東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: 第一テサロニケ
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

最新情報

ラベル 第一テサロニケ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 第一テサロニケ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2021/07/14

Ⅰテサロニケ5章23-28節「この手紙を聞かせよ」

*** 7/14(水)祈祷会 説教概略 ***

ネイティブアメリカンのことわざに、こういうものがあります。

「あなたが生まれて来た時、あなたは泣いていて(オンギャー)、みんなは笑っていたでしょう(誕生の喜び)。あなたが死ぬ時、あなたは笑い(満足)、みんなが泣いてくれる(惜しまれる)人生を送りなさい」

あなたが自分の人生を振り返り、満足して笑顔で去ることができるように。そして、周囲の人々はあなたを慕うがゆえに、別れを心から惜しんで涙してくれる。そんな人生を歩みべきだという教えでしょう。

2021/07/07

Ⅰテサロニケ5章16-22節「神の望み」

*** 7/7(水)祈祷会 ***
Ⅰテサロニケ5章16-22節「神の望み」

 今日の前半のみことばは、多くの人に親しまれているみことばで、暗唱されている方もいらっしゃるみことばですね。賛美にもなっています。

 短い文章で、端的でリズミカルに語られていて、覚えやすいですよね。
 ギリシャ語でも16-17節は2語、18節前半は3語と、短く少ない単語で構成されています。

Ⅰテサロニケ5章16-22節
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい


2021/06/30

Ⅰテサロニケ5章14-15節「寛容さと善を行なうこと」

*** 6/30(水)祈祷会 説教概略 ***
Ⅰテサロニケ5章14-15節「寛容さと善を行なうこと」

 先週語られたみことば、12-13節では、ひとりひとりがみことばの指導者に対して十分に尊敬を払うことを教えられていました。そして今度は、自分たちが人をケアする立場、指導的立場でもあることを意識させられる勧めとなっています。

2021/06/23

Ⅰテサロニケ5章12-13節「良い聞き手が良い語り手を育てる」

 *** 6/23(水)祈祷会 説教概略 ***

Ⅰテサロニケ512-13節「良い聞き手が良い導き手を育てる」

 今まで経験したことのないことですが、コロナの影響によって、カメラの前だけでみことばを語る機会がありました。聴衆がいない中でカメラに向かって話す。それはこんなに難しいものかと思わされました。逆に言うと、席に座って真剣に聞いてくださる一人一人の存在によって、支えられ成り立っているのだと意識させられました。説教は一方通行ではなく、そこにいる聞き手があって説教としての意味を持つことを思わされます。

2021/06/16

Ⅰテサロニケ5章1-11節「光の子として」

*** 6/16(水)祈祷会 説教概略 ***

Ⅰテサロニケ5章1-11節「光の子として」

「光の子」として歩むというテーマで教えられてまいります。
みことばの光、キリストの光に照らされつつ歩んでいきましょう。

2021/06/09

Ⅰテサロニケ4章13-17節「再臨の主にある望み」

*** 6/9(水)祈祷会 ***

Ⅰテサロニケ4章13-17節「再臨の主にある望み」

 ここ10年ほどを振り返ると、東日本大震災や様々な地震災害、台風・豪雨被害、さらには新型コロナウイルスによるパンデミックと、多くの災害によって死の危険を身近に感じる10年であったように思います。

 それだからこそ、キリストを信じて揺るぎなく安心して歩めることはなんと大きな恵みであろうとかと改めて思わされています。究極的な解決はキリストにしかありません。コロナウイルスもやがて落ち着いていくでしょう。しかし、また別の災害や困難が私たちに訪れ、そのたびに死の危険が迫るからです。

 ですから、私たちは本当の意味での死とその恐怖への特効薬はイエス・キリストの十字架であるということをいつでも覚えたいのです。

2021/06/02

Ⅰテサロニケ4章9-12節「愛と落ち着いた生活」

***6/2(水)祈祷会 説教概略 ***

Ⅰテサロニケ4章9-12節「愛と落ち着いた生活」

先週は神の聖さにあずかり、聖なる者として歩むということを教えられました。そして、その中で「聖さ」とは内的・個人的なことで終始するものではなく、人々との関りの中で捉えるべき面があることを教えられました。愛のない聖さなど存在しないということでした。

神の前に聖なる者とは、神の聖なるみこころに生きる者です。
困っている人に手を差し伸べ、何の見返りもなくとも主が造られ愛されているひとりひとりを愛していく者であるのです。

2021/05/27

Ⅰテサロニケ4章1-8節「聖さにあずかる」

*** 5/26(水)祈祷会 説教概略 *** 

Ⅰテサロニケ4章1-8節「聖さにあずかる」

 この手紙の中心的著者はパウロですが、皆さんのパウロに対するイメージはどのようなものでしょうか。パウロは一見、情熱的に熱く、また厳しく指導しているように思えることがあります。

 しかしながら、彼の手紙をよくよく観察すると、パウロは相手の状況をよく理解し、十分な配慮と繊細さをもって、指導していることに気づきます。一律にマニュアル的な手紙を書いたのではなく、読者のためによく祈り、相手のことをよくイメージしながら、主の御霊の導きの中で記したのだということが伝わってくるのです。

2021/05/12

Ⅰテサロニケ3章6-13節「愛と信仰による慰め」

*** 5/12(水)祈祷会 説教概略 ***

Ⅰテサロニケ36-13節「愛と信仰による慰め」

 パウロたちは迫害下、困難の中にあるテサロニケの兄姉たちを励まそうとしました

 そのためにテモテを派遣しました。この手紙もまた励ましを主要な目的としていると言っていいでしょう。しかし、そのために書かれた手紙の中で、パウロたち自身も励まされ、慰めを受けていたことが明記されています。

2021/05/05

Ⅰテサロニケ2章17節~3章5節「苦難の中の励まし」

*** 5/5(水)祈祷会 説教概略 ***

 テサロニケに生まれた教会。彼らはわずか3週間ほどしかパウロから教わることができず、救われて間もないクリスチャン共同体でした。それでも、彼らは素直にまっすぐに教えを受け取り、指導に従い、神のことばを実践して歩んでいました

 パウロはそのようなわが子のような兄姉たちのことを思い、彼らが今尚厳しい迫害を受けていることを聞いて、慰め励まそうとこの手紙を書きました。

2021/04/28

Ⅰテサロニケ2章13-16節「神のことばとして」

 *** 4/28(水)祈祷会 ***

Ⅰテサロニケ2章13-16節「神のことばとして」

13節に、私たちの信仰の土台となる非常に大切なことが語られていますね。

Ⅰテサロニケ2章13節
こういうわけで、私たちもまた、絶えず神に感謝しています。あなたがたが、私たちから聞いた神のことばを受けたとき、それを人間のことばとしてではなく、事実そのとおり神のことばとして受け入れてくれたからです。この神のことばは、信じているあなたがたのうちに働いています。

 人からのことばとしてではなく、神からのことばとして割り引かず、そのまま受け入れ信じて歩んでいる。「だから大丈夫だ」という確信がパウロにあるとわかります。

 聖書が人間のことばなのか、それとも神のことばなのか。この問いは私たちにとって最も重要な問いでしょう。

2021/04/22

Ⅰテサロニケ2章7-12節「母のように、父のように」

*** 4/21(水)祈祷会 説教概略 ***

Ⅰテサロニケ27-12節「母のように、父のように」

 なんだかんだ言って、親の子に対する愛はこの世界においても最も尊いものの一つでしょう。自分の身を犠牲にしながら、時間をささげながら、子の幸いを願って関わります。ここでは、パウロがテサロニケのクリスチャンたちにとって、まるで母親のように、あるいは父親のように、クリスチャンとして生まれたばかりの彼らを愛し慈しみながら育てようとしていることが語られています。パウロたちの愛の宣教の姿勢について、神様が教えてくださいます。主のみことばに聞いて参りましょう。

2021/04/14

Ⅰテサロニケ2章1-6節「神に喜んでいただくために」

*** 4/14(日)祈祷会 説教概略 ***

Ⅰテサロニケ2章1-6節「神に喜んでいただくために」


私たちはどんな動機で教会に来ているでしょうか?
どんな動機で聖書を読むでしょうか?
どんな動機で奉仕をしているでしょうか?
どんな動機で福音を伝えるでしょうか?

2021/04/07

Ⅰテサロニケ1章8-10節「福音の広がり」

*** 4/7(水)祈祷会 説教概略  ***

Ⅰテサロニケ1章8-10節「福音の広がり」


 人類の歴史の中で、世界の価値観を変えるほどの画期的な発明というものがなされることがあります。聖書の福音がそれによって、より広い世界に届けられるようになったという意味では、やはり「印刷技術の発明」がありますね。

2021/03/17

Ⅰテサロニケ1章1-4節「愛の挨拶」

 *** 3/17(水)祈祷会 説教概略 ***

Ⅰテサロニケ1章1-4節「愛の挨拶」

本日よりテサロニケ人への手紙から語られて参りたいと思います。

テサロニケ宣教

 
 まず、テサロニケというのは、ギリシア北部の港町です。現代のカタカナ表記では「テッサロニキ」というのが一般的なようです。下記の地図を参照ください。

 パウロの第二回目の伝道旅行の時に、ギリシア南部にあるアテネやコリントに行く前にこのテサロニケで伝道をし、そこで生まれ来た教会がありました。この手紙は、パウロたちがコリントに移動してから、テサロニケで新しく救われたクリスチャンたち(教会)に宛てて書かれた手紙です。

教会へのメールはこちらから

名前

メール *

メッセージ *