東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: ピリピ2章19-24節「信仰の友」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2026/01/16

ピリピ2章19-24節「信仰の友」

 *** 1/14(水)祈祷会 説教概略 ***

 私たちにとって「信仰の友」の存在はとても重要です。一人では弱くても、友や仲間が一緒ならばどれほど励まされ、強くされるでしょうか。また、友情を前提とした「信仰による主従関係」も宣教において重要な役割を持つでしょう。



 パウロは孤独な伝道者ではありませんでした。多くの友、弟子たちと協力して宣教を進められたのです。その中でも、パウロの右腕とも言えるテモテの存在は非常に大きかったでしょう。彼が動けない時でも、テモテを通して彼の考えを伝えることができ、テモテが見て来たものを聞けば、自分が見て来たように受け入れることができたのではないでしょうか。テモテなしでは、パウロは存分に力を発揮できなかったとも言えます。

 でもそれは、パウロの指導力だけでの話ではなく、テモテの謙遜と従順によって成立したとも言えるのです。このような信仰における友情と師弟関係は、互いを励ますことができ、宣教を豊かに前進させるでしょう。どのようにして、その思いにおいて一つになれるのか。ご一緒に教えられて参りましょう。

 

19私は早くテモテをあなたがたのところに送りたいと、主イエスにあって望んでいます。あなたがたのことを知って、励ましを受けるためです。 

 パウロは自分が獄中にあるために、ピリピに行く事が出来ませんでした。しかし、その代わりに友であり愛弟子であるテモテを派遣しようとしていたのです。自分の代わりに送り出すぐらい、パウロはテモテを信頼し、自分の右腕のように思っていました。テモテを遣わせば、ピリピ教会の現状を正しく、霊的な面も含めて知ることができると考えたのです。そして実に、こうしたパウロとテモテのような友情、信頼関係が当時の宣教の重要なカギとなっていたことでしょう宣教の働きは協力なくしては不可能だからです

 孤独な働きは本当に弱く、長続きしないものです。しかし、助け合える仲間があり、様々な知恵と賜物が動員されるなら、働きは豊かにされ、また支え合う交わりの中で長く継続することができるのです。

 パウロにとって、テモテは非常に信頼して任せられる仲間でしたし、テモテからしても、頼りになる先輩で、非常に良い関係だったのでしょう。この手紙の1章1節をちょっと見ていただくと、「パウロとテモテから」ピリピにいる聖徒たちへと、連名で記されていましたね。パウロがこの手紙の主な著者だとしても、テモテも同じ思いでいるために差出人名にテモテの名前も記されているのです。

 そして、2章20節にはこうあります。
20テモテのように私と同じ心になって、真実にあなたがたのことを心配している者は、だれもいません。 

 特に「私と同じ心になって」と語られています。ここまで同じ心で奉仕できる仲間の存在はとても貴重です。パウロのテモテに対する美しく、羨ましいほどの信頼がよく現れていますよね。それらは宣教において、大きな証しともなっていました。クリスチャンの持つ信仰における友情は、誰が見ても魅力的に見えたはずです。

 では、私たちがこのような真の友情を築いていくためには、どうしたらいいのでしょうか。パウロとテモテは、元々の生まれ育った背景が似ているとか、相性が良いとか、そういったことのゆえに上手く行ったのでしょうか。そうではないと思うのです。彼らの住んでいた世界は、全く異なるものであったでしょう。

 パウロは生粋のユダヤ人であったのに対し、テモテのお父さんはギリシヤ人、異邦人でした。テモテは、お母さんがユダヤ人とはいえ、少なからずギリシヤの文化にも身を置いていたでしょう。実際、テモテは、後から受けることになるのですが、元々は割礼を受けていませんでした。ですから、ユダヤ社会に生きていた人ではなかったと分かりますよね。また、性格もかなり異なっていたように思います。

 二人は全く異なる背景を持つ者だったのでしょう。ではなぜ、20節で「私と同じ心になって」と言うほどに、ここまで信頼し合い一致しているのでしょうか。この信頼関係は、一体どこから来るのでしょうか。

 それこそは、イエス・キリストから来るのです

 彼らの真ん中にキリストがおられる。「キリストの愛」に根ざした友情、師弟関係なのです。21-22節にこのようにあります。

21みな自分自身のことを求めていて、イエス・キリストのことを求めてはいません。22しかし、テモテが適任であることは、あなたがたが知っています。子が父に仕えるように、テモテは私とともに福音のために奉仕してきました。 

 多くの人が自分自身のことを優先しがちです。クリスチャンであっても、そういう面がないとは言えません。しかし、パウロとテモテが一致したのはキリストを求める姿勢においてでした。それは人間業ではありません。御霊の働きです。

 同じキリストの心を共有しているのです。キリストを伝える熱い思いに共感し合っている。同じ思いで励んでいたのです。テモテを見ればパウロのキリスト信仰が見えて来るし、パウロを見てもテモテのキリスト信仰が見えるような関係です。そこに一致や一貫性が生まれ、働きはよりスムーズになりますよね。

 また、22節の後半では、このようにも語られています。「子が父に仕えるように、テモテは私とともに福音のために奉仕してきました」 「子が父に仕えるように」と語られています。二人の関係性は信仰の友であると同時に親子のような関係にも例えられています。テモテは非常に謙遜でした。そして、リーダーであるパウロを立て、彼に謙虚に従ったのですリーダーがその賜物を発揮するためには、リーダーを敬い、その人を立てる周囲の謙虚さが必要です。年齢は関係ありません。主が立てたリーダーに対して、尊敬を払って従順に従い、そのようにして福音のために一緒に奉仕する時、それぞれの賜物が生きますよね。私も最近はどうしても、リーダー的な立場に立つことが増えていますが、逆に、若い人がリーダーに立って下さった際に、どのように謙虚に従い、お支えできるか。それを自分も問われなければならないと考えています。そしてパウロは、テモテの姿勢に心から感謝しています。テモテはパウロに仕える姿勢を持ち、良いチームワークを築きました。良いチームになると働きはしやすくなります。逆に、チーム間でのトラブルや、福音理解の不一致、そうしたことに時間やエネルギーを取られてしまうと、肝心の働きそのものに注ぐ力がそがれてしまうのです。それは残念なことです。

 

 私たちはどうでしょうか。キリストを共有する交わりを大切に出来ているでしょうか。キリストに仕える思いにおいて一致したいのです。「キリストを伝えたい」という思いにおいて一つでありたいのです。それぞれの賜物は違います。役割も違います。健康状態も違うし、ささげられる時間も違うでしょう。しかし、キリストに従う点は同じです。同じ御霊の助けを受けて奉仕します。そして、牧師に限らず、それぞれの場に立てられた信仰のリーダーに対して子が父親に従うように従い、ともに福音に仕えていきましょう。


引用元聖書
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