東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: 2025年度メッセージ
東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel
プロテスタント、福音派のキリスト教会です。久米川駅南口から徒歩6分(3駅利用可)。
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主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)
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2025/12/02
創世記 3章14-15 「最初のクリスマス預言」
*** 11/30(日)主日礼拝 説教概略 ***
最初の人、アダムとエバが神によって造られた時、本当に幸せで満ち足りていたはずでした。彼らが住まう「エデンの園」。そこは緑豊かなとても美しい園。動物たちとも人が仲良く暮らすことのできる楽園です。色とりどりの木々の実りが豊富にあって、自由に食べることも許されていました。何よりも自分たちを造り、愛してくださっている神様との日々の語らいは、いつも平安で、喜びに満ちたものでした。祝福が溢れていました。
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2025/11/24
第二ペテロ3章8-15節「主の忍耐という救い」
*** 11/23(水)礼拝説教概略 ***
先週は2つの研修があり、普段とは異なる忙しさがありましたが、非常に恵み豊かな1週間でした。前半の研修は主催者側として、後半の研修は参加者側としての参加でした。後半の研修は、
20
名ほどの献身者の集まりでした。その
交わりに励まされ、とても有意義な時を持たせていただきました。
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2025/11/18
ヘブル7章1-19節「神に召された永遠の祭司」
*** 11/16(日)主日礼拝 説教概略 ***
信頼できる「仲介者」がいて、とても助かけられたという経験があるでしょうか。信頼できる人が間に入って、紹介や推薦をしてくれたおかげで、仕事がスムーズに進んだとか、新しい出会いが生まれたということがありますよね。
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2025/11/14
ピリピ1章22-26節 「私の願いと神の願い」
*** 11/12(水)祈祷会 説教概略 ***
イエス様は十字架にかかる直前に、葛藤を覚え、悲しみもだえられました。
そして、ゲツセマネの園にて祈りの格闘をなさったのでした。その祈りはこのようなものでした。
「
わが父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしが望むようにではなく、あなたが望まれるままに、なさってください
」と。
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2025/11/11
ネヘミヤ記12章43節 「One Voice 神の家族の歌声」
*** 11/9(日)主日礼拝 説教概略 ***
ある教会のビジョンは
「ひとりぼっちの人がいない教会を目指す」
というものだと聞いたことがあります。シンプルですが決して簡単
ではありませんよね。孤独を覚える人は必ず起こりえます。しかし、
「人がひとりでいるのは良くない」
と言われた主です。神様がひとりぼっちになることを望んでいるはずがありません。
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2025/11/06
ピリピ1:19-21「生きることはキリスト」
*** 11/5(水)祈祷会 説教概略 ***
先週は、不純な動機であろうがなんだろうが、イエス・キリストの福音が伝えられていることを、パウロが大きな心で喜んでいるということを学びました。私たちに対抗意識を持つ人が、私たちの周囲にもいるかも知れません。しかし、そこに心やエネルギーをとられること自体がもったいないことです。それらさえも神様の大きな愛の働きの中に呑み込んで、大切なことを失わないようにしたいのです。
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2025/11/04
ヘブル6章13-20節「安全で確かな希望」
*** 11/2(日)主日礼拝 説教概略 ***
多くの人は、笑顔に満ちた幸せな人生を送りたいという「希望」を持つでしょう。しかし、
この希望を持ってさえいれば、望んだような人生になる
のでしょうか。その保証があるでしょうか。残念ながら人にはその保証はできません。希望自体がどんなに魅力的で良いものでも、そこにたどり
着くための道を間違えれば
、そのゴールには到達できないのです。根拠なき希望だけでは、人は幸せにはなれないのではないでしょうか。
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2025/10/30
ピリピ1:12-18「主の大きな愛の中で」
*** 10/29(水)祈祷会 説教概略 ***
この手紙の
4
章
11
節でパウロはこう語っています。「
私は、どんな境遇にあっても満足することを学びました
」と。どんな境遇でも満ち足りる。それを牢獄の中で言い切れるのは驚きです。それはどこから来るのでしょう。続く
13
節に「
私を強くしてくださる方によって
」とある。もちろん、主イエス・キリストです。
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2025/10/23
ピリピ1章9-11節「愛を育てる」
*** 10/22(水)祈祷会 説教概略 ***
今日のところでは、パウロの「とりなしの祈り」が語られています。パウロがピリピのクリスチャンのために、何をどのように祈っているのか。それを具体的に伝えることによって、それ自体がメッセージにもなっています。そこで何が大切にされているのかが見えて参ります。
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2025/10/21
エレミヤ書7章16-34節「神との人格的な交わり」
*** 10/19(日)主日礼拝 説教概略 ***
先々週、元カルト宗教の信徒で、現在牧師をなさっている方の講演を視聴させていただき、とても教えられました。若い頃に感じていた空しさに付け込まれ、偽りと上辺の優しさに騙されたということでした。マインドコントロールが進むと抜け出すのも大変です。
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2025/10/18
ピリピ1章6-8節「愛の共同体」
*** 10/15(水)祈祷会 説教概略 ***
日~月曜にかけて教会のリトリートが持たれました。時間としては決して長くはありませんでしたが、それでも普段よりゆっくり皆で過ごすことができ感謝でした。
私たちのほとんどは普段は別々の場所で生活しています。教会で会うとしても、多い時で週3ぐらいでしょうか。限られた時間です。
だから、ほとんどの時間、私たちは離れた別の地で過ごしています。
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2025/10/15
ヘブル6章4-12節「希望の信仰 ~後退せず、前進しよう~」
*** 10/12(日)主日礼拝 説教概略 ***
以前、日光の「いろは坂」を車で登っていた時のことです。ガソリンを入れ損ねて登り坂に突入したため、燃料ランプが点灯しながら、長い坂道をクネクネと登っていました。登り坂の途中で燃料が切れたらと思うと、気が気ではありませんでした。前に進み続けるためには、燃料が十分になければならないのです。そして登り坂ほどより多くの燃料が必要でしょう。
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2025/10/08
ピリピ1章1-5節「キリスト・イエスのしもべ」
*** 10/8(水)祈祷会 説教概略 ***
ピリピ人への手紙から、主の御声に聴いてまいりたいと思います。この手紙は「喜びの手紙」、また「友情の手紙」などと言われています。ですので、どんな境遇でも喜びを失わない信仰、信仰の仲間との一致と協力について教えられることができると言えます。
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2025/10/07
エレミヤ書7章1-15節「神のいない神の宮」
*** 10/5(日)主日礼拝 説教概略 ***
私たちは「
キリスト教会
」に集っています。ただ、そう名乗る以上、教会にはいつでも、キリストがおられるということが必要不可欠ですよね。キリスト教会なのですから。ところが、教会も世俗化することや、イエス様の姿が見えない場所になることがあり得るのです。建物や組織は立派でも、中身がない。厚い信仰も祈りも愛もない。そうなることはあり得ますよね。だから私たちは、主の御声に聞き続け、
1
回
1
回の礼拝や日々の信仰生活の中身を大事にする必要があります。
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2025/10/02
エステル記9章20節-10章3節「プリムの祭り」
*** 10/1(水)祈祷会 説教概略 ***
エステル記の学びも最後になりました。エステル記では、神の名が伏せられ、一度も登場していない珍しい書でした。しかし、名は登場せずとも、
そこに主の臨在が確かにあり、主の救いがありましたね
。私たちも、目には見えないお方を信仰によって、いつでもすぐ目の前に見るようにして歩んで参りたいのです。
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2025/09/29
ヘブル5章11節-6章3節「成熟を目指して」
*** 9/28(日)主日礼拝 説教概略 ***
少し前に、親しい友人牧師がこんな事を語っていて心に留まりました。
「
どんなに優れた才能(賜物)も、その人の人格が育てられなければ、
それを生かすことができない
」と。本当にそうだなと思います。実際、とても才能ある人々が麻薬等に手を出し、あるいは、天才と呼ばれる人が一度の挫折から総崩れしていく。社会を見ていると「もったいないなぁ」と思うことが多いですよね。才能あるのに・・・と。
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2025/09/24
エステル記9章1-19節「後に残したいもの」
*** 9/24(水)祈祷会 説教概略 ***
「今さえ良ければ」という刹那的な人生は、やはり孤独でむなしいものです。聖書が示すように、いつまでも残る尊いもののために生きる時、私たちの心は真に喜び、満たされるのではないでしょうか。そして「負の遺産」ではなく「良い遺産」を将来に、次世代に残していきたいのではないでしょうか。みことばから教えられます。
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2025/09/18
エステル記8章1-17節「勝利者として生きる」
*** 9/17(水)祈祷会 説教概略 ***
第一ヨハネ
5:4
にこうあります。「
神から生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。
」キリスト者は、既に罪とこの世の様々な悪しき存在に勝利しています。キリストが十字架の上で勝利されたからです。ですから、敗北者としてではなく、滅びることのない勝利者として歩んでいきましょう。
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2025/09/15
エレミヤ書6章1-30節「人生の分かれ道」(朗読:10-17節)
*** 9/14(日)主日礼拝 説教概略 ***
少し前に、中高生会で、ある教会学校の先生の話をしました。中学生になる時に、不良の道に行くか、それともイエス様について行くのかで悩んだそうです。「ええ!あの先生が?信じられない!?」と驚いている人もいました。不良の子分になるのか、イエス様の弟子になるのか。チェーンを持つのか、聖書を持つのか悩んだのです。
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2025/09/11
エステル記7章1-10節「御霊によって語る」
*** 9/10(水)祈祷会 説教概略 ***
私たちが新会堂に移転する際、あらゆることが主により備えられていました。私たちの知らないところで、多くの備えがあったのです。私たちはある時まで、それを知りませんでした。ただ一つ、大事にしたことは、
主を信頼してみこころを行うこと
でした。
この時のエステルも、
主に信頼してみこころを行うだけ
でした。そして、彼女に出来ることは王様に誠意をもってお願いすることだけでした。
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