東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: 2025年度メッセージ
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

最新情報

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2025/10/18

ピリピ1章6-8節「愛の共同体」

*** 10/15(水)祈祷会 説教概略 ***

 日~月曜にかけて教会のリトリートが持たれました。時間としては決して長くはありませんでしたが、それでも普段よりゆっくり皆で過ごすことができ感謝でした。私たちのほとんどは普段は別々の場所で生活しています。教会で会うとしても、多い時で週3ぐらいでしょうか。限られた時間です。だから、ほとんどの時間、私たちは離れた別の地で過ごしています。


2025/10/15

ヘブル6章4-12節「希望の信仰 ~後退せず、前進しよう~」

 *** 10/12(日)主日礼拝 説教概略 ***

 以前、日光の「いろは坂」を車で登っていた時のことです。ガソリンを入れ損ねて登り坂に突入したため、燃料ランプが点灯しながら、長い坂道をクネクネと登っていました。登り坂の途中で燃料が切れたらと思うと、気が気ではありませんでした。前に進み続けるためには、燃料が十分になければならないのです。そして登り坂ほどより多くの燃料が必要でしょう。


2025/10/08

ピリピ1章1-5節「キリスト・イエスのしもべ」

*** 10/8(水)祈祷会 説教概略 *** 

 ピリピ人への手紙から、主の御声に聴いてまいりたいと思います。この手紙は「喜びの手紙」、また「友情の手紙」などと言われています。ですので、どんな境遇でも喜びを失わない信仰、信仰の仲間との一致と協力について教えられることができると言えます。


2025/10/07

エレミヤ書7章1-15節「神のいない神の宮」

*** 10/5(日)主日礼拝 説教概略 ***

 私たちは「キリスト教会」に集っています。ただ、そう名乗る以上、教会にはいつでも、キリストがおられるということが必要不可欠ですよね。キリスト教会なのですから。ところが、教会も世俗化することや、イエス様の姿が見えない場所になることがあり得るのです。建物や組織は立派でも、中身がない。厚い信仰も祈りも愛もない。そうなることはあり得ますよね。だから私たちは、主の御声に聞き続け、11回の礼拝や日々の信仰生活の中身を大事にする必要があります。


2025/10/02

エステル記9章20節-10章3節「プリムの祭り」

 *** 10/1(水)祈祷会 説教概略 ***

 エステル記の学びも最後になりました。エステル記では、神の名が伏せられ、一度も登場していない珍しい書でした。しかし、名は登場せずとも、そこに主の臨在が確かにあり、主の救いがありましたね。私たちも、目には見えないお方を信仰によって、いつでもすぐ目の前に見るようにして歩んで参りたいのです。


2025/09/29

ヘブル5章11節-6章3節「成熟を目指して」

 *** 9/28(日)主日礼拝 説教概略 ***

 少し前に、親しい友人牧師がこんな事を語っていて心に留まりました。
どんなに優れた才能(賜物)も、その人の人格が育てられなければ、 それを生かすことができない」と。本当にそうだなと思います。実際、とても才能ある人々が麻薬等に手を出し、あるいは、天才と呼ばれる人が一度の挫折から総崩れしていく。社会を見ていると「もったいないなぁ」と思うことが多いですよね。才能あるのに・・・と。


2025/09/24

エステル記9章1-19節「後に残したいもの」

*** 9/24(水)祈祷会 説教概略 ***

「今さえ良ければ」という刹那的な人生は、やはり孤独でむなしいものです。聖書が示すように、いつまでも残る尊いもののために生きる時、私たちの心は真に喜び、満たされるのではないでしょうか。そして「負の遺産」ではなく「良い遺産」を将来に、次世代に残していきたいのではないでしょうか。みことばから教えられます。


2025/09/18

エステル記8章1-17節「勝利者として生きる」

*** 9/17(水)祈祷会 説教概略 ***

 第一ヨハネ5:4にこうあります。「神から生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。」キリスト者は、既に罪とこの世の様々な悪しき存在に勝利しています。キリストが十字架の上で勝利されたからです。ですから、敗北者としてではなく、滅びることのない勝利者として歩んでいきましょう。
 

2025/09/15

エレミヤ書6章1-30節「人生の分かれ道」(朗読:10-17節)

 *** 9/14(日)主日礼拝 説教概略 ***

 少し前に、中高生会で、ある教会学校の先生の話をしました。中学生になる時に、不良の道に行くか、それともイエス様について行くのかで悩んだそうです。「ええ!あの先生が?信じられない!?」と驚いている人もいました。不良の子分になるのか、イエス様の弟子になるのか。チェーンを持つのか、聖書を持つのか悩んだのです。

2025/09/11

エステル記7章1-10節「御霊によって語る」

*** 9/10(水)祈祷会 説教概略 ***

 私たちが新会堂に移転する際、あらゆることが主により備えられていました。私たちの知らないところで、多くの備えがあったのです。私たちはある時まで、それを知りませんでした。ただ一つ、大事にしたことは、主を信頼してみこころを行うことでした。

 この時のエステルも、主に信頼してみこころを行うだけでした。そして、彼女に出来ることは王様に誠意をもってお願いすることだけでした。


2025/09/08

ヘブル5章4-10節「神によって大祭司と呼ばれた方」

*** 9/7(日)主日礼拝 説教概略 *** 

小学校3年生の秋に、私は父の転勤で宮城から東村山に転校してきました。しかし、授業の進み具合はもちろんのこと、生活のあらゆることがあまりに違い過ぎて、一気に落ちこぼれました。「分数何それ?」「ハーモニカ?触ったこともない」といった具合です。長らく腹痛が続き、不登校の一歩手前です。


2025/09/03

マルコの福音書4:1-20 「恵まれやすい器となる」

*** 8/31(日)主日礼拝 説教概略 ***

 現在、祈祷会でエステル記から講解説教をしていますが、実に興味深い書だと感じています。なんと言っても、聖書なのに神様の名前が一切出て来ないのです。それにも関わらず、クリスチャンが味わうならば、あらゆるところに神の御手を確かに発見できるのです。まるで、隠されている宝を発見するかのような楽しさです。

 でも実は、私たちの毎日の生活も同様なのです
 

2025/08/27

エステル記5章9-6章4節「主の御手が確かにある」

*** 8/27(水)祈祷会 説教概略 ***

 今日の場面では、宴会の後のハマンと王の様子があります。ユダヤ人の行く末を決する日の決戦前夜、エステルとモルデカイがあずかり知らないところで、何が起こっていたのでしょうか。ある注解書にこうありました。「神の御名はこの書に現れないが、神の御手は至るところに明白に見受けられる」と。主の御手が確かに動き、着々と主の救いが起こっていることが分かります。ハマンとクセルクセス王、それぞれに主が臨んでいます。


2025/08/19

ローマ書6章6-14節「神に向かって生きる」

*** 8/17(日)主日礼拝 説教概略 ***

 私たちの教会では、今年度から数年に渡って「サンライズ・イキイキ・プロジェクト」という取り組みをしています。イエス様を信じるクリスチャンですから、イキイキと歩んで証しをしていきたい。ただ、それは心の持ちようでどうにかするものではありません。鏡の前で無理に笑顔を作るという方法でもありません。人間的な努力によらないのです。


2025/08/13

エステル記5章1-8節「祈りの備え」

*** 8/13(日)主日礼拝 説教概略 ***

 祈りは神様との友情そのものです。祈るほどに、主の語りかけが聞こえるようになり、その距離が近くなります。友情が深まるのです。そして主の偉大な力を知ることになります。

 

2025/08/11

エレミヤ書5章1-31節「主の道を知る者」

*** 8/10(日)主日礼拝 説教概略 ***

 教会に行くと(健全な教会であるならば)、私たちすべての人間には「罪」があると語られます。それは決して、心地の良いものではありません。いや、できればあまり触れないでおきたい話かもしれませんね。誰もが「いい人」ということにしておく方が明らかに平和です


2025/08/06

エステル記4章1-17節「神があなたをここに置かれている」

*** 8/6(水)祈祷会 説教概略 ***
 神様にはいつでも、人の考えを超えた不思議で豊かなご計画があります。ですから私たちは、自分が置かれているところで、与えられた役割が「何かある」と心に留めたいと思うのです。「もしかすると、このために?」と、主のみ旨に目を向けていきましょう。


2025/07/28

ヘブル5章1-3節「弱さを持つ大祭司」

*** 7/27(日)主日礼拝 説教概略 ***

 神学校の「牧会学」の授業で、あるエッセイレポートの課題が出ました。テーマは、「どんな牧師になりたいか」ではなく、「どんな牧師に牧会(ケア)されたいか」というテーマでした。「どんな牧師になりたいか」であれば、「カッコ良くてトークがうまい牧師」とか、「威厳があって尊敬される牧師」などをイメージするかも知れません。でも、「自分が牧会されたい牧師」と言う場合は、それとは違いました。

2025/07/09

エステル記3章7-15節「どの民族とも違っている神の民」

 *** 7/9(水)祈祷会 説教概略 ***

 イエス様は、あなたがたは「地の塩」ですと言われました。塩は決して塩気を失ってはなりません。塩味がしっかり効いて味に違いを現わし、腐敗防止の役目もあります。クリスチャンは、この世に属する他のどのような人々とも違っている必要があるのです。溶け込み過ぎて、何も変わらないならその存在意義は失われるでしょう。


2025/07/07

ヘブル4章14-16節「私たちの大祭司イエス」

*** 7/6(日)主日礼拝 説教概略 ***

 心の奥にあるものを見透かされている。そんな気がすると、「怖い」と感じることはないでしょうか。イエス様の一番弟子となったペテロも、「イエス様はすべてを見抜いておられるのでは?」と思った時に、「主よ、私のような者から離れてください」と恐れましたよね。


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