*** 12/3(日)アドベント主日礼拝 説教概略 ***
2023/12/03
2021/03/03
Ⅱサムエル記24章「罪へのさばきと回復、そして希望へ」
*** 3/3(水)祈祷会 説教概略 ***
Ⅱサムエル記24章「罪へのさばきと回復、そして希望へ」
いよいよ第二サムエル記も最後の24章となりました。
ここに罪に対する神様の聖なるさばき(罰)と、悔い改めへの赦しと回復、さらにはその先に新しい恵みがあるという希望があります。
2021/02/24
Ⅱサムエル記23章8-39節「ダビデを支えた家臣たち」
*** 2/24(水)祈祷会 説教概略 ***
Ⅱサムエル記23章8-39節「ダビデを支えた家臣たち」
23章8節からは、ダビデを支えた家臣たちのことが記録されています。歴戦の勇士たちの名前が30数名列記されています。この当時のイスラエルは領土を広げていく全盛期でありました。しかしそれは、ダビデ一人の力では到底なしえませんでした。そこには忠実な家臣たちが名を連ねていたのです。
キリスト教会の働きも同様です。
2021/02/17
Ⅱサムエル記22-23章7節「ダビデの賛美」
*** 2/17(水)祈祷会 説教概略***
Ⅱサムエル記22-23章7節「ダビデの賛美」
先週学びましたように、21~24章は以下のような構造を持っています。
今日はCとC′にあたるダビデの賛美のところを味わいたいと思います。
A 21:1-14 神のさばきとあわれみ 「神はこの国の祈りに心を動かされた」
B 21:15-22 ダビデを支えた家臣たち
C 22:1-51 ダビデの賛美
C′ 23:1-7 ダビデの賛美
B′ 23:8-39 ダビデを支えた家臣たち
A′ 24:1-25 神のさばきとあわれみ 「主がこの国のための祈りに心を動かされた」
2021/02/10
Ⅱサムエル記21章「神のさばきとあわれみ」
*** 2/10(水)祈祷会 説教概略 ***
Ⅱサムエル記21章1-22節「さばきとあわれみ」
この21~24章は、ダビデの生涯における補足的な位置を占めています。
ダビデ時代の代表的な出来事の記録集と言ったらいいでしょうか。
ここには6つの記事が収められています。そしてまた、これらの記事は以下のような同心円構造(キアスムス)を持っており、それぞれ同じアルファベットの部分がテーマにおいて対になっています。しばしば聖書で見られる修辞表現の一つで、印象的にメッセージを伝えるために技法です。
2021/02/03
Ⅱサムエル記20章1-26節「身近な人間関係に悩むとき」
*** 2/3(水)祈祷会 説教概略 ***
私たちの悩み、苦しみの多くは身近な人との関係に由来するものです。あまり関係の深くない人との間ではそれほど悩みません。しかし身近な人ほど衝突したり、傷ついたりするものです。ダビデの生涯を考えても、彼の悩み苦しみの原因の多くが身近な人間関係だったことがわかります。
この20章ではダビデの失政が隠さず語られています。
2021/01/20
Ⅱサムエル記19章24-40節「与えられているものに感謝し、謙虚に生きる」
*** 1/20(水)祈祷会 説教概略 ***
Ⅱサムエル記19章24-40節「与えられているものに感謝し、謙虚に生きる」
二人の人物とダビデのやり取りから「与えられているものに感謝し謙虚に生きる」というテーマで教えられます。
2021/01/13
Ⅱサムエル記19章9-23節「主に信頼し、誠実を養う」
*** 1/13(水)祈祷会 説教概略 ***
イエス様を十字架にかけて殺したのは誰でしょうか?
色々な人を挙げることができます。
律法学者や祭司長などの宗教指導者たち。それからイエス様を裏切ったイスカリオテのユダ。あるいは、イエス様の中に罪は見当たらないと気づいたにも関わらず、結局はイエス様を助けなかったポンテオ・ピラト。
彼らは確かに中心に関わった人物でしょう。でも、その中で決定打を与えたのはもしかしたら、名も無き群衆であったと言えるかも知れません。
2020/12/16
Ⅱサムエル記18章28節-19章8節「覚えていて欲しい」
*** 12/16(水)祈祷会 説教概略 ***
ダビデ軍と謀反を起こした息子アブサロムの軍との戦いは、ダビデ軍の勝利で幕を閉じました。そして、反逆した息子アブサロムはダビデ配下の将軍ヨアブの手によって打ち取られ絶命しました。ダビデは「彼の命だけは守ってくれ」と懇願していましたが、ヨアブはその命令を無視してアブサロムにとどめを刺してしまったのです。
さて、その知らせがダビデのもとに届けられます。
2020/12/14
ゼパニヤ書3章14-17節「喜びinクリスマス」
*** 12/13(日)アドベント第三週 主日礼拝 説教概略 ***
少し前にNHKのヒストリアという番組で、戦国時代に信仰を持った細川ガラシャさんのことをやっていました。彼女が信仰を持ったきっかけは、彼女に仕えていた清原マリアという侍女の存在でありました。他の資料などを見てもやはり、ガラシャさんが苦しかった時に彼女が支えとなり、いつも穏やかに笑みをたたえていたそうです。彼女のそんな姿を見て自分もそうなりたいと願ったようです。
2020/12/09
Ⅱサムエル記18章1-15節「主にある愛の絆」
*** 12/9(水)祈祷会 説教概略 ***
先週はダビデの祈りへの神様からの答えがありました。特に、その中で神様はダビデを守ってくださり、色々な助け手を与えてくださっていることもお話ししました。
今日の箇所の直前、17:27-29を見てもダビデに物資や食料を届けてくれる外国人がいたことが記されています。
2020/12/03
Ⅱサムエル記17章1-23節「ダビデの祈りへの答え」
*** 12/2(水)祈祷会 説教概略 ***
15章に記されている窮地における「ダビデの祈り」を覚えていらっしゃるでしょうか。
危機的な状況の中で追い打ちをかけるようにして、腹心であり良き助言者であったアヒトフェルが反逆している息子アブサロムの側に寝返ったとの知らせが届いた時でした。
ダビデはそこで神様にこう祈りました。
2020/11/25
Ⅱサムエル記16章15~23節「人の知恵の愚かさ、神の知恵の確かさ」
*** 11/25(水)祈祷会 説教概略 ***
本日は16章15節からですが、直前の14節に一瞬触れておきたいと思います。
16章14節にこうあります。
14節 王も、王とともに行った兵もみな、疲れたのでそこで一息ついた。
都を追われたダビデ王とその配下の者たちは、厳しい状況でしたがそれでも主から離れず、神様の備えやご計画があることを信じて行動していました。シムイからの呪いのことばの数々や投石などがあっても、それに対して信仰をもって対処したところでした。
2020/11/19
Ⅱサムエル記16章5-14節「背後に主の御思いを見る」
*** 11/18(水)祈祷会 説教概略 ***
ダビデの人生は波乱万丈です。特に姦淫の罪や殺人の罪を犯して後、しばらくは苦しい時期が続きました。息子たちの問題においても彼は決して良い父親として対応できませんでしたし、そのことで非常に苦しみました。
しかし、その後のダビデの信仰者としての歩みを見ると、本当に教えられることが多く、彼の信仰は私たちにとって良い模範、良いモデルであり、励まされるものであります。
それは、ダビデが心から罪を悔い改めて主に立ち返ったこと、そして身内に関係する深い痛みを通らされたことによって、神様によって深く取り扱われ大胆さや率直さだけでなく主の御前における謙遜を身に付けたゆえです。
2020/11/11
Ⅱサムエル記15章32節-16章4節「主の山に備えあり」
*** 11/11(水)祈祷会 説教概略 ***
聖書の有名な格言として「主の山に備えあり(ヘブル語:アドナイ・イルエ)」というものがあります。
2020/11/04
Ⅱサムエル記15章24-37節「主にゆだね、ゆっくりと待つ」
*** 11/4(水) 祈祷会説教概略 ***
私たちは思わぬトラブルに遭遇すると、状況を改善しようと慌ててしまいかえって混乱してしまうということがあるのではないでしょうか。しかし、本来はそのような時こそ信仰を働かせ、落ち着いて祈り、主の助けを待てたらいいですよね。
追い込まれている時ほど落ち着くこと自体難しいわけですが、そこに主がおられると覚える時、私たちは「ゆだねて焦らず待つ」という選択肢を見ることができます。神様を信じていない場合、この選択肢自体が存在しないわけですが、信じる者には一つ多く選択肢が与えられているわけです。せっかくある選択肢を用いないのはもったいないですよね。
みことばに心を開いて「主にゆだね、ゆっくり待つ」というテーマで教えられて参りましょう。
2020/10/28
2020/10/21
Ⅱサムエル記 15章1-12節「アブサロムの謀反」
*** 10/21(水)祈祷会 説教概略 ***
Ⅱサムエル記 15章1-12節「アブサロムの謀反」
自分の思いを神とせず、神である方を神として恐れ従うこと。
ようやくダビデ王に謁見できたアブサロムでしたが、そこには期待していたような親子の心の交わりはありませんでした。一応の和解の形にはなったものの、おそらく親しく抱き合い語り合うこともできなかったのでしょう。それはアブサロムにとって、決定的にダビデとの距離を痛感させられる機会となってしまったことと思います。
2020/10/14
Ⅱサムエル記 14章25-33節「存在がないもののようにされる痛み」
*** 10/14(水)祈祷会説教概略 ***
Ⅱサムエル記 14章25-33節「存在がないもののようにされる痛み」
人間関係において「存在をないもののように扱われる」、つまり無視されることほど苦しいことはありません。特に大切な方から無視をされることは本当にさみしく辛いことです。
2020/10/07
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