*** 6/23(日)主日礼拝 説教概略 ***
聖書の中で、悪魔は「偽り者」であり、「偽りの父」だと語られています。私たちを様々な偽物で騙し、まことの神様を求めさせないようにするのです。そして、私たちは案外簡単に、その「偽りの父」に騙され、まことの父、神様から目を離してしまいます。
ただ、それほどに悪魔は狡猾で巧妙です。しかし、それでもなお、私たちは恐れる必要がありません。神から生まれた「神の子」たちには、その偽りを見破る手段が与えられているからです。エペソ6章によれば、真理の帯をし、正義の胸当てを着け、平和の福音の具足装備し、信仰の大盾で完全武装せよと教えています。そして、守ってばかりではありません。応戦できるように、「御霊の剣」、「みことばの剣」も与えられているのです。
聖書はこうして、悪魔の企みを明らかにし、悪魔への対抗手段を教えています。ですから、私たちは惑わされることなく、偽りを見抜き、まことの神様だけを礼拝して参りましょう。本日のみことばには、3度「知っている」とのことばに着目します。私たちが知っている3つのことを通して、まことの神だけを礼拝して生きることを教えられます。
1.神の守りがあることを知っている
最初の「知っている」は、18節にあります。
18節 神から生まれた者はみな罪を犯さないこと、神から生まれた方がその人を守っておられ、悪い者はその人に触れることができないことを、私たちは知っています。
神から生まれた神の子どもたちは、イエス・キリストによって守られています。クリスチャンは皆、それを知っているはずだと言うわけです。そして、守られているので、「罪を犯さない」と語られています。
実は、この手紙の3章6節と9節でも同じことが語られていました。その時にお話したのですが、「罪を犯さない」という部分は「継続」や「習慣」「繰り返し」を表す現在形が用いられています。ですから、罪が全くゼロということではなく、「罪を継続的に犯し続けない」という意味があります。
つまり、罪にとどまらないのです。罪がその人の居場所にはならないということです。クリスチャンは、イエス・キリストこそが居場所です。神との聖なる愛の交わりの中にとどまっている者こそ、神の子どもたちなのです。
さらにここでは、「悪い者はその人に触れることができない」とも語られています。その「悪い者」とは、悪魔のことであると考えられます。このことばは、18、19節の両方で「単数形」です。また、文脈や聖書全体の主張からも、悪魔だと理解するのが自然でしょう。この18節では、そのような恐ろしい悪魔でさえも、神から生まれた人に「触れることができない」と語られているのです。キリストによって贖われた神の子に、悪魔は手出しできない。私たちは既に神に買い戻され、「Sold Out(売り切れ)」なので、悪魔がどんなに高価な物を積んでも買えないのです。
しばしば悪魔は、私たちの罪深さや弱さのあら捜しをし、私たちを誹謗・中傷します。悪魔を表現するギリシャ語に「ディアボロス」という語があります。それは「誹謗・中傷」という意味を持つのです。しかし、悪魔は私たちに触れることはできない!と知っているならば、誹謗中傷も負け犬の遠吠えのようなものです。罪も悪魔も、もはや私たちを支配し、倒れさせることはできないのです。主の深い愛から引き離せません。この揺るぎない恵みを確信しましょう。
2.悪魔の世に対する支配があることを知っている
とはいえ、悪魔は非常に狡猾です。触れられないとしても、ねちねちと私たちを中傷し、偶像を利用して悪魔の側に加担させようとするのです。二番目の「知っている」は、この世全体としては、未だ悪魔の支配下にあるということです。
19節 私たちは神に属していますが、世全体は悪い者の支配下にあることを、私たちは知っています。
「私たちは神に属している」と明確に前置きをしながら、一方で世全体としては悪魔の支配下にあると明言しています。私たちの周囲では、悪魔が吼えたける獅子のように獲物を狙っているのです。ですから、気を引き締め用心する必要がありますね。そして、悪魔はこの世を利用して誘惑の罠にかけてきます。
最後の21節で、ヨハネはシンプルに忠告しています。
21節 子どもたち、偶像から自分を守りなさい。
手紙の著者ヨハネは、愛する弟子たちに「子どもたち」と親しく呼びかけ、忠告しているのです。「偶像から自分を守りなさい」と。
なぜ、偶像なのでしょうか。
悪魔は狡猾なので、自分を前面に出せば、悪魔とわかっていて服従するクリスチャンはいないと分かっているからです。むしろ、悪魔は自分が憎まれていることもよく知っています。
悪魔に喜んで従う者はいないが、人は自分の欲という「偽りの神」には喜んで従ってしまうことを知っているのです。ですから、偽装します。悪魔は「偽りの父」、偽装の天才です。その人にとって非常に魅惑的な何らかの「偶像」によって身を隠し、結果的にその人を自分の支配下に置くのです。
そもそも偶像禁止が教えられた十戒では、このように語られていました。「あなたは自分のために偶像を造ってはならない」(出エジ20:4)と。もちろん、他の人のために造ればいいよという意味ではありませんよね。偶像は、どんなに格好いい理由をつけようとも、結局は自分のためなのだということです。
偶像は英語で「idol」です。日本のアイドル歌手・タレントなどの語源です。あらゆるものをそのidolに注ぎ込み、しばしば崇拝さえしてしまう。歌手やタレントを応援しているというなら良いでしょうけれど、神様よりその存在を愛してしまうなら、偶像礼拝ではないでしょうか。
もちろん、何でも偶像になりえます。趣味、高級ブランド、お金、仕事、異性、尊敬する人。有形無形に限らず。そうやって、とにかく神様への関心を薄れさせます。あなたにとっての偶像は何でしょうか。
ティム・ケラーという牧師が書いた「偽りの神々」という本があります。その中で、人の心は偶像を絶えず生産する「偶像工場」であるとの表現があります。悪魔はその人の欲深さをうまく利用し、神様から私たちを引き離そうとするのです。
悪魔は私たちに、「聖書は良い本です」と簡単に言わせます。「イエス様はすばらしい方です」とも簡単に言わせます。しかし、「みことばに従います」、「イエス様に従います」と本気で言えないよう、あれも大事、これも大事とむなしく消え去るものに依存させるのです。ですから、私たちはいつも真実に対して目を開かせていただき、悪魔の偽装を見抜きましょう。主イエス様に従いましょう!
3.真実な方を知る理解力が与えられていることを知っている。
3つ目、最後の「知っている」は、20節です。
20節 また、神の御子が来て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことも、知っています。私たちは真実な方のうちに、その御子イエス・キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。
御子イエス様を通して、神様が真実なお方であることが理解できる。そのことをクリスチャンは知っています。悪魔が「偽りの父」であるのに対して、神様は「真実な方」であると知っています。偽りの父の様々な偽装工作を見破る唯一かつ最善の方法は、真実なる主を知ることです。真実を知れば、偽りを見破ることができますよね!!偽りに勝利するのは真実です。
そして、20節の後半にこうあります。
私たちは真実な方のうちに、その御子イエス・キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。
この手紙がずっと語り続けてきたことです。イエス様を信じて受け入れた者は、絶えずこの真実なる主イエス様の中にいるのです。生けるまことの神キリストです。ここに永遠のいのちがあります。私たちは偽りの神、偶像に心をささげてはなりません。その背後で悪魔がほくそ笑んでいるからです。悪魔の偽装工作を見破り、真実なる主を愛し、生けるまことの神様だけを礼拝しましょう。
2章15-17節を開きましょう。
15節 あなたは世も世にあるものも、愛してはいけません。もしだれかが世を愛しているなら、その人のうちに御父の愛はありません。
16節 すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢は、御父から出るものではなく、世から出るものだからです。
17節 世と、世の欲は過ぎ去ります。しかし、神のみこころを行う者は永遠に生き続けます。
ここで語られる「世」の背後に悪魔がいます。世の欲をちらつかせ、私たちを誘惑します。みこころから引き離そうとします。
クロロフォルムを麻酔として実用化したジェームズ・シンプソンという医者がいます。これによって飛躍的に医療が進歩します。手術の幅が広がり、多くの病が癒されました。世紀の大発見です。そのシンプソンに「あなたの最大の発見は何だと考えますか?」と尋ねた人がいました。その時、彼は「クロロフォルムです」とは答えなかったのです。彼は代わりにこう答えました。「わたしの最大の発見は、イエス・キリストを自分の救い主として発見したことです」と。この世の栄誉・名声という偶像を求めず、高ぶりの道に立ちませんでした。真実なるまことの神を知ったことが最大の幸せだと知り、証ししたのです。
ご一緒に教えられて参りました。主は今日も、私たちに語っておられます。
1.私たちはもう、主のもの、主の民です。イエス様が守っておられるので、罪にとどまらないで済みます。そして、悪魔は手出しが出来ないのです!
2.しかし、「偽りの父」なる悪魔はこの世を支配し、キリスト者を神から引き離そうと必死です。私たちの弱さや罪深さを訴え、非難します。そして、偽りの神(偶像)に従わせようとします。
引用元聖書
<聖書 新改訳2017>
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