東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: Ⅱサムエル記15章13-23節「状況ではなく、主のみ旨に従う」

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すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイの福音書11章28節)

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2020/10/28

Ⅱサムエル記15章13-23節「状況ではなく、主のみ旨に従う」

*** 10/28(水)祈祷会説教概略 ***

Ⅱサムエル記1513-23節「状況ではなく、主のみ旨に従う」

「まさかの友こそ真の友」という諺があります。
 これは元々は英語の諺A friend in need is a friend indeedを日本語に訳したもので、「本当に必要な困難な時に、友でいてくれる人こそ真の友なのだ」という意味です。

 これはとても苦しい状況を通った人は「確かにそうだな~」と実感されると思います。あの苦しい時に、多くを失って何もできない時に、寄り添い助けてくれる人がいた。自分のことで精一杯で、「あなたはわかってくれない」などとつい言ってしまったけれど、それでも離れずに友であり続けてくれた。そんな人の存在がどれほどありがたいことでしょうか。
 
 近くにいてもメリットがない時に、痛みに寄り添ってくれる人こそ真の友、真の仲間です。 教会の兄弟姉妹の交わりこそは、そうでありたいと思います。神の家族こそは良い時も悪い時も寄り添う交わりを持つ群でありたいと思うのです。だからこそ、この世の人々に向かって「ここにおいで」と胸を張ってお誘いできるのではないでしょうか。



 都を追われるダビデ

 ダビデ王が置かれた状況はそれに近いものでした。なぜなら、自分の息子が反乱を起こし、王座を奪われてしまい先がまるで見えない状況になったからです。ダビデは持っていた物の多くを失ってしまいました。

 息子アブサロムはヘブロンで王として立つという宣言をしました。
 そして、この13節では「イスラエルの人々の心はアブサロムになびいています」と知らされたことが語られています。この4年の間にダビデから人々が去って行きました。ダビデ自身の弱さも関係していたかも知れません。いくつかの罪を犯し、親子関係でも失敗したダビデでし、それに加えてアブサロムに悪い噂を流されてもいました。

 こうした状況下、美男子で優しくしてくれるアブサロムに人々がなびいていきました。さらにはダビデの側近で有能な助言者だったアヒトフェルまでも裏切ってしまったのです。ダビデはこの状況を知らされ、14節で「さあ、逃げよう」とすばやく決断します。

 あっさり逃げる決断をしたように見えますが、内心は非常に傷ついていたことでしょう。多くの人を取られ、王座を奪われ、力を失ったからです。



 神のみこころに従う誠実なダビデ

  しかし、そのような中でもダビデを慕い、主が油注がれた王だからということで不利な状況でも従い続ける忠臣がいたことはなんと幸いなことでしょうか。

15節 王の家来たちは王に言った。「ご覧ください。私たち、あなたのしもべどもは、王様の選ばれるままにいたします。」 

 裏切り者が相次ぎ、今やダビデの側にいることが不利な状況なのに、このようについて来てくれる家臣、仲間がいたことは本当に感謝なことです。ダビデの心は彼らのこのことばでどれほど慰められ、励まされたことでしょうか。

 さらに、ダビデの味方であり続けてくれた人たちの中には「在留異国人」もいました。

18節 王のすべての家来は王の傍らを進み、すべてのクレタ人と、すべてのペレテ人、そしてガテから王について来た六百人のガテ人がみな、王の前を進んだ。

 特に今日、注目したいのはこの中に出て来た「ガテ人」です。600人ものガテ人がダビデと共にいました。ガテ人というのは実はあの敵対関係にあったペリシテ人です。ダビデがまだ王になる前に、サウル王から命を狙われていた時のことです。ダビデはペリシテ人の町ガテに逃亡し身を潜めたことがありました。その時ガテ人と親しくなり、一部のガテ人はすっかりダビデを尊敬し、ダビデが信じる神様のことをも知り、サウルが死んでダビデが国に戻ってからもダビデを慕って亡命してくる者たちがいたのです。 

しかし、アブサロムの謀反が起こった時、ダビデはこのガテ人や他の在留異国人に対して、私に従う義理はないと助言します。「追われて逃げる王につくよりも、新しい勢力についた方があなたがたの益になるのではないか?遠慮はいらない」といった具合でしょう。19-20節でこのように語っています。

19節 王はガテ人イタイに言った。「どうして、あなたもわれわれと一緒に行くのか。戻って、あの王のところにとどまりなさい。あなたは異国人で、自分の国からの亡命者なのだから

20節 あなたは昨日来たばかりなのに、今日、あなたをわれわれと一緒にさまよわせるのは忍びない。私はこれから、あてどもなく旅を続けるのだから。あなたの兄弟を連れて戻りなさい。恵みとまことがあなたとともにあるように。」 

 ここにあるようにダビデはこの危機的な状況でもこれらの在留異国人に対して思いやりを示しています。亡命してきたイタイに「異国人で亡命者なのだから、アブサロムに従った方が安全では?」と助言します。「昨日来たばかり」というのは文字通りの昨日ではなく、最近来た者なのだからといった意味かと思われます。古くからいるのではなく、亡命してきたあなたがたが巻き込まれる必要ないとの意味でしょう。

 ダビデからしたら危急の時ですから、今は少しでも自分に従う者が欲しいはずです。それなのに愛と敬意をもってガテ人たちの幸いを願ってこう助言しているのです。
 確かにアブサロムも人々に好意的で優しさを確かに見せていました。だから人々が彼につきました。でも、その動機は極めて自己中心的でした。自分に人々を惹きつけ、力をつけることが目的でしたし、ダビデの持っているものを全部自分のものとしたかったのです。そのために「優しい姿を演じた」わけです。

 けれどもダビデはそれと対照的です。
 最も苦しく人手が欲しい時なのに、ユダヤ人ですらないガテ人(ペリシテ人)の兵士イタイたちを心から思いやっているということです。これはただの優しさだけではなく、神様のみこころに従っている姿でもあります。律法には、弱い立場に置かれる在留異国人への思いやり、優しさを教えているものがあります。当然ダビデはそれを知っており、その教えに忠実でもあるということでしょう。
 何よりも、これがやはり神を信じる「まことの王」の姿ではないでしょうか。



 状況ではなく、神の真実なみこころを見つめた異邦人

それに対しイタイはこう返事をします。

21節 イタイは王に答えて言った。「主は生きておられます。そして、王様も生きておられます。王様がおられるところに、生きるためでも死ぬためでも、このしもべも必ずそこにいます。」 

 最初に「は生きておられます」と宣言しました。
 彼は異邦人でありながら、主を信じて歩んでいる様子が伺えます。アブサロムも主の御名を口にしましたが、自分の利益のためにそうしました。しかし、イタイは明らかに不利な状況でありながら、ダビデに従うことを主のみこころとして受け止めて、このように告白しているのではないでしょうか。
 イタイは真理を見る目を持っていました。おそらく目に見える情勢だけを見て、目先の利益だけを考えればアブサロムについた方が良かったでしょう。しかし、イタイは異邦人でありながら、ダビデが信じていた「生ける神、主」を見ていたのではないでしょうか。

彼は言います。「生きるためであっても、死ぬためであっても、私はダビデ王のおられるところに必ずいますと。 多くのイスラエル人がアブサロムに寝返っていった中で、異邦人のイタイがこのような忠誠を現わしていることに胸を打たれます。ダビデの心はどれほど慰められたことでしょうか。息子に裏切られ命を狙われる状況。信じていた腹心にまで裏切られ敵方についている状況。多くの同胞たちがあちら側についている。その中で異邦人イタイがその一族の命をダビデに預けているのです。

22節を見ると、イタイのもとには多くの部下と子どもたちも一緒にいたことがわかります。自分だけならまだしも、弱い子どもたちも抱えているのです。強い方につきたいという誘惑はあったことでしょう。それにも関わらず、イタイはダビデを信頼し、ダビデが信じる主を信頼してついて来たのです。日本史の戦国時代の話を学ぶと、多くの武将たちが有利、不利を判断して、主君を乗り換え同盟国を挿げ替えていくのが日常茶飯事であったことが分かります。お家を守るためには止む無し・・・と。

しかし、イタイの忠誠は日和見主義的でなく、神が立てた王への忠誠で揺るがないものに見えます。「何人(なにじん)?」という人種の問題ではなく、その人、ひとりひとりの問題なのだと改めて思わされます。

ガテ出身のペリシテ人の中にはあのゴリアテもいましたし、多くのユダヤ人が裏切る中でも、このように主を信じてダビデに従い続けるガテ人もいたのです。私たちも自分の生まれた場所や立場ではなく、今この瞬間に神様に従う信仰を大切にしていきたいですね。それが神様のみこころであり、その人を主は祝されます。

また、自分の利益を天秤にかけて道を選ばず、主のみ旨は何なのかにいつでも目を留めて参りましょう。主はダビデを王とされたのです。実は逃亡時のダビデの心境について、詩篇3篇で語られています。 

詩篇3篇 ダビデの賛歌。ダビデがその子アブサロムから逃れたときに。 

3:1 主よなんと私の敵が多くなり私に向かい立つ者が多くいることでしょう。

3:2 多くの者が私のたましいのことを言っています。「彼には神の救いがない」と。

 敵がどんどん増えていき、仲間が敵になって行きました。「彼には神の救いがない」なんて否定され、噂が流されました。でも噂ではなく真実を求めたいのです。
 
 真実は主がダビデに油注がれ王とされたということです。

イエス様も、何も持たない人々の友となられたのではないでしょうか?友になってもメリットがなさそうな、かえって面倒が増えそうな人に対してもそうされたのです。主のみこころがそこにあったからです。

うまく行っている時に仲間であり続けることはそれほど難しくありません。しかし、危機的な状況、明らかに困難が迫る中でなお、主にみこころに立って一緒に過酷な道を歩もうとしてくれる存在はなんとありがたいことでしょうか。

 イタイは後に三代将軍に大抜擢されます。
 目に見える情勢に右に左に流されるのではなく、一本まっすぐに通った神のみこころに堅く立つ時、見えない神による確かな守りと祝福を受けるのです。


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