東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: 2022年度メッセージ
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2023/06/03

御霊によって生きる

*** 5/31(水)祈祷会 説教概略 *** 学び資料

「御霊によって生きる」

序. イエス・キリストを信じるすべての人の内には、聖霊が住まわれる(内住の聖霊、御霊)。聖霊は、クリスチャンの内にいて力を与え導かれる。ヨットが風をしっかりと帆で受けて前進することができるように、私たちの信仰生活も自分の手で必死にこぐような歩みではない。聖霊の風をしっかりと受けて前進するもの。そういう意味で、聖霊は信仰生活の原動力である。みことばにおいて、「御霊に満たされなさい」(エペソ5:18「御霊によって歩みなさい」(ガラテヤ5:16と命じられている。

 

2023/04/04

第一ヨハネ2章1-2節「宥めのささげ物となられたイエス」

*** 4/2(日)主日礼拝 説教概略 ***

第一ヨハネ21-2節「宥めのささげ物となられたイエス」

 新しい年度の最初の礼拝です。様々な変化のタイミングでもあります。期待もありますが、不安の方が大きいかも知れませんね。緊張もあるでしょう。
 
 ですから、勝利の主から目を離さないで歩んでいきませんか?主イエス様は言われました。「世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」(ヨハネ16:33

2023/03/30

ヨブ記40-41章「全能者と取るに足りない者」

*** 3/29(水)祈祷会 説教概略 ***

ヨブ記40-41章「全能者と取るに足りない者」

私は最近、このように思うことがありました。自分は無知だったし、経験も足りなかったからこそ、言いたいことが言えた部分があるのだなと。
若い頃は、説教に対する批判的意見も言えましたが、自分がいざ経験し苦労するようになると言えなくなります。無知だからこそ言えてしまうこともあるのです。
箴言1223では「賢い人は知識を隠し、愚かな者は自分の愚かさを言いふらす」とあります。無知な者ほど必要な沈黙を守らず、騒がしく文句や意見を言い、結果的に自分の無知や愚かさを露呈してしまうのです。

2023/03/28

マルコ10章13-16節 「子どもからお年寄りまで(1)」

 *** 3/26(日)主日礼拝 説教概略 ***

マルコ1013-16節 「子どもからお年寄りまで(1)」


 もう20年ぐらい前のデータですが、大学生等の若者を対象に「理想の教会とは」というアンケートがなされました。クリスチャンだけでなく、ノンクリスチャンの意見も聞いたようです。「理想の教会」の答えとして最も多かったのは「世代を超えたアットホームな教会」ということでした(2位:人生の真理の説き明かし)

2023/03/23

ヨブ記38-39章「世界を造り、保持しておられる主」

*** 3/22(水)祈祷会 説教概略 ***

ヨブ記38-39章「世界を造り、保持しておられる主」

 創世記で神様はアブラハムに空の星を見なさいと言われました。イエス様は群衆に、野の花や空の鳥を見なさいと語りかけました。神様によって造られたこの世界がいかに壮大で、いかに緻密に造られているのか。また、造られたこの世界が持続しているのも、主が豊かに管理し、保っていてくださることをお示しになり、ご自身を現わされました。

2023/03/21

詩篇119篇105-112節「みことばに親しみ、みことばに生きる(2)」

*** 3/19(日)主日礼拝 説教概略 ***

 詩篇119105-112節「みことばに親しみ、みことばに生きる(2)」

 2週前のメッセージで、同じく詩篇119篇のこの直前の個所から語られました。おもに「みことばに親しむ」ということが中心テーマでしたね。神様のみおしえを愛し、いつも自分の心に思いめぐらして、自分の思いになるかのようにするということでした。

 今日は、このタイトルの後半の方によりフォーカスします。それは、「みことばに生きる」ということです。みことばに親しんでみことばが自分の心に蓄えられるだけで終わるのでありません。与えられた主のみことばによって生きていくのです。

2023/03/15

ヨブ記38章 「問う者から問われる者へ」

*** 3/8(水)祈祷会 説教概略 *** ※先週分になります

ヨブ記38章 「問う者から問われる者へ」

 これまで、ヨブと4人の友人が、苦しみの意味について、神様のみこころと関連づけて問答が繰り広げられてきました。それぞれに正しいと思うことを言い合い、もちろんそこに、多くの正しいこと、真実も含まれていました。特に最後に語ったエリフのことばは、主のみこころに近く、色々な意味で備えとなっていたとお話しました。けれども、不完全な人間の言い分でもありましたから、ますます神様ご自身がお語りになることへの期待が膨らんで参りました。この38章で見守っておられた主がようやく語られます。1節。

1節 主は嵐の中からヨブに答えられた。 

2023/03/13

第一ヨハネ1章5-10節「光の中を歩もう」

*** 3/12(日)主日礼拝 動画配信 ***

第一ヨハネ1章5-10節「光の中を歩もう」

 光の中を歩もうというテーマですが、「光の中を歩む」って何なのでしょうか。

 罪を一つも犯さず、きよく正しく生きることでしょうか。

 確かに、そうできるのなら光の中を歩んでいると言えるでしょう。

 けれど、神のことばである聖書は、人は誰もが生まれながらに罪人であると教えていますよね。ですから「私にはまったく罪がない、闇など一切ない」と言うことは、正直とは言えず、かえって「闇の中を歩んでいる」のではないでしょうか。

2023/03/08

詩篇119篇97-104節「みことばに親しみ、みことばに生きる(1)」

*** 3/5(日)主日礼拝 説教概略 ***

詩篇119篇97-104節「みことばに親しみ、みことばに生きる(1)」

 早いもので3月となりました。今年度最後の月です。今年度、私たちの教会では、「受ける者から、与える者へ」というテーマで取り組んできました。

第二コリントの97節「一人ひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は、喜んで与える人を愛してくださるのです。」

 このみことばを年間聖句として歩みました。皆さんご自身、今年度4-3月を振り返っていただく時、このみことばにどのように向き合い、取り組んで来られたでしょうか。「受ける者から与える者へ」いくらでも踏み出せたでしょうか。

2023/03/02

ヨブ記32~37章 青年エリフ

*** 3/1(水)祈祷会 説教概略 ***
ヨブ記32~37章 「青年エリフ」

 321節「この三人はヨブに答えるのをやめた。ヨブが自分を正しいと思っていたからである。」と始まります。ヨブが自分の正しさの主張をどうやっても曲げず、ヨブの心も開かれなかったので、3人は答えることをやめました。

 そこで満を持して登場するのが、青年エリフです。
2 すると、ラム族のブズ人バラクエルの子エリフが怒りを燃やした。彼は、ヨブが神よりも自分自身のほうを義としたので、ヨブに向かって怒りを燃やしたのである。

2023/02/27

第一ヨハネ1章1-4節「私たちの交わりとは」

*** 2/26(日)主日礼拝 説教概略 ***

第一ヨハネ1章1-4節「私たちの交わりとは」

 今年の秋に、サバティカルと呼ばれる研修休暇を少し長めにいただくことを役員会で了承していただきました。計画では、カーフェリーで九州に入り、車で九州(長崎)のキリスト教関連施設めぐるなどしたいと思っています。帰りは、中国・近畿地方から北陸を経由して戻って来ようと考えています。おそらく車で2000キロ以上走ることになるでしょう。

2023/02/22

ヨブ記31章 「神の前の正しさとは」

*** 2/22(水)祈祷会 説教概略 ***

ヨブ記31章 「神の前の正しさとは」

 31章では、3人の友人のことばが終わり、ヨブの最終弁論となっています。そして、ここでヨブは、非常に熱心に自分の正しさを弁明しています。多くの罪の具体例を列挙し、ヨブはそのいずれの罪も犯さず歩んできたのだと述べているのです。

2023/02/21

民数記35章10-15節、22-28節「逃れの町」

*** 2/19(日)主日礼拝 説教概略 ***
民数記3510-15節、22-28節「逃れの町」

 民数記も終盤となりました。ここでは、約束の地での生活に備えて、神様が町の整備を命じておられます。特にタイトルにあるように「逃れの町」を各所に設けるようにと教えておられます。「逃れの町」という存在、私はとても慰められるなといつも思っています。逃れられる場があるというのは、人にとって大きな安心になります。

 特に現代は、昔よりも色々なものから逃れられない時代になっていると言えます。本当の意味で1人になることが難しい時代です。どこに行っても監視カメラがあります。インターネットのおかげでテレワークもできますが、逆にどこに行っても仕事がついて回って来る時代です。

2023/02/16

ヨブ記16,19章「イエス様がおられるから」

*** 2/15(水)祈祷会 説教概略 ***

ヨブ記16,19章「イエス様がおられるから」

 先日の朝、ものすごいダルさと胃の気持ち悪さ、胃液の逆流する感じがありました。その日、一気に熱が上がり39.5度まで・・・ 数日間、体の不調はなんとなくありましたが、熱自体は概ね一晩で下がり、検査ではコロナ、インフルは出ず、結局よく分かりませんでした。ただ、やはりそれだけ体調が悪いと何もできず・・・神様を求めることすらほぼできない自分がいました

2023/02/14

ピレモンへの手紙21-25節「信頼と期待」

*** 2/12(日)主日礼拝 説教概略 ***

 ピレモンへの手紙21-25節「信頼と期待」

 昔、お店や公共トイレなどでは「キレイにお使いください」「汚さないようお願いします」などの張り紙が多かったように思います。でも、ある時から「いつもキレイにお使い下さり、ありがとうございます」と言った張り紙が増えたように思います。心理学の研究の成果でしょうか。

2023/02/07

子育て「子どもたちの表情」

*** 2/7(火)ママ’sカフェ 講演概略 ***

「子どもたちの表情」

 子どもたちの表情は、子どもたちの心模様を知る大切なバロメータ(サイン)です。
 例えば、最近「笑顔」があまりない、なんだか沈んだ表情をしているなど。
 そのような場合、それは少し注意が必要な状態でしょう。

2023/02/06

民数記32章「神の家族として生きる」

*** 2/5(日)主日礼拝 説教概略 ***

民数記32「神の家族として生きる」

 聖書は、個人主義的な信仰ではなく、神の民、神の家族としてともに歩むことを大切にしています。「ひとりぼっちのクリスチャン」という考え方は聖書のどこにもありません。実際、神様は、信仰というものを共同体として、交わりの中で保つことを教えておられますなぜなら、神様ご自身が、そもそも「三位一体」という交わりの神様でおられるからです。神様ご自身こそが、「父、御子、御霊の親しい交わり」を常に持って、協力してお働きをされているからです

2023/02/01

ヨブ記11~13章「理由がわからない苦しみ」

*** 2/1(水)祈祷会 説教概略 ***

ヨブ記1113章「理由がわからない苦しみ」

人を慰めるために口を開いたのに、かえってその人を落ち込ませてしまうということが起こります。正論を並べ、その人の問題点を指摘し、「こうすればいいじゃないか」と方法論をぶつけます。そこには、人の痛みを理解し、寄り添う姿勢が欠けているのです。

ヨブの3人の友人のうち、最初はエリファズ、次にビルダデが語りました。そして、最後にこのツォファルです。最後に発言していることから、この3人の中では一番若く経験が浅いのではないかとも言われます。それでいて知識はあるとの驕りが感じられ、この3人の中でも最も「人の心を理解することに欠けている」人物であるように見えます。

2023/01/30

ピレモンへの手紙17-20節「私が償います」

 *** 1/29(日)主日礼拝 説教概略 ***

ピレモンへの手紙17-20節「私が償います」

私たちの今年度の年間聖句は何だったでしょうか。

第二コリント27節 一人ひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は、喜んで与える人を愛してくださるのです。 

「受ける者から与える者となる」ということを目指して歩んでいる途上にあります。

 なぜなら、ここにあるように神様は喜んで与える人をますます愛し、祝してくださるからです。ところが、誰かに何かを与えられるのは、自分自身が豊かに与えられたからだということに気づく必要があります。

2023/01/26

ヨブ記9-10章「神と人」

*** 1/25(水)祈祷会 説教概略 ***

ヨブ記9-10章「神と人」

8:20 神は誠実な人を退けることはなく、悪を行う者の手を取ることはない。

ヨブの友人ビルダデのこのことば。皆さんはどう思うでしょうか。
一見正しそうに見えます。ヨブもこれらがその通りであると応答してはいます(9:1)。
しかし、ヨブはその後に反論をしていくのです。

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