東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: 2024年度メッセージ
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

最新情報

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2024/05/28

豊かな人生のための福音「心の沈黙 ~神の声を聴くために~」

*** 5/21(火)ほっとカフェ講演 ***

 皆さんの心は、静けさの中にあるでしょうか。慌ただしくとも、なすべきことが多くあっても、平安に満たされた心で日々歩んでいるでしょうか。そのような問いに対して「う~ん、毎日嵐のようです」という方も少なくないことでしょう。嵐ではないにしても、「心に静けさや穏やかさはあまりありません」という方は多いのかも知れません。


2024/05/27

第一ヨハネ5章6~12節「キリストについての神の証し」

*** 5/26(日)主日礼拝 説教概略 ***

 運動部で頑張っている人たちがいますね。私はサッカーが大好きですが、自己主張ばかりのサッカー選手は好きではありません(パスをあまり出さず、自分が自分がというプレーは、チームスポーツの豊かさを隠してしまっています)。

 しかし、本当に主を信じているようなサッカー選手は、いつも神を証ししようとしています。グラウンドに入る際には必ず祈りをささげ、ゴールを決めた時に「俺が決めたのだ!俺を誉めよ!」ではなく、両手で天を指さし、「神様、あなたのおかげです!あなたに栄光を!」とのポーズを取ります(もちろん、チームの仲間を生かし、生かされる喜びもしっています)。


2024/05/22

ローマ書7章14-25節「真の自由を求めて」

*** 5/22(水)祈祷会 説教概略 ***

 今日の個所は、「罪」というものが分からない方々に、「ああ、私もそうかも」と思っていただくのに、良い助けになる箇所だと思います。私自身もこの箇所から本当にそうだな~と心当たりがありまくった一人でした。自分は「自由だ」と思っている気でいるのに、案外不自由で、罪の奴隷になってしまっていることに「はっ」と気づかされるみことばだと言うこともできるでしょう。


2024/05/20

ペンテコステ 使徒6章1-7節「信仰と聖霊に満ちた人」

*** 5/19(日)主日礼拝 説教概略 ***

 教会には本当に多種多様な奉仕があります。掃除や整理整頓、日曜大工もあれば、食事作りの奉仕もある。受付、事務、献金・財務、パソコン作業、音響、司会や奏楽。もちろん、みことばを教える働き、説教もそうです。その他にもたくさんあるでしょう。
その中で、信仰によらない奉仕、聖霊に導かれる必要のない奉仕は、あるでしょうか。



2024/05/17

ローマ書7章7-13節「罪と律法の理解、そして救い」

*** 5/15(水)祈祷会 説教概略 ***

 病気の告知というのはとても難しく、デリケートな課題です。例えば、明確に治療法があり、完治する病であれば告知しやすいでしょう。しかし、良い治療法がないものを告知すると、告知自体が悪いものになりかねません。知らない方が良かったということもあるのかも知れません。

 それでも明確に区別すべきは、健康診断や病の告知が問題なのではなく、病自体が問題なのだということです。医療従事者を責める方が多いですが、彼らは敵ではなく一緒に病やケガと戦う味方ではないでしょうか。

2024/05/13

第二歴代誌7章11-22節「わたしの目と心はいつもそこに」

*** 5/12(日)主日礼拝 説教概略 ***

 焼肉屋とカラテ道場に挟まれたビルの3階。そこが少し前の私たちの教会堂でした。礼拝堂とキッチンとラウンジが同居し、すべての催しが同じスペースで行われました。牧師室も変幻自在です。礼拝前はJYLCのスペース、礼拝後には会計部屋。ゲストがいらっしゃると「ゲストルーム」へと早変わりしました。


2024/05/09

ローマ書7章1-6節「御霊によって主に仕える」

 *** 5/8(水)祈祷会 説教概略 ***

 クリスチャンの歩みの尽きない力はどこから、何によって得られるのでしょうか。出エジプト記の3章で「燃えているのに燃え尽きない柴」が出てきました。これから主の働きに召されるモーセに、神様がお示しになったものです。通常、燃えるためには燃料が必要です。この場合は柴と酸素でしょう。柴は燃えれば燃えるほど消費されなくなります。以前、カナダに滞在した時、ほとんどの山火事は勝手に消えるのを待つと言っていました。それは古い木々が燃え尽きれば自然に鎮火するからだと(また、そうやって古い木々が淘汰されることも必要だということでした)。燃料がなくなればやがて鎮火するのです。


2024/05/06

マタイの福音書11章28~30節「安息日の主から学ぶ安息」

*** 5/5(日)主日礼拝 説教概略 ***

 この秋に私たちの教会では、星野富弘さんのアート展を開催予定です。それが決まった矢先に召天の報がありました。星野さんは若い頃に大きなケガで両手足の自由を失いましたが、それを通して救いに導かれました。そして口に筆をくわえて詩と絵を描き続けた生涯です。一昨日葬儀が行われました。昨年度私たちの教会で奉仕していた阿部神学生が、今年度遣わされている教会での葬儀でした。個人的には何かとお世話になった恩師の内田先生が司式をされ、本日の聖書箇所と同じみことばが語られていたので驚きつつ、神様の不思議な導きを感じています。

2024/05/01

マタイ18章21-35節 「赦された者の一歩」

*** 5/1(水)祈祷会 説教概略 ***

 マタイ18章では小さい者を軽んじないことや、自分に罪を犯した者と和解して友となることを教えています。そして、二人でも三人でも信仰の仲間と祈る大切さも教えられています。私の時代に神学校の校長であった舟木信先生がこんなことをおっしゃっていたとある方から伺いました。「教会はイキイキしていて、問題があるところ」だと。面白い表現です。主にあってイキイキしている。しかし同時に「赦された罪人」の集まりなので、問題だらけ。もしかしたら、イキイキと豊かに活動しているからこそ、様々な衝突や問題さえも起こりやすい場所なのかも知れません(そこに主が働かれる!)。


2024/04/25

ローマ書6章15-23節「神からの賜物、永遠のいのち」

*** 4/24(水)祈祷会 説教概略 ***

14節で「恵みの下(もと)にある」と語られていました。もはや、罪や死の奴隷ではないし、律法の下に置かれているのでもありません。そうなると、何をしても罰せられない。ならば、「もう自分を支配する存在はない、自由に罪に生きよう」となるのでしょうか。

パウロは15節で「決してそんなことはありません」と明言しています。そして、パウロが言わんとしていることは、「仕える相手が変わった」のであって、「仕える相手がなくなった」のではないということです。

2024/04/23

伝道者の書7章21-22節「本当に大切なことば」

*** 4/21(日)主日礼拝 説教概略 ***

 ある時の修養会で、講師にこのような質問がありました(少し変えています)。
「不当に傷つけられることがあった。それをいつまでも根に持たずに赦すためにはどうすればいいでしょうか」と。きっとこの事で悩んで来られたのでしょう。ただ、その答えは興味深いものでした。実は「不当に傷つけられているのに、少しも根に持たずに赦す人になること」が、理想のクリスチャン像ならば、そもそも「ゴール自体が違っているのではないか」とのお答えでした。何を言われ、何をされても平気で、全部赦せる人がいたら、その人は心のないロボットのような人になってしまう。その人は、他の人の痛みに共感できないでしょうと。

2024/04/17

ローマ書6章6-14節「自分を献げ、キリストが輝く」

*** 4/17(水)祈祷会 説教概略 *** 

 先日、娘からこんな質問を受けました。「初めての人や少し苦手なタイプの人とお話をする時に、どうしても緊張してしまう。どうしたら緊張しないで自然に話せるだろうか」というものでした。

2024/04/16

子育て「先延ばしにしない『今』する子育て」

*** 4/16(火)ママsカフェ講演 ***
「先延ばしにしない『今』する子育て」

 子育ては、幼い時期に時間やエネルギーをかけた分だけ、後半が楽になります
 そういう意味では、お子さんが小さい方々も今頑張る意味があると言えます。必ず後で実りになるからです。一生懸命愛情を注いで関わったことは無駄になりません。不器用であっても、上手に色々できなくても、お母さんたちの愛情、伝わっていますよ。

2024/04/15

ヨハネの福音書4章27~38節「目を上げて畑を見よう」

*** 4/14(日)主日礼拝 説教概略 ***

 今年度の年間聖句としてヨハネ435節のみことばを選ばせていただきました(週報に掲載されています)。早いもので、この会堂が建ち5年が経ちました。新しい環境に慣れることを大事にして、この5年間は地固めのような意識でおりました。しかし、いつまでも地固めで、下ばかり見ているわけにはいきませんよね。主が、「目を上げて畑を見なさい」と言われているのです。

 自分たちの教会のこと、自分たちの生活のこと、それらは大切なものです。
 けれども、もっと大切なことがあります。
 イエス様は言われました。

人は、たとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを失ったら何の益があるでしょうか。(マタイ16:26 

2024/04/10

ローマ書6章1-5節「キリストにつくバプテスマ」

*** 4/10(水)祈祷会 説教概略 *** 

 十字架の死と復活を覚える時、そこにはキリストが私たちの代わりに死なれたという「代理贖罪」があります。私たちの代わりに罪のさばきを受け、そして私たちの「初穂」として、私たちを代表してよみがえられました。これは私たちの救いにとって最も重要なことです。しかし、十字架を覚える時、私たちはもう一つの大切な側面も心に刻む必要があります。

2024/04/08

伝道者の書7章15-20節「正しすぎてはならない」

*** 4/7(日)主日礼拝 説教概略 ***

 かつて躍る大捜査線というドラマ、映画がありました。その名台詞の中に「正義は胸に秘めておくぐらいがいい」といったことばがあり、印象に残りました。確かに正義を求め、正義を胸に持っていないといけないでしょう。しかし、神ではない「人間」が、やたらと「これが正義だ」と口にして、人をさばくのは危険です。自分勝手な正義を振りかざし、自分を正当化する時、高慢になり、人を傷つけることがあるからです。自分が正しく、他の人がいつでも悪い・・・この考え方ほど神様が悲しまれることはないでしょう。


2024/04/03

ローマ書5章12-21節「恵みの力」

*** 4/3(水)祈祷会 説教概略 ***

 イースター礼拝では、死の力を打ち破るキリストの復活にある恵みを知る機会となりました。それは、信じる者に与えられる神の「恵みの力」です。かつては死に属していた者たちが、永遠の命をいただき、恵みに生きる者とされました。アダムから罪と死の力が世界に広がってしまいましたが、今私たちは、キリストの贖いによって、いのちの恵みを世界に広めていく者とされました


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