東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: Ⅰテサロニケ4章13-17節「再臨の主にある望み」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2021/06/09

Ⅰテサロニケ4章13-17節「再臨の主にある望み」

*** 6/9(水)祈祷会 ***

Ⅰテサロニケ4章13-17節「再臨の主にある望み」

 ここ10年ほどを振り返ると、東日本大震災や様々な地震災害、台風・豪雨被害、さらには新型コロナウイルスによるパンデミックと、多くの災害によって死の危険を身近に感じる10年であったように思います。

 それだからこそ、キリストを信じて揺るぎなく安心して歩めることはなんと大きな恵みであろうとかと改めて思わされています。究極的な解決はキリストにしかありません。コロナウイルスもやがて落ち着いていくでしょう。しかし、また別の災害や困難が私たちに訪れ、そのたびに死の危険が迫るからです。

 ですから、私たちは本当の意味での死とその恐怖への特効薬はイエス・キリストの十字架であるということをいつでも覚えたいのです。


本日のみことばから、再臨される我らの主にあって、本当に大きな望みがあることを覚えます。そしてこの望みをもって互いに励まし合うことを教えられましょう。


1. キリストの再臨 ~そこにある望み~

 
 パウロはここで終わりの時に、主キリストによる再臨があることに触れ、望みを失わないように語っています。おそらくパウロたちが宣教したときには、暴動のせいで3週間ぐらいしか滞在できませんでしたので、テサロニケの兄姉たちに、この点について十分に教える時間がなかったのでしょう。

「世の終わりの話(終末論)」というのは、聖書でも黙示録は最後の書物ですし、信仰12か条でも11-12条です。たいていの場合、終末論は学びの中で後半の方に学ぶことになるでしょう。ですから、伝えきれていなかった部分もあったのではと推測します。

特にその中で・・・

キリストの再臨まで生き残れなかった人々はどうなるのか?

再臨前に亡くなった方はどうなるのか?

という部分で人々に不安があったと考えられます。ですからパウロは補足をするかのように、13節でキリスト者の復活の話をしていきます。

Ⅰテサロニケ4章13-17節
眠っている人たちについては、兄弟たち、あなたがたに知らずにいてほしくありません。あなたがたが、望みのない他の人々のように悲しまないためです

 「知らずにいて欲しくない」と語る以上、知らない人が少なからずいたということでしょう。「眠っている人」とは死者のことです。しかし、「眠っている」と表現するのは、どうしてでしょうか?それは、目覚めることを前提にしているからです。つまり、キリストを信じて「死」という眠りについた者は、その死から目覚める時が必ず来るということです。

パウロはそのことを、テサロニケの兄姉に知らないでいて欲しくないと思ったのです。きちんと知っておいて欲しい。なぜでしょうか?理由が明記されていますね。13節後半。

「あなたがたが、望みのない他の人々のように悲しまないため」です。

イエス様を信じていない人たちのように。永遠のいのちを知らないで生きている者のように。「死んだら終わりだ。望みなどない。」と死を恐れている人々のように。死に対して明確な解決を持たず、悲しみにくれないためだと言うのです。

キリストにある者の恵みをよく味わって知って欲しいということです。

とても大きなことですよね。死に対しての勝利があるのかないのか。そこに決定的な違いが生まれます。やはり死の問題について悩み苦しみ、それゆえに教会に来たという方が少なからずいらっしゃいますよね。なぜなら、誰もが死を避けて通れないからです。ですから、死をビクビク恐れて生きていくのか、死に対してさえ勝利して、望みを持って歩めるのか。そこに天と地ほどの差があります。

恐れすぎると、結局は普段の生活に影響を与えてしまうのですよね。

何事でもそうですが、行動範囲を広げるほどにリスクというのは必ず増えます。

しかし、リスクを冒さなければチャンスも生まれません。投資にはリスクが伴いますが、投資をしなければ増やす機会もないのです。死を恐れすぎると、行動に制限が生まれ、様々なところに大胆にリスクを冒して飛び込むことができなくなります。けれども、そのように失敗や恐怖にしばられて、何もしないことこそ最大の失敗になるでしょう。

ですから、私たちの最大の敵である死に対して勝利しているかどうかは、大変大きなことです。そこでパウロが伝えていることは?14

Ⅰテサロニケ4章14節
イエスが死んで復活された、と私たちが信じているなら、神はまた同じように、イエスにあって眠った人たちを、イエスとともに連れて来られるはずです

イエス様は「復活の初穂」ですから、イエス・キリストを信じるすべての人は、復活のイエス様と同じようによみがえることが出来ます。収穫の季節になり、最初に一粒の麦が無事に実っているのを見た時、今年もこれに続いて収穫が与えられると知ることができます。最初の一粒を見て、これからどんどん獲れるなと思うわけです。

1階の胡蝶蘭が今年も花を開かせました。それを見て、まだ蕾の部分もこれから花を開かせるのだなと知ることができるわけです。同様にイエス様の十字架の復活は、信じる者にとって初穂です。

 


2. 主のことばをもって互いに励まし合おう

 
 続く15節によれば、パウロはここで自分の考えを語っているのではないと分かります。「私たちは主のことばによって、あなたがたに伝えます」とある通りです。

 多くの人は死生観について、自分なりの考えを持っていることでしょう。死んだら無になる、死んだら仏になるなど。しかし、それらはどれも「その人の考え」に過ぎません。

 学生時代に友人と死後の世界について語り合ったことがあります。それぞれ自分なりの考えを話しました。聞いていて一つ分かったことがあります。どの意見も最後に「と思う」と結んでいることです。未経験であり、根拠がないので「こう思う」としか言えないのが人間なのだということです。

 私も自分の知恵では、まるで不確かなことしか言えません。正直自分の考えではわからない世界でした。けれども、聖書には根拠があり、明確に語れていることに気づきました。世界のベストセラー、奇跡の書である聖書。神のことばである聖書が世の終わりや死後のことを明示していることは力強い証言です。神のことばがあることはなんと幸いなことでしょう。

 パウロは「自分の考え」を伝えているのではなく「主のことばによって」伝えているのです。神のことば、聖書の約束。主イエス様の教えに根ざして伝えているのです。

それによれば、キリストの再臨の時に地上でまだ生きている者がいたとしても、その前にまずキリストを信じて眠りについた者が優先して、キリストと再会するとあります。

Ⅰテサロニケ4章16-17節
すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります

 まず、キリストを信じて眠りについた者たちが復活し、そしてまだ地上で生きているキリスト者も引き上げられ、空中で主とお会いするとあります。どのタイミングで再臨があるのかは、私たちは正確にはわかりません。けれども、こうして主を信じて地上の人生を終えた者が大切にされて、キリストの再臨時には確かにからだをもってよみがえるのだとわかります。フワフワと魂が復活しました・・・というものではなく、キリストと同じように栄光のからだ、御霊のからだ、天のからだ、朽ちないからだをいただくのです。

そして何よりも大切なことは17節の最後にあります。

「こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります」

 朽ちないからだ、主と同じ栄光のからだを得たならば、もう死はありません。

 膝も腰も衰えず、目も良く見えるでしょう。脳も内臓も存分に動き、弱り朽ちることがない。だからこそ、まさに文字通り、いつまでも主とともにいられるのです。

 ですから、私たちは体の弱さを覚える時に、それを見て未信者のように落ち込まないようにしたいと願います。望みがない者のようにならないように。むしろ、体の弱さ、衰えを知る時、ますます復活のからだの素晴らしさ、永遠のいのちの豊かさに望みを置く機会としたいのです。

この慰めと励ましが私たちに豊かに与えられています。これは想像ではなく、主のことばによって語られている真実です。

 そして、パウロが最後に明確に命じていることがあります。

Ⅰテサロニケ4章16-17節
 ですから、これらのことばをもって互いに励まし合いなさい

 そうです。人のことばではなく、この真実な主のことばをもって互い励まし合いなさいと言うのです。

 神学生の頃、キャラバン伝道でお世話になった先生と一緒に病院訪問をさせていただいたがあります。寝たきりの方のところでみことばを読み、お祈りしました。その時に先生は「最後はやっぱり人のことばではなく、主のみことばです」と教えてくださいました。

 私たちの望みは人のアテにならないことばではなく、永遠に滅びることのない神のことばです。この再臨の約束のことばをもって互いに励まし合いましょう。

 人々にこの神からいただいた望みを伝えましょう。落ち込み絶望している人にもこの望みを伝えましょう。キリストを知る者の望みを心から感謝しましょう。
 







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