*** 2/23(水)祈祷会 説教概略***
アモス書9章1-4節「いのちの道を選ぼう」
1節
私は、祭壇の傍らに主が立っておられるのを見た。すると、主は言われた。「柱頭を打ちたたき、敷居が震えるようにせよ。すべての者の頭を打ち砕け。彼らのうち、生き残った者をわたしは剣で殺す。彼らのうち逃(に)げられる者はなく、彼らのうち逃(のが)れられる者もない。
ここでは最後の幻、第五の幻が示されています。今度は祭壇の傍らに主が立っておられ、そこからさばきを下すという幻でした。この祭壇は偶像礼拝がささげられていた祭壇であると思われます。
139:8 たとえ私が天に上ってもそこにあなたはおられ私がよみに床を設けてもそこにあなたはおられます。
139:9 私が暁の翼を駆って海の果てに住んでも
139:10 そこでもあなたの御手が私を導きあなたの右の手が私を捕らえます。
今日のか所と少し似ています。ただし、この詩篇139篇は神様との良い交わりのうちに、私たちがどこに行こうとも、主がそこにもおられ、守り支えてくださることがテーマです。とても良い意味で神様の偏在性が語られているのです。
ところが、本日開いているアモス書では、主を敵に回した場合の話になっています。その場合、主がどこにでも同時におられるという遍在性は、非常に恐ろしい性質に変わってしまいます。どこにも逃げられないという意味ですから。
私たちは、神様がいつでもどこでも、どんな時でもともにおられるということを、恵みとして、喜びとして受け止めたいのです。しかし、神様に背き、敵対し、悔い改める心を失ったまま歩めば、せっかくのすばらしいご性質が人にとって恐ろしいものに変わるということをも真剣に受け止めたいのです。
主を愛し、主の声に聞き従うその道は、幸せへの道です。神様の敵になる道ではなく、神様の愛のうちにあるいのちの道を歩んで行きましょう。毎日の歩みの中で、私たちは選択を繰り返していますね。先日、人は1日に多い時には3万5千回近く選択をしているとお話しました。私たちは、いのちの道につながる選択を大事にしていきましょう。