東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: コロサイ
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2022/11/16

コロサイ4章7-18節「つながる恵み」

*** 11/13(日)主日礼拝 説教概略 ***

コロサイ47-18節「つながる恵み」

 皆さんは、生活の中で鳥のさえずりを聞けていますか。道端の花に感動していますか。私はそれらがなくなってしまった時は黄色信号だと思っています。神様が造られた被造物が、自身の存在をもって神様を賛美しているのです。その賛美が聞こえなくなると、自分の心にゆとりがなく、いっぱいいっぱいで「危ない」と思うようにしています。

 皆さんは、ご自身の状態を「セルフチェック」する何かをお持ちでしょうか。時々自分の姿を客観的に振り返る時、案外大切かも知れませんね。

2022/11/01

コロサイ4章2-6節「塩味の効いた親切なことば」

 *** 10/30(日)主日礼拝 説教概略 ***

コロサイ42-6節「塩味の効いた親切なことば」

 ポーランドという国のことわざに、「大切なのはことばの数ではなく、その重みだ」というものがあるそうです。聖書の中でも、伝道者の書には「ことばが多ければ愚かな者の声となる。」とあります。ことばは数ではなく、質・中身なのだと改めて気づかされます。

2022/10/18

コロサイ3章18-25節「主に仕えるようにして」

*** 10/16(日)主日礼拝 説教概略 ***
コロサイ3章18-25節「主に仕えるようにして」

 ほっとカフェにて、心のケアと人間関係というシリーズを年34回程度お話をさせていただいています。なぜ、このテーマかと言うと、私たちの悩みのほとんどが人間関係であるからです。

 皆さんの中で、人間関係で悩んだことがないという方いらっしゃいますか?

2022/10/03

コロサイ3章5-17節「古きを脱ぎ、新しきを着る」

*** 10/2(日)主日礼拝 説教概略 ***

コロサイ35-17節「古きを脱ぎ、新しきを着る」

 デフォーの小説「ロビンソン・クルーソー」のモデルは、セルカークという実在の人物でした。実際の彼は大酒飲みの荒くれ者でした。彼に対して我慢の限界に達した水夫たちが、彼を無人島に置き去りにしたというのが実話です。

2022/09/13

コロサイ3章1-4節「上にあるものを求めよう」

 *** 9/11(日)主日礼拝 説教概略 ***

コロサイ3章1-4節「上にあるものを求めよう」


 教会には色々な方が来られます。悩みのご相談に来られる方、教会堂を見学される方、牧師と話をしたいと相談に来られる方。礼拝堂でお祈りされる方もいらっしゃいます。喧騒を離れ、心を落ち着かせたい、導きが欲しいと祈られます。

 実にあらゆる世代の方が、様々な必要を覚えて来られます。
 また、昨日は、教会開放日がありました。小学生たち、中高生たちが集まり、大学生や大人の皆さんが一緒に遊んだり、語り合ったり、そして神様に心を向ける時を共有しました。

2022/08/04

コロサイ2章9-15節「キリストによって、満たされて生きる」

*** 7/31(日) 主日礼拝 説教概略 ***

コロサイ2章9-15節「キリストによって、満たされて生きる」


 私たちが「救い」を求めるのは、何のためなのでしょうか。どういう時なのでしょうか。少なくとも今より良く(幸せに)なりたいと願って救いを求めるのではないでしょうか?

2022/06/27

コロサイ2章1-9節「キリストのうちに・・・」

 *** 6/26(日)主日礼拝 説教概略 ***

コロサイ2章1-9節「キリストのうちに・・・」

 桜の木は家の庭には植えない方がいいと言われます。家で桜の花見なんて出来たら素敵ですけれど、あまり得策ではないそうです。なぜかと言うと、桜の根はかなり太く強いそうで、ともすると家の基礎、土台に影響を及ぼすとも言われます。

 この久米川の桜通りの歩道も、桜の木によってところどころ隆起しているのを見ると、相当な強さだなと思いますね。しかし、そのように地面の中にしっかりと根を張っているからこそ、長年同じところに堅く立ち続け、きれいな花を咲かせ続けているとも言えます。

2022/06/14

コロサイ1章21-23節「栄光の望み キリスト」

*** 6/12(日)主日礼拝 説教概略 ***

コロサイ121-23節「栄光の望み キリスト」

 少し前に大ヒットしたアニメ「鬼滅の刃」。そこで話題になった主人公のセリフがあります。痛み・苦しみに耐える時の心の声です。「俺は長男だったから我慢できたけど、二男だったら我慢できなかった」というもの。戦いの最中にそんなことを思っているのはコミカルでもあり、印象的です。

2022/05/30

コロサイ1章21-23節「神と和解した者として」

 *** 5/29(日)主日礼拝 説教概略 ***

コロサイ121-23節「神と和解した者として」

 肉体は元気であっても、頭や心が疲れているということがありますよね。私も少しそのような疲労があり、説教準備において思うように産みの苦しみを通る、少しそんな日々を過ごしています。昨晩も、思うように納得のいく説教が仕上がらないでおりました。

 夕飯の時にも、それをなんとなく悟ったのでしょうか。長女が私のために祈ってくれました。妻も優しくしてくれたので、たまにはスランプのような状態も優しさを感じられていいなと思ったものです。とはいえ、産みの苦しみは中々にしんどいもので、それこそ小説家や漫画家さんなんかも、行き詰ってかなりストレスを抱えるのでは?と想像します。

 牧師も毎週、礼拝という締め切りがすぐに来ます。ただ、この働きのすばらしいところは、思いもよらぬ神様の恵みによって強められることです。

2022/05/23

コロサイ1章15-20節「神の御子を知ろう」

*** 5/23(日)主日礼拝 説教概略 ***

コロサイ1章15-20節「神の御子を知ろう」

 昨日の青年会の集いで開かれたみことばは、マタイの福音書の1128-30節のみことばでした。多くの人に親しまれている有名なみことばです。ゆっくりお読みしますので静かにお聞きくださればと思います。イエス様ご自身のことばです。

28 すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 

2022/04/25

コロサイ1章13-14節「暗闇から神の国へ」

*** 4/24(日)主日礼拝 説教概略 ***

コロサイ113-14節「暗闇から神の国へ」

 旧約聖書の時代、イスラエルにはたくさんの王様が立ちました。列王記にはそれが記されていますが、王様次第で国が右に左に、良くなったり悪くなったりしていたのが分かります。現代においても、ウクライナへのロシアの侵攻や、様々な独裁的国家の圧力を見る時に、どういう人が国を治めるのかで、国の目指す方向性が全く違って来るのだと教えられます。そして、それは国に限らず、企業、団体、学校、クラブ、そして教会にも言えることでしょう。誰が治め、誰が導いてくれるのか。その人材次第で大きく変わっていくものです。

2022/03/21

コロサイ1章9-12節「祈り~神を知る者となるように~」

 *** 3/20(日)主日礼拝 説教概略 ***

コロサイ19-12節「祈り~神を知る者となるように~」

「祈りとは何ですか?」

 皆さんはそのような質問を受けた時にどのようにお答えになるでしょうか?
 意外にも簡単に答えられない自分に気づくかも知れません。しかし、それで良いのかも知れません。それほどに「祈り」とは奥深く、豊かなものだからです。

2022/02/28

コロサイ1章1-8節「会ったことがなくても」

*** 2/27(日)主日礼拝 説教概略 ***

コロサイ11-8節「会ったことがなくても」

 ヘブル書の111節にこのようなみことばがあります。

ヘブル11章1節
信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです

 この世界は目に見えますが、それを造られた神様は目に見えません。そしていつまでも残る「信仰、希望、愛」も目に見える形あるものではありませんが、確かに存在する大切なものです。Ⅱコリ 418節にもこうあります

Ⅱコリント4章18節
私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。

 見えるものは一時的。見えないものに「永遠」があるので、見えないものに心を留めましょうと聖書は勧めます。このような価値観、このような生き方を、私はキリストと出会うまで知りませんでした。しかし、これを知ってから、見えるものがすべてではないと教えられ、むしろ、いつまでも残る見えないものにより大きな価値を見出せるようになりました
 

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