*** 6/23(日)主日礼拝 説教概略 ***
聖書の中で、悪魔は「偽り者」であり、「偽りの父」だと語られています。私たちを様々な偽物で騙し、まことの神様を求めさせないようにするのです。そして、私たちは案外簡単に、その「偽りの父」に騙され、まことの父、神様から目を離してしまいます。
今日のテーマは「とどまる」ということですが、残念ながら我が家のベランダの鳩は、とどまることなく、つい昨日、巣立っていきました。約2か月、我が家のベランダで同じ屋根の下暮らしてきましたので、少しさみしい気もします。
さて「とどまる」ってどういうことなのでしょうか。「とどまる」とは、「同じところに居続ける」という事です。
子どもの頃の話になりますが、イエス・キリストとは、イエスが名前で、キリストが苗字だと思っていたことがありました。しかし、実は、聖書の時代のユダヤ人たちは、基本的に苗字というものがないのですよね。ですから「だれだれの子」と親の名前で区別したり、「マグダラのマリア」のように地名を入れたり、あるいは「大工のヨセフ」のように職業で区別したりしていました。実はイエスという名も一般的な名前なので、ナザレに住んでいたことから「ナザレのイエス」と呼ばれました。
ある地方の番組で、岐阜県のTシャツプリント会社の特集を視聴しました。とても個性的な社長さんで、就任してから「異次元の働き方改革」をなさったということでした。そして、10年経たないうちに従業員10倍、業績はなんと20倍になったのです。
光の中を歩もうというテーマですが、「光の中を歩む」って何なのでしょうか。
罪を一つも犯さず、きよく正しく生きることでしょうか。
けれど、神のことばである聖書は、人は誰もが生まれながらに罪人であると教えていますよね。ですから「私にはまったく罪がない、闇など一切ない」と言うことは、正直とは言えず、かえって「闇の中を歩んでいる」のではないでしょうか。