東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: コロナ禍なのか?コロナ下なのか?

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すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイの福音書11章28節)

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2020/10/09

コロナ禍なのか?コロナ下なのか?

コロナ禍なのか?コロナ下なのか? 

 最近「コロナ」なのか「コロナ」と書くべきなのか少し意見を交わす機会がありました。

 「禍」という字は、訓読みでは「わざわい」と読むことができ、音読みでも災禍(さいか)などと使われます。意味としても思いがけない災難・不幸といったことがあります。ですから、コロナウイルスによってもたらされた様々な災難、困難な状況を指して用いられているのでしょう。確かに新型コロナウイルスは世界規模のパンデミックとも表現されましたし、多くの方が亡くなり、経済的にも深刻なダメージがあり、その通りだと思います。

 それでもしばしば「禍」を使わず、「コロナ下」と表現する場合があります。
 私も意図的に「コロナ下」としています。

 それは「コロナ下」と表現する方がニュートラルに表現できるからです。
 つまり、あまり色を付けずに表現したいということです。仮に「禍」としてしまえば、もはやそのことばの印象は「負の出来事、不幸な出来事」としてほぼ断定してしまいます。

 私たちはこの世界に生かされていて、普段は様々な恩恵をこの世界から受け取って生きています。しかし、しばしば恩恵だけでなく、災禍となって私たちを呑み込むことがあるのがこの世界です。海の恩恵を受けている一方で、海の脅威で人が命を失うことがあります。風や雨の恩恵を受けて生かされている一方で、風や雨の被害で深刻なダメージを受けることもあります。

 それらはコインの裏表のようなもので、どちらかだけを受けるということはあり得ないものでしょう。切り離せないものです。様々なウイルスなどもまた、この世界に意味を持って存在しているのであって、無くなれば別のひずみが生まれることになります。

 また、すべてをコロナウイルスのせいだと言えば楽かも知れませんが、コロナ下のゆえに得ている恩恵、気づかされた大切なこともまたあります。ある人はコロナで仕事の時間が制限され、かえって規則正しい生活になり健康を取り戻したと言います。

 コロナ下で自粛生活をして、健康面は全体として向上しているようだという記事も読みました。深夜までの営業ができず、在宅ワークになり、衛生面に気をつけ・・・そうした結果とも言えるかも知れません。今までが夜中まで営業しすぎだったとも言えます。
 ただ、運動不足になった方は多いでしょう(笑)。でも、それはコロナ下でも自分次第でどうにでもなったかと思います。

 そして、「withコロナ」ということばが示すように、コロナと共存しながら「どのように歩んで行くべきなのか」が今はより大切な問いかけになっていると思うのです。そのような時に「コロナ禍」と考えてしまうのは、なんとも気が滅入ります。

 何よりも、コロナウイルスが世界に起こったことには意味があると思いますし、そこから学ぶべきことがあり、それゆえに守られた人々も少ならからずいるのではないでしょうか。コロナを良いものだなどとは一切思いませんし、私たちも苦労してきました。苦しめられてきました。しかし、コロナだけを悪者にしても何も解決しないように思うのです。 

 聖書にこのようにあります。

わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている。ー主のことばー。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。(エレミヤ29:11)

 これはユダヤ人たちが国を失い、バビロンに捕囚とされる出来事を指して言われています。当時のユダヤ人にとって国を失って捕囚になることは、やはり「わざわい」でしかなかったであろうと思います(その背景には神に背いてきた罪という原因がありました)。

 しかし、そこでも神様は「わざわいではなく平安を与える計画」だと言われます。苦しみで終わってしまうならば、「わざわいだった」で終わってしまうことでしょう。でも、苦しみを経て学び成長し、大切なことに気づく機会とするならば、単なるわざわいで終わらず、大変だったけれども、恵みと平安をいただく機会ともなったと後になって言えるかも知れません。

 だからこそ・・・
「コロナ禍」と表現して、わざわいだ!と最初から結論を出してしまうのは早すぎるように思うのです。
 わざわいで終わらないためにも、この状況下でどう生きるべきかにしっかりと目を向け、心をコロナの問題という檻に閉じ込められてしまうことなく、神様の助けとみわざに期待していければと願います。

 コロナ下であると同時に、神の御手の下にある。
 これをいつも忘れずに歩んで行きたいものです。


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