詩篇119篇105-112節「みことばに親しみ、みことばに生きる(2)」
2週前のメッセージで、同じく詩篇119篇のこの直前の個所から語られました。おもに「みことばに親しむ」ということが中心テーマでしたね。神様のみおしえを愛し、いつも自分の心に思いめぐらして、自分の思いになるかのようにするということでした。
2週前のメッセージで、同じく詩篇119篇のこの直前の個所から語られました。おもに「みことばに親しむ」ということが中心テーマでしたね。神様のみおしえを愛し、いつも自分の心に思いめぐらして、自分の思いになるかのようにするということでした。
早いもので3月となりました。今年度最後の月です。今年度、私たちの教会では、「受ける者から、与える者へ」というテーマで取り組んできました。
クリスマス・・・たくさんの集いがありました。様々な制限がある中でしたが、知恵をもって工夫をし、多くの祈りの支援を感じながら、協力して主にある働きができました。本当に感謝です。
特に普段来られていない方々をお招きする集会、これまでに6つほどありました。CS(子どもクリスマス)、JYLC(中高生クリスマス)、女性クリスマス、クリスマス特別礼拝、青年クリスマス、また教会開放日クリスマス。今日の午後も入れると7つですね。
そこには尊い準備があり、様々な労苦があったことと思います。お疲れ様でした。
立川福音自由教会牧師 高橋秀典師
「心が傷つく」とは自分が無価値な者と見られること、つまり「恥」の意識から生まれます。ただ、ときにそれはキリストにあるアイデンティティーが確立していない結果と見られ、信仰の未熟さの現われとして「傷ついてしまう」と評価されることがあります。しかし、それこそ人の感性に対する暴力かもしれません。
少なくともダビデは誰よりも傷つきやすい心を持っていたことが彼の詩篇から読み取ることができます。そしてイエス・キリストはダビデの詩篇を愛読していました。それは人となられたキリストご自身も繊細な傷つきやすい心を持っていたからとも言えるかもしれません。