東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: マタイ16章15~19節 「キリストの教会」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

最新情報

現在、コロナの感染状況を考慮し、夜の祈祷会はお休みしています。先日の地震で被災された方々の上に神の慰めと支えがありますように。

2022/01/18

マタイ16章15~19節 「キリストの教会」

 *** 1/16(日)主日礼拝 説教概略 ***

マタイ161519節 「キリストの教会」

 皆さん、毎日お疲れ様です。ここ最近、体調を崩す方が多くいらっしゃいます。また、新型コロナウイルス感染も急増しておりまして、皆さんも色々な部分でその影響を受けておられることと思います。うちの二男も学校のスキー教室の実行委員会で、準備を頑張ってきましたが、結局中止ということになりました。「今までの苦労は何だったのか」と少し肩を落としておりました。

 きっと、皆さんの歩みの中でも、多かれ少なかれそのような事があるのではないでしょうか。ただ、そういう中でも感謝なことに、私たちはこのような不条理を、交わりの中で分かち合うことができますともに歩む中での恵みがあります。一人で重荷を背負い込むには、厳しすぎる今の時代です。人の助けを借りることは悪いことではなく、むしろ人が活躍する機会、交わりの機会ともなり良いものでさえあるでしょう。

 割と最近祈祷会に来られるようになったある姉が、祈祷会の交わりが好きだとおっしゃいました。色々な重荷を本音で分かち合えるのがありがたいと。苦しんでいる人に知って欲しいと。私もこの前の水曜日は、尋常じゃないぐらい疲れていまして、皆さんに「疲れました」と率直に分かち合うことができました。心配していただき、お祈りいただけました。こうやって祈られてやっていけるのだとつくづく思います。

 教会の交わりは、この世に置かれた交わりでありながら、神の愛とゆるしに包まれている、安らぎのある交わりです重荷を一緒に負い合い、支え合う共同体です。神様はそこにどのような恵みを与えておられるのでしょうか。神のみことばである聖書から、教えられて参ります。そして、心から集いたいなぁと思える教会をキリストの御名のもとで、みなで祈りながら築いていきましょう。

 

1. 真の教会と地域にある教会
 
 まず、ここは「キリスト教会」です。キリストの教会である条件は何でしょう?

16節のペテロの告白がそのカギになっています。

イエス様が弟子たちに向かって「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか」と尋ねました。それに対する答えが16節にあります。16節 シモン・ペテロが答えた。「あなたは生ける神の子キリストです。」 

つまり、イエス様のことを、「あなたは生ける神の子キリスト(救い主)です」と信じる、告白する者の集まりがキリスト教会なのです。
「あなたはただの大工です!」「あなたはいい先生ですが、ただの人間です!」と言う者たちの集まりは、キリスト同好会とは呼べても、キリスト教会とは呼べないということです。あるいは、立派な教会堂があって十字架を飾っていたとしても、この信仰がなければキリストの教会とは言えないでしょう。

私たち福音自由にはこういう言葉があるのです。

Believers Only, But All Believers(信じる者のみ、しかし信じる者すべて)」

もちろん信じていらっしゃらない方を大歓迎しています!どんどん来て欲しいのです。

でも、その方々に本当の安らぎを知っていただくためにも、信じている人が健全な教会運営をし、導く必要がありますよね。

主イエス様は、時代が違うとしても、国や地域が違うとしても、それらの枠を超えてご自分を信じる者すべてを一つに集められるのです。これが真の教会の姿です。世界中に数えきれない程の教会があるけれども、この信仰に立つなら同じ一つの教会、キリストのからだなのです。この理解に立つならば、聖書の時代のペテロやヨハネらと私たちは、同じ教会のメンバーです。また、どのような教派に属していようとも、キリストを信じている人は真の教会の仲間なのです

そうであるなら、私たちは自分の教会のことだけを考えるべきではありませんね。自分の教会に、他の教会から人を引っ張って来て増やしたところで、それは意味がありません。人が移動しただけで、合計したら、真の教会の人数は変わらないのですから。

それよりも私たちの群れも、あちこちの教会も一緒になって成長していくことこそが主のみこころですよね。競い合いではなく一緒に成長することです。だから私たちは他の教会のためにも祈り、助け合うのです。

 

2. キリストが頭である

一方、教会はそれぞれの地域に建てられ、その時代にあって、その教会ならではの使命をいただいていることも確かです。教会はそれぞれキリストを頭として建てられ、自律的に歩むものです。福音自由教会ではそれを、地方教会の自治(ローカルオートノミー)と呼びます。キリストのご支配のもとで、それぞれの教会が自律的に、自主的に活動するのです。

上の権力者がいて、鶴の一声で決まるような歩みではありません。教会のリーダーは、牧師でも役員さんでもなく、イエス・キリストです。

みんなで主イエス様のみこころは何かを絶えず求めながら歩んで行きます。

18節にこうあります。

そこで、わたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。よみ(ハデス)の門もそれに打ち勝つことはできません。(マタイ16:18)  

ペテロとは「岩」という意味です。ペテロがした「あなたは生ける神の子キリストです」との信仰告白の上に「わたしの教会」を建てますとキリストが言われたのです。つまり、キリストがお建てになるキリストの教会なのです。

あなたがたが建てるとはおっしゃらず、「わたしが建てる」とおっしゃっていますよね。教会は、「俺たちがここまでにしたんだ!私がいなかったら今の教会はない!」と、言い出すと祝福を失います。神様の助けなしには教会は存続すらできないのですから。だから、尊いのです。神様が建てるからこそ、霊的なのです。恵みとあわれみが満ちているのです。

イエス様は「わたしの教会」を建てると言われました。教会の所有者はイエス・キリストだとわかりますね。イエス様が所有しイエス様が治め、教会で起こるすべての責任をイエス様が取ってくださる。キリストが満ちている場とすることが、キリストに仕える私たちの使命なのです

リーダーのイエス様が「思い煩いを一切ゆだねなさい。ここに来て重荷を降ろしなさい」と言われます。だから、私たちはここでは気負わず、鎧を脱いでいいのです。だから私も「疲れました」と率直に申し上げました。弱さも欠けも率直に分かち合いながら、互いに祈り合い、主のみことばの希望をともに告白していくのです。

  

3. 教会に与えられている力と使命
 
 では、キリストの教会にはどのような力と使命が与えられているのでしょうか。
 18節の最後の一文にこうあります。「よみの門もそれに打ち勝つことはできません。」「よみ」とは「ハデス」ということばの訳です。

 それは、罪赦されていない者たちの死後の世界を表します。滅びの世界です。このような「よみ(ハデス)の門」も、それに打ち勝つことはできませんとあります。「それ」とは何でしょう?キリストを信じる者達の集い、教会のことです。 

 つまり、教会は、この地上に存在し目に見えるものでありながら、死の力、よみ(ハデス)に勝利できる権限を与えられている言うのです。死者をのみこみ、滅ぼそうと口を開けている「よみの門」に対して、余裕で勝利することができると言うのです。

教会って、すごくないですか? さらに19節にこのようにあります。

19節 わたしはあなたに天の御国の鍵を与えます。あなたが地上でつなぐことは天においてもつながれ、あなたが地上で解くことは天においても解かれます。」

イエス様のことを「あなたは生ける神の子キリストです」と告白する教会に向かって、「天の御国の鍵」を与えると言われました。滅びの門を封鎖し、天国の門を開くことができる!これが教会に与えられた権限なのです。このサンライズチャペルにも、このカギが与えられているのです。教会でなされる働きはすべて、天国に直接つながっているということなのです。教会が地上で何かをなしたならば、それは天の御国につながり、天に宝を積むことになります。

滅びの門はシャットアウトでき、天国の門を開いて人々を御国に導けるのです。またその天からの祝福が教会を通してこの地に注がれるのです。

神様はこんな素晴らしいカギをこのキリスト教会に与えてくださっているのです!

ですから、この真実をしっかり信じて、主のみこころをなしていきましょう

私たちが思う以上に、教会には恵みの力が与えられているのです。これを信じて、恐れず大胆に祈り、主のわざをして良いのではないでしょうか? クリスチャンは教会から派遣され、この世界でどんどん活躍して欲しいと願います。職場に一人のクリスチャンがいれば、そこは祈られる場となります。天の窓を開く鍵があるのですから、その人から祝福が広がりますよね!また、この世界にある様々な被造物の管理も、もっと神のみこころを知る人々ができたらと願います。御国の鍵を持つ者だからこそ財を豊かに与えられたなら、主のご用のために用いたいのです。それらが祝されます!

 

 神様はみことばをもって私たちに語っておられます。

 「あなたは生ける神の子キリストです」との信仰告白をするキリストの教会として、全世界のキリスト教会とともに、神の国の建設のために労したいと願います。キリストが頭であり、この方が互いに愛し合い重荷を負い合うようにと教えてくださるので、教会はいつでも互いに愛し合う交わりを築きます。教会同士も競い合わず、助け合うのです。

 そして、教会には天の御国の鍵が与えられています。この恵みの力を信じて、この世界においてキリスト者、キリストの教会にしかできない使命をまっとうしていきましょう。




1. 
 

1番


2番


3番


 21章25-26節


教会へのメールはこちらから

名前

メール *

メッセージ *