東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: 2021年度メッセージ
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

最新情報

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2022/03/31

民数記11章18-23「主の手が短いというのか」

***  3/31(日)主日礼拝 説教概略 ***

民数記11章18-23「主の手が短いというのか」

 以前知人の教会を訪れた時に「あきらめません」という賛美曲を初めて聞きました。その教会では一つの大きな試練があって、祈りの中にありました。しかし、心を込めて、中には涙ぐむようにしながら「イエス様、私はあきらめません。どんなに涙がこぼれてきても」と歌っておられる姿に、とても励まされたのを覚えています。

2022/03/24

創世記1~3章 「最初の女性エバ」

*** 3/23(水)祈祷会 説教概略 ***

創世記1~3章 「最初の女性エバ」


 2:18 また、神である主は言われた。「人がひとりでいるのは良くない。わたしは人のために、ふさわしい助け手を造ろう。」 

 神様はこのようにおっしゃって、男性とともに歩む女性という存在を造られました。ただし、誤解をしないでいただきたいことがあります。それは、神様は男性を造った結果、「ああ、やっぱり女性が必要だ」と気づいたのではないということです。最初から、人を男と女とに造るおつもりでした。ただ、その理由の一つをここで述べているに過ぎません。

2022/03/21

コロサイ1章9-12節「祈り~神を知る者となるように~」

 *** 3/20(日)主日礼拝 説教概略 ***

コロサイ19-12節「祈り~神を知る者となるように~」

「祈りとは何ですか?」

 皆さんはそのような質問を受けた時にどのようにお答えになるでしょうか?
 意外にも簡単に答えられない自分に気づくかも知れません。しかし、それで良いのかも知れません。それほどに「祈り」とは奥深く、豊かなものだからです。

2022/03/17

創世記1~3章「最初の人アダム」

 *** 3/16(水)祈祷会 説教概略 ***

創世記1~3章「最初の人アダム」

アモス書が終わり、本日から新しい学びに入ります。聖書人物シリーズです。聖書に登場する人物を取り上げながら、そこに示されている神様のご愛、みこころを学びます。
人の弱さ、罪深さ、豊かさ、成長・・・ 私たちと同じような人々の姿を通して、私たちと神様との関係がさらに豊かなものとなるよう願います。

本日は最初の人、アダムについてのみことばから主のみこころを求めていきたいと思います。

2022/03/14

民数記11章10-17節「重荷を降ろし分かち合う」

*** 3/13(日)主日礼拝 動画配信 ***
民数記11章10-17節「重荷を降ろし分かち合う」

 皆さんはモーセという人物をどう見ていますか。
 彼は旧約聖書中でも非常に有名で尊敬されていた信仰者です。若い頃は、エジプト王女の養子とされ、王子の一人として恵まれた環境で育ちました。普通の人では受けられないような教育を受け、また多くの富に囲まれて育った人です。

 後には数百万人の民を導くリーダーになります。ですから、彼は神に選ばれた「特別な人」と思っている方も多いかも知れません。

ところが、聖書を味わって行くと、彼は私たちと同じように欠点も多くある、ごく普通の人であったと気づきます。

2022/03/09

アモス9章11-15節「主は回復される方」

*** 3/9(水)祈祷会 説教概略 ***

アモス911-15節「主は回復される方」

神様が私たちに試練をお与えになるのは何のためでしょうか?
苦しめることが目的ではなく、試練を通して練られ、自らの愚かさに気づき主を深く知る者となるためでしょう。神の民は、主に愛されていますから、愛する子どもを懲らしめる父親のごとくに、主はやがて多くの子どもたちの救いをもたらすために、このイスラエルの子らを戒めました。

 一度崩されるのは、再び建て直すためでもあると教えられます。

2022/03/02

アモス9章5-10節「偉大なる主を恐れよ」

*** 3/2(水)祈祷会 説教概略 ***

 アモス9章5-10節「偉大なる主を恐れよ」

「主を恐れることは知識の初めである」と箴言にあります。

神の偉大さと神の愛と恵みの深さ・大きさを知ることが、最優先事項であり、それを知らずしてこの世界を知ったとはまるで言えないからです。

2022/02/28

コロサイ1章1-8節「会ったことがなくても」

*** 2/27(日)主日礼拝 説教概略 ***

コロサイ11-8節「会ったことがなくても」

 ヘブル書の111節にこのようなみことばがあります。

ヘブル11章1節
信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです

 この世界は目に見えますが、それを造られた神様は目に見えません。そしていつまでも残る「信仰、希望、愛」も目に見える形あるものではありませんが、確かに存在する大切なものです。Ⅱコリ 418節にもこうあります

Ⅱコリント4章18節
私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。

 見えるものは一時的。見えないものに「永遠」があるので、見えないものに心を留めましょうと聖書は勧めます。このような価値観、このような生き方を、私はキリストと出会うまで知りませんでした。しかし、これを知ってから、見えるものがすべてではないと教えられ、むしろ、いつまでも残る見えないものにより大きな価値を見出せるようになりました
 

2022/02/25

アモス書9章1-4節「いのちの道を選ぼう」

*** 2/23(水)祈祷会 説教概略***
アモス書9章1-4節「いのちの道を選ぼう」

1節 私は、祭壇の傍らに主が立っておられるのを見た。すると、主は言われた。「柱頭を打ちたたき、敷居が震えるようにせよ。すべての者の頭を打ち砕け。彼らのうち、生き残った者をわたしは剣で殺す。彼らのうち逃()げられる者はなく、彼らのうち逃(のが)れられる者もない。

ここでは最後の幻、第五の幻が示されています。今度は祭壇の傍らに主が立っておられ、そこからさばきを下すという幻でした。この祭壇は偶像礼拝がささげられていた祭壇であると思われます。

2022/02/23

ルカ21章2-3節「主がお入り用なのです」

*** 2/22(水)ほっとカフェ 講演 *** 
「手軽にお花を飾ろう!」のイベントにて

 お花を飾るというのは、野に咲いているままを鑑賞するのとはまるで違いますよね。

「それぞれのお花の良さをどう生かして飾るのか」

 ということで、選択肢は無限にあると言っていいでしょう。

2022/02/21

民数記10章29-36節「一緒に行きましょう」

*** 2/20(日)主日礼拝 説教概略 ***

民数記10章29-36節「一緒に行きましょう」

 教会は敷居が高い、行くのに勇気がいるとよく言われます。でも、そうであってはならないと思います。教会は普段集っている者たちが自分たちの満足のためだけにあるのではありません。人のために仕えてこその教会です。悩む人、苦しむ人、神を知らない人々のために仕えるのが教会です。初めての方をいつでも歓迎するのが教会です。

2022/02/17

アモス8章11-14節「みことばの飢饉」

*** 2/17(水)祈祷会 説教概略 *** 

アモス811-14節「みことばの飢饉」

 私たちは新型コロナウイルスの影響で、一時期教会堂に集まれないという経験をしました。初めての事でした。そうなって初めて、ともに集まって礼拝することが「当たり前ではない」ということに気づき、集まること交わることへの飢え渇きが起こったように思うのです。

 人間には失って初めて、ようやく気づける・・・そういう弱さがいつもあるように思います。「まさか失われることはないだろう」と、タカをくくっている部分があるのですよね。

 そして、当たり前にそこにあるという感覚が、次第に与えられていることへの感謝・ありがたみを分からなくさせてしまうことがあります。

2022/02/14

ルカの福音書24章50-53節「天に昇られたキリスト」

*** 2/13(日)礼拝 説教概略 ***

ルカの福音書24章50-53節「天に昇られたキリスト」

 以前、牧会の働きのことで悩み考えていた時に、ある先輩牧師にご相談していました。その時に、こんなことばを頂きました。確かにこの地上で歩んで行く中で、教会も色々な試練を通らされるものです。それでも、どんなに傷ついても、教会はやがて美しく飾られたキリストの花嫁としていただける。そこに希望がありますねと。最後には必ず、教会はキリストの花嫁として美しく飾られて迎え入れられる。それで問題が解決されるわけではありませんが、不思議に励まされたのを思い出します。

2022/02/12

アモス8章1-10節「イスラエルの終わり」

 *** 2/9(水)祈祷会 説教概略 ***

 アモス81-10節「イスラエルの終わり」

 かつて東洋経済オンラインの記事で、会社を衰退させるのはそこで働く人々の無関心であるという記事を読んだことがあります。仕事自体に無関心ということではなく、それぞれに自分の目の前の仕事はするものの、この会社がどのようなビジョンを持って歩んでいくべきなのか。どうしたら良くなるのか。そういうことに関心を持たないでいると、会社は衰え、やがて失われていくということです。

2022/02/09

子育て「自分は何者?」 ~聖書から学ぶ人のアイデンティティ~

 *** 2/8(火)ママ’sカフェ講演 ***

 自分は何者なのか?この世界に必要な存在なのか? 

 悩む子は多いのではないでしょうか。

 自殺願望、消えたい・・・。

 コロナ下でそういう子も増えているかも知れません。

 人がどれほど尊い存在として神様に造られ、愛されているのか。聖書から自分が何者なのかをぜひ子どもたちに知って欲しいと願います。

 

2022/02/07

民数記9章15-27節「進むにも、とどまるにも」

*** 2/6(日)主日礼拝 ***

民数記915-27節「進むにも、とどまるにも」 


1日に35000

一体何の数字でしょう?

2022/02/02

アモス7章7-17節「主が召されたので」

*** 2/2(水)祈祷会

アモス77-17節「主が召されたので」

 渡辺和子さん著作の『置かれた場所で咲きなさい』というベストセラー本があります。花は咲く場所を選べないので、置かれた場所を受け入れて、そこで精一杯咲くことを大事にしましょうというメッセージがそこにあります。私たち人間も生まれる環境を選べませんが、それぞれに置かれたところで、精一杯生きて行けばいいということでしょう。

 ただ、その時に、誰がそこに置いたのか、誰がそこに植えたのかを考えると、私たちにとってそれは神様であるわけです。偶然そこにいるのではなく、主の良いご計画の中でそこに置かれているのです。

2022/01/31

ルカの福音書24章44-49節「真理のみことばを」

*** 1/30(日)主日礼拝 説教概略 ***

ルカの福音書2444-49節「真理のみことばを」

 私がかつて、イエス様をまだ信じたばかりで聖書を学び始めた頃、学びのテキストの中で飛行機のイラストを見せていただきました。その飛行機はだいぶ古くボロボロで、燃料も漏れているような姿に描かれていました。この飛行機に安心して乗れますか?と。もちろん、乗りたくありませんと答えました。

 そこで信仰も同じであると教えていただきました。信仰は盲目的なものであってはならないということ。信仰は、信頼に値するものを信じて歩むことであると教えられたのです。

2022/01/29

アモス7章1-6節「思い直される主」

 *** 1/26(水)祈祷会 説教概略 ***(アップが遅れました)

アモス7章1-6節「思い直される主」

 人を育てる時、忍耐して待つことは本当に大変だと思います。代わりにやってあげた方が早いですし、さっさと答えを出してあげた方が楽なのです。ただ、その人自身の人格の成長のためには、人が代わりにやってあげたり、代わりに答えを出してあげたりしてはあまり益になりません。

 神様も私たちに対して、忍耐深く語りかけ、待っていてくださいます。

2022/01/26

アモス6章8-14節「主の声に聞く者こそ、主の民」

 *** 1/19(水)祈祷会時の説教概略となります ***
※1/26(水)分は1/28(金)にアップ予定です。

アモス6章8-14節「主の声に聞く者こそ、主の民」

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とのことばがあります。
試練に直面している時は、必死に神様を仰ぎ見て、助けを求めます。しかし、試練を乗り越え、平安な日々が続くと、神様への感謝の心を失い、いつの間にか主の恵みを自分の努力にすり替えます。口先では「神様のおかげです」と言いながらも、心のどこかで自分たち自身を誇り始めるのです。

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