東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: 子育て「隠れた怒りに気を付けて!」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2021/06/08

子育て「隠れた怒りに気を付けて!」

***6/8(火)ママ’sカフェ ***
子育て「隠れた怒りに気を付けて!」
~怒りの正しい理解と対処法~

子育てをしていると子どもたちの様々な怒りと向き合わされます。
また、親自身も子に対するイライラを感じることがあるでしょう。

親子で「怒り」というものの本質を知り、適切に対処できるといいですね。逆に心の奥に溜めこんでしまうと危険なものですので、健全に対処していきましょう。学べばできますので大丈夫です。


1. 隠れた怒りを溜めないように



エペソ6章4節
父たちよ。自分の子どもたちを怒らせてはいけません。むしろ、主の教育と訓戒によって育てなさい

 「父たちよ」とありますが、もちろんお母さんたちにも同様に語られていると理解して良いでしょう。それでも特に、権威者であるお父さんにはより注意を促す意図があるのかも知れません。

 ここにある「怒り」とは、決して子どもの身勝手な「かんしゃく」や「ヒステリー」を指しているのではありません。人は神に似せて「神のかたち」として造られたので、神と同じように不正や悪に対して正義の怒りを持つ存在なのです。良心があり、矛盾やおかしなことへの怒りを持つ存在なのです。これを「義憤(ぎふん)」と言いますが、子どもの心は大人の矛盾や不当な対応に正義の怒りを感じることが確かにあるのです。

 そして、事実、親も罪人なので歪んだ叱り方をしてしまうことがあります。それぞれに怒りのポイント(anger point)が異なり、アンバランスな叱り方をしてしまう面もあります。その人がこだわる所は必要以上に感情的になってしまうことがあるでしょう。

 潔癖症の人は子が何かをこぼしたり、服を汚してしまった時に必要以上に怒るかも知れません。悪意もなくやってしまったことなのに、なぜこんなにも感情的に怒られなければならないのか・・・子どもはそんな疑問や納得いかない怒りを感じるでしょう。

 ある親は物を壊されることに大きな怒りを覚えるでしょうし、ある親は人に迷惑をかける行為に対して、必要以上にムキになって怒るかも知れません。

 アンバランスな叱り方をしていないか?

 本人の意図はどうだったのか?
 
 故意か過失か?

 幼さや未熟さゆえの失敗ではないのか?

 そのあたりを冷静に見極めて対応できればいいですが、そうはいかないことも多いことでしょう。でも、そうした部分は、叱られる子ども本人にとっては小さくありません。

子どもたちは親のそのような不条理な怒りの犠牲になり、子どもの内側に怒りを溜めてしまうことがあります。抑圧され、不正や矛盾に対して不満を感じているのに、それを言えないで内にためることもあるでしょう。

この聖書のみことばにあるように、親は子どもの心のうちに、こうした怒りを溜め込ませないようにする必要があります。


少し具体的に、隠れた怒りの蓄積がもたらす課題を考えてみましょう。 

例1)あるお父さんが、小学生の息子を人前で厳しく怒鳴りつけ従わせていました。子は怖さのゆえに従ったが、明らかに反抗の色がありました。その後も高圧的な納得のいかない親の指導に怒りを感じ、親のいないところで悪いことをし始めました。やがて、この子は中学生になって、親とは対話をしなくなり、不良グループとつるみ、さらに悪い道へと歩んで行きました。

 この子の反抗の原因は何でしょうか?

 悪い友達の影響でしょうか?反社会的な音楽や低俗な番組の影響でしょうか?
 問題の本質は人前で激しく叱られ、恥をかかされ、高圧的な対応に怒りを覚えていたことです。そして、そういうことに納得いかず、とても嫌だったが言えなかったことです。「隠れた怒り」となって蓄積され、それが歪んだ形で吐き出されるようになったのです。怒りの蓄積は、強い反動を生み出します。どこかで爆発しないと耐えきれなくなり、病気になるケースも少なくありません。


 もう一つは、ロックバントの曲からです。例2)ブルーハーツというロックバンドの曲に「少年の詩(うた)」というものがあります。その歌詞を一部、紹介します。

「パパ、ママおはようございます。今日は何から始めよう。テーブルの上のミルクこぼしたら、ママの声が聞こえてくるかな。」

朝からママのヒステリーを「気にしている」子どもの心境です。意図的に反抗心でこぼすのでなければ、本来そこまで叱る必要はないはずです。なぜなら、大人の私たちだってこぼすからです。私も朝からコーヒーを少しこぼしてしまいました(笑)。
さらに次のような歌詞もあります。
 
「先生たちはぼくを不安にするけど、それほど大切なことばはなかった」

先生たちは「そんなんじゃ進学できないぞ!」とか不安にさせることばは多いけれど、心に響くような大切なことばを教えてくれなかったと訴えています。身につまされます。先生に子どもたちは期待しているのです。でも、期待外れすぎると、怒りを感じます。
先生のことばと行動に矛盾がある時など、特にそうでしょう。

さらに・・・

「ただ大人たちにほめられるような バカにはなりたくない・・・そして ナイフを持って立ってた」

 とても過激な内容です。大人たちの顔色を見て優等生のそぶりを見せる。そんな愚かな者になりたくないとの叫び。それはある意味自分の心に正直に生きるということでしょう。

 ただ、そういう様々な怒りの蓄積の中で、ついに「そしてナイフを持って立ってた」という衝撃的な歌詞が出てきます。

 でも、ここに傾聴する必要があると思います。不良も半グレも、そこに至るのに理由があるということです。反抗が目的ではないのです。



2. 怒りの理解と対処 

 

エペソ4章26-27節
怒っても、罪を犯してはなりません。憤ったままで日が暮れるようであってはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。

原文を直訳的に訳すと「怒れ、しかし罪は犯すな」というニュアンスになります。実に、怒りを持つこと自体は必ずしも悪いことではないと分かります。

1 怒ることは悪いことではない

 ということです。悪に対する正義の怒りもあります。子どもたちにも、怒る権利があるのです。怒り自体は人間として正常で健全な感情です。これを無理に抑え込まない方がいいでしょう。それよりも、その怒りの理由を知ることを大事にしましょう。

 間違った怒りであれば正す必要があるでしょう。しかし、物事の不条理や矛盾に対する怒り、悪を正そうとする正義の心は理解してあげる必要があるのです。

 同時に親も自分を見直す必要がありますね。
 矛盾や不当な扱いで子どもを傷つけてしまっていないかと・・・

しかし、同時に気をつけるべきことがあります。怒っている状態は黄色信号なのです。


2 怒りは注意が必要な状態、黄色信号

「怒り」は、正しく対処しないと猛威を奮います。

特に怒りを溜めこみ心の深いところに蓄積させてしまうと、その人の人生そのものを破壊しかねません。人間関係を築けず、成績の悪化、果ては・・・麻薬、犯罪、自傷行為にまで発展するケースもあるでしょう。

「受動(間接)攻撃反応」と言って、怒りを間接的な攻撃行動で表す行為にも現れたりします。権威者を怒らせる目的です。能力があるのにわざと悪い成績とったり、親から頼まれてもわざと遅らせるなどです。

 危険な状態なので、怒りを正しく処理する方法を学びましょう。教えてあげましょう。


3 怒りの正しい処理の仕方を知る

① 神様にお祈りする。

 神様に自分の怒りを率直に打ち明けます。神様はそんな祈りでも喜んで聞いてくださいます。そして、神様に祈る時、少しずつ自分の「怒りの理由」を知る機会になり、心が整理されていくのです。ぜひ、子どもたちに、神様に怒りの気持ちをぶつけていいのだと教えてあげて欲しいと思います。実際、詩篇などは、率直な怒りや嘆きに満ちています。

② 友人、親が聞き手になり、怒りを吸収する

 人に聞いてもらうこと。理解してもらうことはとても大事です。ぜひ、否定せずに話をじっくりと聞いてあげましょう。


③ 様々な方法で怒りを表現

 運動、アート、遊びなど・・・人を傷つけない方法で対処することを学ばせてあげましょう。


 親自身も様々な怒りやイライラを募らせてしまうことがあります。ぜひ、皆さんも神様に祈りながら、怒りを正しく理解し、家族や友人の助けをいただきながら、健全に怒りに対処していきましょう。





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