*** 10/28(水)祈祷会説教概略 ***
Ⅱサムエル記15章13-23節「状況ではなく、主のみ旨に従う」
「まさかの友こそ真の友」という諺があります。
これは元々は英語の諺「A friend in need is a friend indeed」を日本語に訳したもので、「本当に必要な困難な時に、友でいてくれる人こそ真の友なのだ」という意味です。
これはとても苦しい状況を通った人は「確かにそうだな~」と実感されると思います。あの苦しい時に、多くを失って何もできない時に、寄り添い助けてくれる人がいた。自分のことで精一杯で、「あなたはわかってくれない」などとつい言ってしまったけれど、それでも離れずに友であり続けてくれた。そんな人の存在がどれほどありがたいことでしょうか。
近くにいてもメリットがない時に、痛みに寄り添ってくれる人こそ真の友、真の仲間です。 教会の兄弟姉妹の交わりこそは、そうでありたいと思います。神の家族こそは良い時も悪い時も寄り添う交わりを持つ群でありたいと思うのです。だからこそ、この世の人々に向かって「ここにおいで」と胸を張ってお誘いできるのではないでしょうか。
都を追われるダビデ
ダビデ王が置かれた状況はそれに近いものでした。なぜなら、自分の息子が反乱を起こし、王座を奪われてしまい、先がまるで見えない状況になったからです。ダビデは持っていた物の多くを失ってしまいました。
息子アブサロムはヘブロンで王として立つという宣言をしました。
そして、この13節では「イスラエルの人々の心はアブサロムになびいています」と知らされたことが語られています。この4年の間にダビデから人々が去って行きました。ダビデ自身の弱さも関係していたかも知れません。いくつかの罪を犯し、親子関係でも失敗したダビデでした。それに加えてアブサロムに悪い噂を流されてもいました。
こうした状況下、美男子で優しくしてくれるアブサロムに人々がなびいていきました。さらには、ダビデの側近で有能な助言者だったアヒトフェルまでも裏切ってしまったのです。ダビデはこの状況を知らされ、14節で「さあ、逃げよう」とすばやく決断します。
あっさり逃げる決断をしたように見えますが、内心は非常に傷ついていたことでしょう。多くの人を取られ、王座を奪われ、力を失ったからです。
神のみこころに従う誠実なダビデ
しかし、そのような中でもダビデを慕い、「主が油注がれた王だから」という理由で、不利な状況でもダビデに従い続ける忠臣がいたことはなんと幸いなことでしょうか。
ダビデからしたら危急の時ですから、今は少しでも自分に従う者が欲しいはずです。それなのに、愛と敬意をもってガテ人たちの幸いを願ってこう助言しているのです。
確かにアブサロムも人々に好意的で優しさを確かに見せていました。だから人々が彼につきました。でも、その動機は極めて自己中心的でした。自分に人々を惹きつけ、力をつけることが目的でした。自分の利益のために利用しているのです。ダビデの持っているものを全部自分のものとしたかったのです。そのために「優しい姿を演じた」わけです。
けれどもダビデはそれと対照的です。
最も苦しく人手が欲しい時なのに、ユダヤ人ですらないガテ人(ペリシテ人)の兵士イタイたちを心から思いやっているということです。これは単なる優しさで以上のものです。そこには、神のみこころに従う姿勢がありました。律法には、弱い立場に置かれる在留異国人への思いやり、優しさを教えているものがあります。当然ダビデはそれを知っており、その教えに忠実でもあるということでしょう。
何よりも、これがやはり神を信じる「まことの王」の姿ではないでしょうか。そこに本当の意味で、人の心を動かす力が与えられたのです。
状況ではなく、神の真実なみこころを見つめた異邦人
それに対しイタイはこう返事をします。
最初に「主は生きておられます」と宣言しました。
彼は異邦人でありながら、主を信じて歩んでいる様子が伺えます。アブサロムも主の御名を口にしましたが、自分の利益のためにそうしました。しかし、イタイは明らかに不利な状況でありながら、ダビデに従うことを主のみこころとして受け止めて、このように告白しているのではないでしょうか。
イタイは真理を見る目を持っていました。おそらく目に見える情勢だけを見て、目先の利益だけを考えればアブサロムについた方が良かったでしょう。しかし、イタイは異邦人でありながら、ダビデが信じていた「生ける神、主」を見ていたのではないでしょうか。
また、自分の利益を天秤にかけて道を選ぶのではなく、「主のみ旨は何か」ということに、いつでも目を留めて参りましょう。主はダビデを王とされたのです。
実は逃亡時のダビデの心境について、詩篇3篇で語られています。
敵がどんどん増えていき、仲間が敵になって行きました。「彼には神の救いがない」なんて否定され、噂が流されました。でも噂ではなく真実を求めたいのです。
真実は主がダビデに油注がれ王とされたということです。
イタイは後に三大将軍に大抜擢されます。
目に見える情勢に右に左に流されるのではなく、一本まっすぐに通った神のみこころに堅く立つ時、見えない神による確かな守りと祝福を受けるのです。