東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: コロサイ1章13-14節「暗闇から神の国へ」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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現在、コロナの感染状況を考慮し、夜の祈祷会はお休みしています。先日の地震で被災された方々の上に神の慰めと支えがありますように。

2022/04/25

コロサイ1章13-14節「暗闇から神の国へ」

*** 4/24(日)主日礼拝 説教概略 ***

コロサイ113-14節「暗闇から神の国へ」

 旧約聖書の時代、イスラエルにはたくさんの王様が立ちました。列王記にはそれが記されていますが、王様次第で国が右に左に、良くなったり悪くなったりしていたのが分かります。現代においても、ウクライナへのロシアの侵攻や、様々な独裁的国家の圧力を見る時に、どういう人が国を治めるのかで、国の目指す方向性が全く違って来るのだと教えられます。そして、それは国に限らず、企業、団体、学校、クラブ、そして教会にも言えることでしょう。誰が治め、誰が導いてくれるのか。その人材次第で大きく変わっていくものです。


 そういう意味では、私はここにいらっしゃる皆さんが、社会の様々な現場でリーダーシップを発揮して欲しいと願っています。教会の中だけで活躍するのではなく、外に出て、世界に出て、そこで良きリーダーシップを発揮して欲しいのです。

 なぜなら、「真のリーダーシップ」を知っている皆さんだからです。イエス・キリストというまことの王様を知る者だからです。愛と正義、平和をもたらす王イエス様に従う人は、神の国をこの世界に広められる一人一人だからです。

 この世界を暗闇が覆っています。悪意、圧政、不正、差別、欺き、自己中心・・・。

 これらの暗闇の支配者は悪魔であり、彼は人々が神の国に入ることを妨げる存在です。このような暗闇の世界だからこそ、キリストにある者たちが、遣わされている場で世の光として輝いていただきたいと願います。暗闇の世界で人々は愛を知らず、平安を知らず、希望を持てずにいます。キリストよって救われ「神の国」を現わす者となった私たちが、この恵みを十分に味わい知り、世界に現わす者となれるよう、教えられていきたいと思います。

 

 コロサイの教会には、キリストの力を過小評価する者たちがいました。それによって、十字架の恵みが小さくされると、救いが分からなくなってしまいます。ですから、パウロは、コロサイの人々のために祈るとともに、具体的にキリストが何者であり、何をもたらされたのかを明確に伝えようとしたのです。

 それで12節までのお祈りを終え、この13-14節でシンプルに救いとは何かを教えています。

1:13 御父は、私たちを暗闇の力から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。 
1:14 この御子にあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。

 

1. 私たちは何から救われるのか?


 ここでは「暗闇の力」からの救いであると言います。

 それは悪魔の支配、罪の支配と言い換えることができるでしょう。先週のイースター礼拝でもお話しましたが、私たちは正しいことが分かっていながら、思うようにできない。人の顔色が気になり、権力を恐れ、自分の欲が勝り、すべきでない事を言うし、してしまい、後悔し、自分を責めます。

 自由なつもりでいながら、実に不自由な罪の奴隷とされていたのだと。

 しかし、神様は人を愛しておられます。傷つく姿を見て胸を痛め悲しみ、暗闇の支配からどうにかして救い出そうと、世に光を遣わされました。ヨハネの福音書15節にこうあります。「光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった」 

 救いの御子という光は、この暗闇のただ中に来られて輝き、私たちを照らしてくださったのです。闇は、この光に勝つことなど出来ませんでした。この光である御子イエス様を受け入れたならば、私たちは暗闇から光の支配へと移されるのです。暗闇の支配、罪の支配から自由にしてくださるのです。

 

2.どのような方法によるのか? 


 14節に「贖い」すなわち「罪の赦し」を得ていると語られています。神様がキリストによって私たちを救い出してくださる方法は、「贖い」という方法によって、罪の赦しと解放をもたらすということでした。まず「贖い」とは何かということです。この漢字には「貝編」が使われていますが、それはお金を現わす部首ですよね。

 そして元々、贖いとは、代価を払って買い戻すという意味がありました。例えば、土地を買い戻すために一定の「贖い金」を払って買い戻し、自分の所有にするということがありました。奴隷を自由にするために、その権利者に対して「贖い金」や「身代金」と呼ばれる代価を払って、解放するということがありました。

 「身代金」と言う場合、刑事ドラマ等で、人質の取引に使われることばですね。「5000万円用意しろ、そうじゃないと人質の命の保証はないぞ」といった感じで脅すシーンがあります。「贖い」というのは、それと少し似ています。

 罪の奴隷として囚われていた私たちを、神様が救い出すために、贖い金、身代金を用意してくださった。

 どれぐらいの金額だと思いますか?

 「イエス・キリストのいのち」、つまり「神の御子のいのち」が、私たちを解放するために身代金として払われたのです。

 皆さんは、自分にはその価値があると思われますか? 自分の罪深さや、何度も繰り返し罪を犯す自分を見る時、あまりにも不釣り合いな犠牲が支払われたのだと思いますよね。「申し訳ない」と。

 しかし、神様の目には、あなたがそれだけ大切だから、御子のいのちをもって贖い出そうとしてくださったのです。神様はご自身の子のいのちを喜んで差し出すほどに、私たちに価値を置いてくださった。愛を示してくださったということです。

 

3.贖われた後は? 


 ある人が質に取られた大切なものをどうにか買い戻すことができた。しかし、また借金がかさみ、再び同じものを質に入れることになった。ありそうな話ですよね。

 ともすると私たちも、悪魔の誘惑に敗れてばかりで、再び罪の奴隷、暗闇の支配に落とされるのではないかと不安になるかも知れません。

 イエス様のたとえ話の中に「家の管理」のお話があります。ルカの福音書11章にあります。悪霊に支配されていたその家から悪霊が追い出され、とても綺麗な状態になった。しかし、そこを治める良い管理者がいないと、また悪霊が仲間を連れて戻り住みつくようにり、以前より悪い状態になっていくと語られています「解放された」だけで終わらず、イエス様を「わたしの主」としてお迎えし、心の片隅ではなく真ん中に、王座に座っていただく。

今日のみことばの通り。13節で「御父は、私たちを暗闇の力から救い出して、」その後の部分です。救い出して後、「愛する御子のご支配の中に移してくださいました。」ここが大切です!

救いというのは、「暗闇の力からの解放」で終わらず、「愛する御子のご支配」に移されて、初めて「成立する」のです。悪い支配者がいなくなった。でも、また別の悪い支配者が来て治めたら意味がないのです。

ですから、イエス様をわが王としてお迎えし、永遠に導いていただければ安心です。私たちは御子のいのちによって、贖い出され、買い戻され、もう御子の治める神の国に属する者とされました。買い戻した後は、Sold Outという看板を胸に下げて、もう私はイエス様のものとされた、誰にも私を奪うことはできない!「売り切れごめん」状態なのだと胸を張るのです。誰も管理していない空き家は、悪い人が隠れて住むのに絶好の場所になりますが、しっかりと管理されていれば、入り込む余地がないのです。

 

4.罪からの解放とは? 


 こうして、私たちの心をイエス様がしっかり治めてくださるときに、そこが神の国となるのです。13節の「ご支配」ということばは、英語に訳せば「kingdom」です。

 直訳では「王国」、聖書の文脈では、「神の国」、イエス様が王となって治める御国のことです。つまり、私たちの心が主イエス様によって治められ、聖霊によって導かれるなら、そこが神の国なのです。 

 言わば私たちは、移動式の「神の国」、「神の国」の出張所のようになったと言えます。あなたが置かれた場所に、新しい神の国が始まるのです。 

 クリスチャンになるとは、世間一般に言う「良い人」になることではありません。そうではなく、罪深さや無力さを受け止め、主イエス様に頼り、神の国を持つようになった人のことです。「クリスチャンとは言っても、私はいい人になれていません」と思っているのならば、サタンに騙されています。そうではなく、「主は良いお方で、私は、そのお方に導かれる者となっています。現在はまだまだ工事中です!」と答えれば十分です。 

 この方が治める神の国へ導かれたなら、14節にあるように、この御子のうちにあって、御子とともにあって、「罪の赦し」を得たのです。「赦し」と訳された語には「解放、自由」との意味もある。キリストを心の王座にお迎えし、私たちの王とするとき、罪の罪悪感から、罪に囚われる歩みから「自由に」していただけるのです。罪がゼロになるのではありません。けれども、罪よりも愛や良いわざを求める者へと変えられていきます。

 かつて、ある先生が心から罪を悔い改めたなら同じ罪を繰り返さなくなると言われました。確かに、それも一つの真理かと思います。そうありたいと願います。

それでも、なお、人の弱さというのはそう簡単に変わりませんから、同じ罪を繰り返すのが人ではないかとも思うのです。現にイスラエルの人々は同じ罪を何度も繰り返していました。アブラハムでさえ同じ過ちを繰り返したことが記録されており、慰められます。

 時に「またやってしまった」と落ち込むことがあると思います。

それでも、神様は決してあなたをあきらめません。そして、信じてください。主イエス様を受け入れたのなら、罪はことごとく赦されており、あなたはもう神のものとされていることを。

誰にも奪われることなど、起こりはしないのです。

 

仮に1日に1000回同じ過ちをしてしまおうとも、神の御子イエス様の罪を赦す力の方が圧倒的に強く、その愛と平和の覆いの方がずっと大きいのです。コロサイの人々が陥ったように、イエス様の十字架の力を侮らないようにしましょう。それこそサタンを喜ばせることです。

 もし、自分の罪の大きさに涙するなら。その数の多さに圧倒されるなら。「赦された罪」の大きさとその数をもって、十字架を作ってください。

どれだけ赦していただけたのか。十字架の大きさを知ることの方がもっと重要なのです。

 罪の重さに涙することは大切ですが、その赦しの大きさに涙することの方がずっと大切なのです。キリストが治める神の国とはそういうところなのです。



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