音を聞きました。その音もまた心を安らがせてくれました。同時に自分の体にぶつかって来る風の音と、木々の間をすり抜けていく風の音が違うことに心が留まりました。
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