東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel

聖書

すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイの福音書11章28節)

2020/05/27

5/27(水)祈祷会

5/27(水)祈祷会

下記から賛美や聖書メッセージを味わうことができます。
可能な方はご一緒に賛美をささげ、みことばを味わってください。


説教Ⅱコリント 5章1~12「新しい生活(新しい人生)




祈りのうちに、感謝の献金もおささげしましょう。
もちろん強制ではありませんので、主旨のわかる方が心をこめて主におささげましょう。
封筒等に入れて保管し、集まれる機会にご持参ください。
あるいは、献金受付ページをご利用ください。

「あなたの財産でをあがめよ。あなたのすべての収穫の初物で。そうすれば、あなたの倉は豊かさで満たされ、あなたの石がめは新しいぶどう酒であふれる。」(箴言3:9-10)



*** 祈祷課題 ***

1.緊急事態宣言が解除となりました。引き続き、感染者が減少して完全に収束していくようにお祈りください。

2.病のうちにある方、心の弱さを抱えている方、それぞれの健康が癒され守られますように。

3.6月7日から礼拝再開予定(祈祷会は6月10日)です。このまま落ち着いて、礼拝が無事に再開できるように。LIVE配信も同時に行う予定です。知恵や必要が与えられるように。

4.礼拝、祈祷会以外の諸集会について、神様ら良い知恵が与えられ、ふさわしい時にふさわしい方法で対応できますように。


2020/05/25

エゼキエル書18章21-32節「立ち返って、生きよ」

5/24(日) 説教概略 

エゼキエル書18章21-32節「立ち返って、生きよ」


 最近、教会の敷地の雑草が少し気になり始めまして、近いうちに少し抜いておこうかなと思っていたのですが、ふと気づいたら抜かれてキレイになっていました。このような時でありますが、そうしたところに心を割いて、仕えておられる方がいらっしゃるのだなと感謝な思いでおりました。もちろん雑草だけではなくて、お花も咲いていまして、教会の花壇が彩られています。見るたびに嬉しくなります。また教会堂1階の多目的ホールには去年いただいた胡蝶蘭があります。しかし枯れてしまって、今年も咲かせるというのは難しいかな?と思っていたのですが、最近になって蕾が花開きました。そして今は3つ蕾が花を開かせています。いのちの力を感じます。

 これらの草花を咲かせてくださるいのちの主である神様が、今日、私たちにも人間にも「立ち返って、生きよ」と語り掛けてくださっています。ご一緒に神様の語りかけに耳を傾けて参りましょう。

 来聖日は教会歴では「ペンテコステ」と呼ばれる記念の礼拝の時です。ペンテコステとは、キリストの復活から50日目でありまして、その時にすべてのキリストの弟子に聖霊という「キリストの心」「キリストの霊」が与えられた記念です。それもありまして、本日は旧約聖書において、将来のペンテコステについて触れられているみことばからお話させていただきます



1. すべての人をいのちに招かれる神


 今日の31節の「新しい心と新しい霊を得よ」との主のおことばが、新約時代に与えられる聖霊について預言されたもので
 神の霊によって新しくされて生きよ!と主は言われます。

31節  あなたがたが行ったすべての背きを、あなたがたの中から放り出せ。このようにして、新しい心と新しい霊を得よ。イスラエルの家よ、なぜ、あなたがたは死のうとするのか。
32節  わたしは、だれが死ぬのも喜ばない──【神】である主のことば──。だから立ち返って、生きよ。」 

 神様の願いはすべての人が生きること。生きて欲しい。そう願っておられます。

 その「生きよ」という意味は、とりあえず肉体が生きているという程度の意味ではありません。神からの新しい心、新しい霊をいただいて、いのち道を神の国の住人としてイキイキと生きよということです。むなしく滅びて行く人生ではなく、神とともに生きる永遠の人生に生きよと招いておられるということです。

 昔、ある女性の宣教師が分かち合ってくださったことばを思い出します。その方はご自分の昔の姿は、まるで「ゾンビ、Living Dead=生ける屍のようだ」とおっしゃった。とてもインパクトのある表現でした。肉体は動いて生きているけれど、中身は死んでいるというようなことをおっしゃりたかったのだと思います。そこからイエス・キリストと出会い、キリストのいのちに生きる者とされ、心も魂も体も生きる者とされたというお証しだったかと思います。

 神様は、なぜ死のうとするのかとイスラエルの民に向かって語られました。これはもちろん、イスラエルの民が絶望して自死を願ったというようなことではありません。
 神様から離れて自己中心に歩み、滅びへと向かっているということです。
 死に向かっているのに、滅びに向かう道を歩んでいるのに、気づかない。あるいは気づかないフリをしている。そのような民への神様の愛の語りかけであります。私のもとに来て、生きよと招かれたのです。

 神様の切なる願い。それはすべての造られた者が救われ神の御国に入ることです。

 すべて者が神を知り、その救いを受けいのちの道に生きるようになることです!誰一人として滅びることを望まず、むしろ立ち返るのを待っておられるのです。

Ⅱペテ 3:9 主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。

 神様はいつでも、聖書のことばを通してあなたを招き待っていてくださいます。既に信じているけれども、なお心が離れるあなたにも繰り返し、繰り返し声をかけ続けています。
 以前、ある方が思春期の頃のことを話してくださいました。教会に通ってはいたけれど、反発したり恥ずかしがったりして、挨拶されても声をかけられても無視することもあったと。でも、声をかけられて本当は嬉しかったんだと。本当にそうなのです。うるさいな、面倒だな、お節介だなと感じることもあるでしょう。

 それでも、自分のことを心配し、気遣い、声をかけ続けてくれるのは「愛のしるし」です。神様は、何度語り掛けても聞き入れない、悟らない人間に対して、それでもあきらめずに語り続け、招き続けているのです。



2.悪しき者でさえも救われ、生きて欲しいと願う神


23 わたしは悪しき者の死を喜ぶだろうか──神である主のことば──。彼がその生き方から立ち返って生きることを喜ばないだろうか。 

 自分でもよく分からないのですが、ただこのことばを味わっただけで、涙がこぼれそうになりました。コロナウイルスのことでも本当に多くの方が世界中で亡くなっています。だからでしょうか。神様が「悪しき者の死でさえ喜ばない」と明確に言っておられることばに、慰められたのかも知れません。それどころか、その人悪の道から立ち返って生きることを喜ばれる」と言われます。

 私は、人々に聖書のことばやキリストをお伝えするときに、あなたにとってこれが良いものですよという視点でお伝えすることが多いなと振り返ります。けれども、一人の人が神様に立ち返って生きるようになることを誰が一番喜ぶのかと言えば、実に神様ご自身なのですよね。ですから、「あなたが信じて救われることは、この世界の造り主を笑顔にすることなのですよ」という考え方も面白いなと思いました。皆さんを愛を込めて造られ、わが子のように愛している神様にとって一番嬉しいことは、あなたが神様の元に立ち返ること。大喜びされることなのですよね。

 神様は過去にどんなに罪深い歩みをしてきた者でさえも愛しておられます。そしてこれからは、いのちの道に生きるように、神の国の国籍を得て生きよと言われています。私たちはどうしても過去に縛られる存在です。それは過去はもう変えることができないからです。でも、神様がこう語っておられるのをぜひ聴いてください。

22節彼が行ったすべての背きは覚えられることがなということが語られていますよね。

 神様はそれを意図的に覚えておかないし、ご自身から積極的に忘れてくださるというわけですもう思い出さない。古いものを後にして、新しいいのちに生きるように。

 これは人の目にはしばしば不公平だと見えてしまうほどに、寛大な神様の救いの恵みなのです。

 本来は、本来であれば、私たちは皆さばかれます。神様の完全な正しさ、聖さは、罪をひとつも見逃さず、悪を厳粛にさばかれます。その正義と聖さの前に、私たちは誰ひとり滅ぼされずに済む事はないでしょう。

「ありがとう」というワーシップソングがありますが、その歌詞にこうあります。
「はてしなく広い海に想う 小さく弱い私の姿 神の目にうつらなくても しかたない者なのに 波のかがやきに 目をふせる けがれきった私の姿 神に捨て去られても なにも言えない者なのに」 

 時に私たちも、自分のような人間は神にも人にも、見捨てられても仕方ない者だなぁ・・・と思うこともあるのではないでしょうか。自分でも自分が嫌になることってありますよね?

 もし、神様がその持っておられる正義と聖さの基準だけで、私たちを裁判なさったらどうなるでしょうか?全員有罪ですよね。一人も救われないことになります。

 完全にすべてを見抜く神様の前で、一つも汚れシミのない人はゼロです。 

 以前にも話しましたが、自分では「白いTシャツ」だと思い込んでいても、本当に真っ白なTシャツの横に並べると、随分薄汚れた、シミだらけで黄ばんでいるものだと初めて気づく事があります。他の人と自分を比べて、あの人よりはちょっと私の方が白いなと言っても、神様がこれが「真っ白ですよ」と示されたものの横に置いたら、私たちは全員薄汚れてシミだらけです。神様は本来その白さの基準で私たちを見ておられる。

 しかし、悪い者でさえ滅びることを望まない!立ち返って生きよ!と救いの手を差し伸べられました。

人を愛するがゆえに、なんとしてでも私たち人間を救おうと犠牲を払われたのです。その神様の犠牲、熱心の現れがイエス・キリストです。

 キリストの十字架の血潮によって私たちの汚れが洗い流され、雪よりも白くすると主は言われます。



3.新しい心、新しい霊で生きよ

 そして、生きよと言われます。新しいいのちに生きよと招かれます。31節のみことばにもう一度目を留めましょう。

31 あなたがたが行ったすべての背きを、あなたがたの中から放り出せ。このようにして、新しい心と新しい霊を得よ。 

 古い滅びの道から立ち返ってご自身に元に来る者に、神様はプレゼントをくださいます。「新しい心と新しい霊」を得よと。今までに持っていた心や霊が新しくされ、神様の心を知ることができる者へと変えられていきます。

 信じる者に住まわれる聖霊なる方、キリストの心とも表現される存在。この聖霊を持つことによって、神様の思いを知る者となり、神の道に生きる喜びを知ることができます。

 ご一緒にみことばから教えられて参りました。「立ち返って、生きよ」と主は言われます。まだ信じておられない方も、造り主なる神様が喜ばれることをしませんか?神様のもとに立ち返り、ぜひ生きてください。

 神様を信じている方でも、まるで死んだように過ごしている事はないでしょうか。神様は「新しい心、新しい霊」として聖霊を与えてくださいました。罪を悔い改めて、この聖霊の満たしによっていのちの道を生きましょう。

2020/05/23

5/24(日)主日礼拝


5/24(日)主日礼拝

午前10時15分頃に動画がここにUPされます。

できれば10時30分まで再生するのを待っていただき、祈り備えてください。

離れた場で歩んでいようとも、同じ神様を見上げていることを覚えます。
時を同じくして主への礼拝に加わっていただければ幸いです。

※なお、少なくとも本日中は視聴できるようにしておきますので、どうしても難しい方は他の時間に動画を用いて礼拝をおささげくださればと思います。


礼拝動画は終了いたしました。
説教概略はコチラで読むことができます。

※動画の右下から全画面表示にすると大きなサイズで見られます。


時間を過ぎてもこの上に掲載されていない場合は、
一度更新(リロード)をしてください。

※リロードの方法は、パソコンなら「F5」ボタンを押していただくか、ブラウザの左上あたりにある「」をクリックしてみてください。スマートフォンの方もブラウザ画面右上にある「」をタッチしてください。


礼拝次第は「続きを読む」からどうぞ☟

2020/05/20

5/20(水) 祈祷会

5/20(水)祈祷会

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説教Ⅱサムエル記 4章1~12「主を知ること

続きを読むより、説教概略を見ることができます。

2020/05/17

イザヤ書61章1-11節 「良き知らせがここにある」

5/17(日)主日礼拝

*** 説教概略 ***

イザヤ書61章1-11節 「良き知らせがここにある」


2020/05/16

5/17(日)主日礼拝


5/17(日)主日礼拝

午前10時15分頃に動画がここにUPされます。

できれば10時30分まで再生するのを待っていただき、祈り備えてください。
離れた場で歩んでいようとも、同じ神様を見上げていることを覚えます。
時を同じくして主への礼拝に加わっていただければ幸いです。
※なお、少なくとも本日中は視聴できるようにしておきますので、どうしても難しい方は他の時間に動画を用いて礼拝をおささげくださればと思います。


礼拝動画は終了いたしました。
説教をお読みしたい方はコチラ


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2020/05/14

子育て 「怒りではなく懲らしめ(叱ること)」


 「怒りではなく懲らしめ

「わが子よ、の懲らしめを拒むな。その叱責を嫌うな。
 父がいとしい子を叱るように、は愛する者を叱る。」(箴言3:11-12

 自粛生活が長くなると、一日中子どもたちが家にいてお母さんたちが一人になれる時間がないという課題があったり、また働くお母さんとしては家にお子さん一人でずっといることが心配であったり、学校給食がないので食事の用意の大変さがあったり・・・

 とにかく普段とは異なるストレス、イライラが起こりがちです。

 そんな時に神様のみことばに耳を傾け、教えられるならば少し違った視野が開かれ、落ち着きが与えられます。
 
 ここでは「懲らしめ」「叱責」「叱る」という3つのことばで、神様が人を教え導かれることを教えています。

 その目的は成長してより良い者になることす。

 人には本能的に「良くなりたい」という願いがあります。

 少しでも成長して、ちょっとでも良くなると私たちは嬉しいですよね。
 その良くなるために主なる神さまの愛から出ている「懲らしめ」や「お叱り」を受け入れなさいと言われているのです。

 実に教え導く者こそ、神様から謙虚に教えていただく者になることが成長の第一歩です。まず自分自身が、人生の手引書である聖書から、私たちも子どもたちも造られた神様から教えを受ける者になることこそ、Good Mom、Good Dadへの近道です。


 それと同時に、このみことばは私たちが親の立場であると考えた時に、一つの良い模範なのです。私たちは子どもたちを注意する時にどうしているのでしょうか?

 皆さんに考えていただきたいのは、「懲らしめ」や「叱る」ことと「怒る」こととはどう違うのか?ということです。
 
 「怒る」というのはより感情的です。悪に対する正義の怒りは聖書も認めており、必要なものと教えています。でも、そうでない怒りがありますよね?
 自粛生活でイライラする。ストレスをためていて。相手の行動が気に入らなくてイライラ。感情で怒りをぶつけることは指導とは言わないのです。

 それは「自分のため」だからです。

 ちなみに「懲らしめ」というのは、ネガティブなイメージがあるかも知れませんが、その意味は「悪い事をした人に罰を与える等して二度とそうしないようこらしめる」ということです。ですから、悪くないのに自分がイライラして感情をぶつけてしまうのは懲らしめではないわけですよね。また、不適切なほど怒ってしまうこともそうでしょう。

 最初に学びましたように、懲らしめ・叱責の目的=その子が良くなることです。
 子どもたちのしつけのために神様から教えられているのは、愛をもって落ち着いて「懲らしめること」「叱ること」なのであって、怒りをぶつけることではないということ。

 「いとしい子」「愛する者」とみことばにあるように、感情ではなく愛によってなすのです。

 昨日の祈祷会メッセージでも、感情を「悪魔のしもべ」にしてはダメですよ~というお話をしました。感情も神様がくださっている良いもの。だからこそ、罪の道具、悪のしもべにしちゃいけない。

 だからこそ怒りを上手におさめて、愛の心で叱り指導するということに心を留めましょう。祈ってから叱るという習慣がつくと良いかもしれません。

 私もよくしくじっています。
 感情的になってキレても、相手には「怖かった」という記憶だけが残り、中身が残らないということがあります。逆に、怒りが現れているにしても、きちんと相手を心から思い、愛するゆえの情緒であるならば、それは相手に良いメッセージとして伝わります。本気で自分を心配して叱ってくれているんだなというのは、その時は受け止められなくても、少し冷静になった時に心の深いところに残っているものです。

 自分のために「怒る」のではなく

 子を愛して「叱る」を大事にしましょう。


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