聖書

すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイの福音書11章28節)

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2019/12/01

2019年度 クリスマスイベント ご案内

12月1日(日)  こどもクリスマス
12月8日(日)  ユースクリスマス会
12月10日(火) 女性クリスマス会
12月22日(日) クリスマス特別礼拝2019


 
子どもたちのクリスマス会、中高生・青年のユースクリスマス会の詳細はイベントページにもあります。 コチラから

ベツレヘムという町


「ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で、あまりに小さい。だが、あなたからわたしのために、イスラエルを治める者が出る。その出現は昔から、永遠の昔から定まっている。」(ミカ5:2) 

キリストが生まれた地はベツレヘム(名前の意味は「パンの家」)という小さな町でした。

エフラテと付けてあるのは、当時「ベツレヘム」という地名が他にもあったので区別するためでした。

どこにでもありそうな小さな町ベツレヘムで、救い主がお生まれになるという不思議。

それは神が昔から定めておられたご計画でありました。

人の予想、人間的な期待を見事に裏切るような神の深いご計画がそこにあったのです。

多くの人は聖なる都エルサレムこそメシヤが生まれるのにふさわしいと考えたでしょう。他にももっと大きな都市が選ばれてしかるべきだと考えたことでしょう。

しかし、この救い主は小さな取りに足りない者にさえ目を留め、救ってくださるお方です。

お金持ちや地位の高い者だけでなく、小さな弱い者にさえ栄誉をくださるすべての人の主です。そして、このあまりにも小さな町だったベツレヘムですが、救い主が出た町として大きな栄誉を受けました。

それはキリストを心に持つに至った者の人生を象徴しているのです。

小さい者、弱い者、取るに足りない者と思うならば、ぜひこのキリストを知ったゆえに、神の前にもはや小さな者ではないことを覚えましょう。



2019/11/24

子どものように受け入れる


まことに、あなたがたに言います。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。」(ルカ18:17) 

神の国は不思議です。経済力や発言力、権力や知名度などは、そこに入るために一切役に立たないのです。それでいて、無力で弱くて誰かの世話にならなければ生きていけないような、小さな幼子たちの方が神の国に入りやすいのですから。この世のあり方とは全く異なる世界なのだと気づかされます。

私たちは大人になるにつれて色々なものを持ちすぎてしまっているのかも知れません。

地位や名誉、財産、様々な責任、重荷。

あまりにも背負い過ぎてそれが神の国に入るのに妨げになっているのです。

戦国時代に盛んになった茶室の交わり。面白いことにその茶室には「にじり口」という小さな入口があります。

あえて入り口を小さくしてあるので、武将たちも鎧や刀を身に着けたままでは入れませんでした。
また立ったままでは入れず、身をかがめ小さくして入るものでありました。

神の国はそれに似ていると思います。

色々な物をまだ背負ってなかった子ども時代。
あの頃のように小さな者となって入るのです。
神の前には誰も自分を誇ることなどできないのですから。

背負っている物、自身を守るための鎧、人を傷つける刀を後にして、ありのままのあなたで神の国に入らせていただきましょう。

2019/11/20

野の花を見なさい

ルカの福音書12章27-28節より

27節  草花がどのようにして育つのか、よく考えなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装ってはいませんでした。 
28節  今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、どんなに良くしてくださることでしょう。信仰の薄い人たちよ。 

普段から花を見ながら過ごせるのはとても良いことです
 
実にイエス様も、野に咲く草花を見て考えなさいと言われています。
 
イエス様は山や丘の上など自然の中で群衆に話されることも多かったことが聖書を読むとわかります。外の自然の中に身を置きながら、不安と心配に襲われている人々に「野の花を見なさい」と言われたのです。

27節 草花がどのようにして育つのか、よく考えなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装ってはいませんでした。 
 
ここに登場しているソロモン王。彼はかつてイスラエルでも大変に栄華を極めた王様。それこそ彼ほど豪華に着飾った人はいないでしょう。煌びやかで豪華な衣装、宝石やアクセサリーも身に着けていたかも知れません。
 
ではなぜ、栄華を極めたソロモンでさえ、この花のしかも一つの花ほどにも装っていなかったと断言されるのでしょうか。
 
それは、神様が造られた美しい花に比べれば、人の手による人工的な装飾など足元にも及ばないということです。
 
人が造った作品も確かに素晴らしい。けれど、世界各地にある自然の美しさ、そのいのちの輝きには人工的にこしらえたものが及ぶことはありません「造花」は確かに長くもちます。でも、造花が「本物の生ける花」に優ることはありませんよね?

 

そして、もう一つ注目したいことは、イエス様は人が毎日世話をしているバラ園のような場所に人を連れて来て語ったのではないということです。
野に咲く草花を人々に見せて、どうやって育っているのか考えて御覧と言われたのです。人が栽培している花ではない。けれども、神様が養ってくださり、養うだけでなく美しい花を咲かせてくださっているのです!
 
これらを見せ考えさせた上でこうおっしゃったのです。

28節 今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、どんなに良くしてくださることでしょう。信仰の薄い人たちよ。

 花の命は短いです。枯れてすぐに処分されるような草花。
 
けれども、そのような草花でさえ養い育て、ソロモンより美しくしてくださった神様は、人間に良くしてくださらないわけがないのです。
 
 だから、私たちは美しい花を見るときに、神様が守り養ってくださると思いだしたいのです。

この花はどこから来たのか?

この世界の造り主が世界で一つだけのオリジナルとして造られ、養い美しく咲かせてくださっている。

私たち人間のことはそれ以上に大切に、養い育ててくださる。 

神様によって咲いている花々。私たちはそれを見てほっとし、造り主なる神様に信頼してゆだねることを思い出す者でありたい。


2019/11/17

高くする者は低くされ、低くする者は高くされる


一方、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神様、罪人の私をあわれんでください。』あなたがたに言いますが、義と認められて家に帰ったのは、あのパリサイ人ではなく、この人です。だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるのです。」(ルカ18:13-14) 

最も深刻な罪は、自己正当化の罪だと言えます。

自分はいつも正しいと信じきっているので、罪を認めることができず、悔い改めができないのです。

自分を正しいとする者には、キリストの十字架は不要となってしまいます。神の赦しを必要としないのです。


そのように自分を高く正当化する者はそのままでは救いに導かれることができないので、神はその人を砕き罪に気づかせようとなさいます。それもまた「神の愛」から出ているのです。

私たちがしばしば砕かれるのは、自分の高慢や正当化する罪に気づき、この取税人のようにへりくだって、神にあわれみを乞う者となれるようにするためです。

神の国は、そのように自分を低くする者に開かれます。

自分で必死になって上を目指さなくても、神がその人を高くしてくださるのです。

自力で高く大きくして誇る者は、その門をくぐれません。神の力を拒絶してしまうのです。

神の前に謙虚になりゆだねましょう。必要な時に神が高くしてくださいます。

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