先週のクリスマス礼拝、ハレルヤコーラスがとても良かったです。皆さんの練習の成果が現れており、また気持ちが入っていて、「胸熱」でした。午後の祝会での中華チームの賛美、青年の賛美もそれぞれの良さがあり胸熱でした!そして予想以上に多くの方々を神様が招いてくださいました。いずれも私の想像を超える豊かな神様のみわざでした。このように神のなさることに驚き、感動することはとても大切です!
2024/12/30
2024/12/13
マタイ2章1-12節「主イエス様を求めるクリスマス」
*** 12/11(水)祈祷会 説教概略 ***
誰かにプレゼントをするときに、どんなことを考えるでしょうか。その人のことを思って、その人にふさわしいプレゼントを考えますよね。例えば、私が妻にバットとグローブをプレゼントすることはないでしょう。的外れだからです。
2024/12/11
女性クリスマス マタイ1章18-25節「クリスマスの意味」
*** 12/10(火)女性クリスマス会 説教概略 ***
先程「諸人こぞりて迎えまつれ」と歌いました。どのような意味でしょうか。諸人=みんな、挙(こぞ)りて=家を挙げて、国を挙げて。迎え奉れ=「お迎え申し上げよう!」
「世界のすべて人々が、家を挙げ国を挙げ、こぞって、救い主を歓迎申し上げましょう!」という意味です。
2024/05/06
マタイの福音書11章28~30節「安息日の主から学ぶ安息」
*** 5/5(日)主日礼拝 説教概略 ***
この秋に私たちの教会では、星野富弘さんのアート展を開催予定です。それが決まった矢先に召天の報がありました。星野さんは若い頃に大きなケガで両手足の自由を失いましたが、それを通して救いに導かれました。そして口に筆をくわえて詩と絵を描き続けた生涯です。一昨日葬儀が行われました。昨年度私たちの教会で奉仕していた阿部神学生が、今年度遣わされている教会での葬儀でした。個人的には何かとお世話になった恩師の内田先生が司式をされ、本日の聖書箇所と同じみことばが語られていたので驚きつつ、神様の不思議な導きを感じています。
2024/05/01
マタイ18章21-35節 「赦された者の一歩」
*** 5/1(水)祈祷会 説教概略 ***
マタイ18章では小さい者を軽んじないことや、自分に罪を犯した者と和解して友となることを教えています。そして、二人でも三人でも信仰の仲間と祈る大切さも教えられています。私の時代に神学校の校長であった舟木信先生がこんなことをおっしゃっていたとある方から伺いました。「教会はイキイキしていて、問題があるところ」だと。面白い表現です。主にあってイキイキしている。しかし同時に「赦された罪人」の集まりなので、問題だらけ。もしかしたら、イキイキと豊かに活動しているからこそ、様々な衝突や問題さえも起こりやすい場所なのかも知れません(そこに主が働かれる!)。
2023/12/25
マタイ1章20~23節「罪から救う方、ともにおられる神」
*** 12/24(日)クリスマス特別礼拝 説教概略 ***
「名は体を表す」ということばがあります。その実体が名前によく表れているという意味のことわざです。人や物に名前を付ける際、その特徴をとらえて名づけたり、「このように歩んで欲しい」との願いを込めて、名づけたりすることが多いゆえでしょう。
今日のみことばでは、人間のために神様がお遣わしになったキリストについて、二つの呼び名が紹介されています。
2023/12/23
2023/12/13
2023/11/10
マタイ16章24-26節「人の心を動かすもの」
*** 11/8(水)祈祷会 説教概略 ***
サバティカルの恵みについて、祈祷会でも少しお分かちしたいと思っています。
私自身が興味を持っていたことは、16世紀に起こった「戦国時代における福音宣教」についてでした。実に、戦国時代の日本のクリスチャン人口は推計75万人、人口全体の約5%ほどでした。日本は今でも人口の1%にも満たないと言われますから、数字だけ見ればすごいことです。
2023/04/06
マタイ26:69-75 「ペテロの涙」
*** 4/5(水)受難週祈祷会 説教概略 ***
マタイ26:69-75 「ペテロの涙」
イースター礼拝を目前に控え、いかがお過ごしでしょうか。明後日が受難日ということで、主の十字架を思う時、少し重さを感じながらも、感謝の日々ですね。
先日の礼拝では、私たちの罪へのさばきのために、「宥めのささげ物」となられた主イエス様に目を注ぎました。その十字架への道をすぐそばで見守った弟子がいました。そのうちの一人、ペテロの姿に目を留めつつ、主の十字架を仰ぎ見て行きましょう。
2022/12/14
ルカ1-2章「マリアはどのように信じたのか」
*** 12/14(水)祈祷会 説教概略 ***
ルカ1-2章「マリアはどのように信じたのか」
キリスト降誕の出来事は奇跡の連続であって、圧倒的な驚きに満ちていました。人間の常識ではありえないと思えることばかりです。そのただ中にいた人物は、イエス様の母となったマリアでした。母となった当時はまだおそらく10代。現代の高校生ぐらいかと思われます。そのような彼女がどのように主とそのおことばを信じて、神様の栄光を現すことができたのか。彼女の信仰の姿から、神様のお心を教えられて参りましょう。
2022/12/04
マタイ1章22-23節「インマヌエルなるイエス」
*** 12/4(日)主日礼拝 説教概略 ***
マタイ1章22-23節「インマヌエルなるイエス」
ある人のいじめの体験談を読む中で、幾人かの友人たちがいじめからの避難所になってくれたとありました。人生の中でドン底と思える経験がありますが、味方でいてくれる人の存在は本当にありがたいものです。
ただ、私たちは有限の存在ですから、味方でいたいと心から願ったとしても、必ずしもそうできない状況も起こり得ます。ですから、「インマヌエル」と呼ばれるイエス・キリストがおられることは、なんと心強いことでしょうか。「インマヌエル」とは、今日のみことばにありますように、「神が私たちとともにおられる」という意味です。
2022/10/19
マタイ9章35-38節「働き手のために祈る」
*** 10/19(水)祈祷会 説教概略 ***
マタイ9章35-38節「働き手のために祈る」
最近つくづく思わされていることがあります。この新会堂、子どもからお年寄りまでが主の前に安心して集えるようにとのビジョンの中で建てられました。ただ、人に安らぎを与えるのは建物ではないということです。
2022/01/18
マタイ16章15~19節 「キリストの教会」
*** 1/16(日)主日礼拝 説教概略 ***
マタイ16章15~19節 「キリストの教会」
皆さん、毎日お疲れ様です。ここ最近、体調を崩す方が多くいらっしゃいます。また、新型コロナウイルス感染も急増しておりまして、皆さんも色々な部分でその影響を受けておられることと思います。うちの二男も学校のスキー教室の実行委員会で、準備を頑張ってきましたが、結局中止ということになりました。「今までの苦労は何だったのか」と少し肩を落としておりました。
きっと、皆さんの歩みの中でも、多かれ少なかれそのような事があるのではないでしょうか。ただ、そういう中でも感謝なことに、私たちはこのような不条理を、交わりの中で分かち合うことができます。ともに歩む中での恵みがあります。一人で重荷を背負い込むには、厳しすぎる今の時代です。人の助けを借りることは悪いことではなく、むしろ人が活躍する機会、交わりの機会ともなり良いものでさえあるでしょう。
2020/12/21
マタイ1章18-25節 「救いinクリスマス」
*** 12/20(日)クリスマス礼拝 説教概略 ***
救い主イエス・キリストのご降誕を皆様とご一緒に喜び感謝できる幸いを覚えます。
2020年ほど前に世界で最初のクリスマスがお祝いされ、そして今現代にいたるまで世界中でキリストの降誕がお祝いされています。その最初のクリスマスの様子をみことばから味わいながら、そこにある神の救いのご計画についてともに教えられたいと思います。
2020/04/08
マタイの福音書26章36-45節 「ゲツセマネの祈り」
今週は受難週ということで、本来ならば受難礼拝や主の御苦しみを覚えての祈祷会などを持ちたいところです。しかし、緊急事態宣言がついに出ました。1か月ほどは集会が持てないことになるかと思いますので、インターネットを用いながらメッセージを届け、またコミュニケーションを取っていきたいと思います。
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