長引く自粛生活の日々の中で、いつの間にか季節が変わり初夏の陽気に汗ばむ日々となっていますが、皆様はどのようにお過ごしでしょうか。
鳥の声、花の香り、風の音
それらを味わい楽しむ機会はあるでしょうか?
教会の外看板の下には、小さな花壇コーナーがあります。
花壇を備えておいて良かったな・・・と思う今日この頃です。
ご奉仕くださる方々によって、季節により色とりどりの草花を楽しめることはなんと幸いなことでしょうか。
主イエス様も人々を前にして、空の鳥を見なさい、野の花のことを考えてみなさいと語りかけ、そこに示されている神様の優しさや養いの豊かさに気づかせてくださいます。
マタイ6:28-31
28 なぜ着る物のことで心配するのですか。野の花がどうして育つのか、よく考えなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
29 しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装っていませんでした。
30 今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。信仰の薄い人たちよ。
31 ですから、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、心配しなくてよいのです。
心配ばかりの日々です。
けれど、野の花は明日の心配に追われて、必死にお金を勘定して、その結果を見て花を咲かせよう!などとは一切考えていません。
ただ、神様がふさわしい時に蕾を開かせてくださるままに、その身をただおゆだねして、美しい花を咲かせているのです。その期間は決して長いものではないのですが、彼らはその美しさをもって神をほめたたえ、人には慰めや励ましをもたらしているのです。
下の写真は、先日教会で花開いた胡蝶蘭です。
実は、一年前の献堂式のお祝いにいただいたものでした。
花びらが散り、すっかり何もなくなった状態でしばらくの時を過ごしていました。
もう咲かないだろうかと半ばあきらめておりましたが・・・
一年の時を経て、なんと花を咲かせたのです。
これもまた、あきらめずにお世話してくださった兄姉の愛と忍耐の賜物。
そして、神様が私たちを励まそうとこの時期に咲かせてくださったのだと、その恵みに感動し感謝を覚えています。
私たちが思うよりも神様の備えておられるいのちの輝きは強く、あきらめずに時を待つことの大切さを教えられています。
これらの花を見る時、心配ばかりしている私たちに
「心配ないよ。私たちを見てごらん。神様のことがわかるでしょ?」と
草花が語りかけてくれているようです。
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