*** 10/7(水)祈祷会説教概略 ***
Ⅱサムエル記から教えられます。少しこれまでの「あらすじ」を振り返りましょう。13章でご紹介した相関図もご参照ください。
ダビデの子どもたちの間に騒動が起こっていました。息子の一人のアムノンが腹違いの妹タマルを力づくで辱めてしまいました。それに激怒したのがタマルの実の兄アブサロムでした。しかし、ダビデはこの問題に何ら対処できず二人の間に仲裁に入ることもありませんでした。
やがて、アブサロムは最終的に妹を傷つけたアムノンを殺してしまいます。その結果、今度はアブサロムが人々から批判の目にさらされたことでしょう。彼は逃亡し、母の実家のあるゲシュルに3年間滞在しました。
ダビデはその間、アブサロムについて何も対応することができませんでした。
殺人の罪の重さにアブサロムは苦しんでいたことと思います。ダビデが自分を絶対に赦さないのではないかとも思っていたでしょう。ですから、アブサロムはダビデから何かしら声をかけて欲しかったはずです。
「殺人の罪」の問題についてもそれをスルーではなく、何かしらダビデからのアクションを求めていたのではないでしょうか。愛すればこそ、注意や指導があってしかるべきであり、傷つきたくない向き合いたくないという保身からは、子どもは愛を感じることができません。アブサロムは心のどこかで本気で叱って欲しかったし、心配して欲しかったのであろうと思うのです。しかし、ダビデにはそれができませんでした。
自分も同じ罪の性質があったからこそ、その罪の重さと苦しみがよくよく分かるはずです。他人事としてではなく、むしろその痛みの経験者として寄り添い、正しい方向に導くことが可能なはずです。息子たちを愛をもって指導し、必要な罰を与えつつも、真の悔い改めには赦しがあることを伝えるべきでした。
しかし、結果として関われなかったのです。人の弱さだと感じます。
14:2 ヨアブはテコアに人を遣わして、そこから知恵のある女を連れて来て、彼女に言った。「喪に服している者を装い、喪服を着て、身に油も塗らず、死んだ人のために長い間喪に服している女のようになって、
14:3 王のもとに行き、王にこのように話してください。」ヨアブは彼女の口にことばを与えた。
知恵のある賢い女性を用いて、ひと芝居打とうと考えたわけです。「装い」、「喪に服している女のようになって」とあるように、ヨアブが女性に偽装をさせてダビデを説得しようと試みていることが分かります。作り話、ウソの話であります。
つまりヨアブは彼女に台本を与え、演じさせたのです。
彼女は王に話をします。彼女の二人の息子がケンカをしたが、誰でも仲裁してくれないので、ついに一人が兄弟を殺してしまった。その兄弟も赦されず殺されそうである。ダビデはそれを聞いて、兄弟殺しの息子をすぐ赦すよう命令を出すと言います。
その発言を得ると、彼女は13節でこのようにダビデに迫ります。
14:13 女は言った。「あなた様はどうして、神の民に対してこのようなことを計られたのですか。王様は、先のようなことを語って、ご自分を咎ある者としておられます。王様は追放された者を戻しておられません。
彼女が言いたいことはこうです。
「王様、あなたは他の人の息子には赦すよう判断されていますが、全く同じことがご自分の身に起こっているじゃないですか。なぜ、あなたはご自分のことについては、同じようにしないのですか?あなたも息子さんのアブサロムを呼び戻すべきではないですか。」
実は、このようなやりとり・手法は、以前12章で預言者ナタンがダビデに罪を認めさせるために、あるたとえ話をした時と似ているように見えます。そっくりかも知れません。
ただ、本質的に全く違う部分があるのです。
何だと思いますか?
預言者ナタンは神様から遣わされて、主のことばを伝えています。12:1を参照いただくとわかるように、ナタンは神様から遣わされてダビデに語っているのです。この事実がまず最初に確認されています。
さらに、12:7でも「主はこう言われます」とナタンは宣言し、神様のおことばを伝えに来ているのだということが良く分かります。
ですから、神のご栄光のため、神のみこころを求めてなされているのです。
14:18 王は女に答えて言った。「私が尋ねることに、隠さずに答えなさい。」女は言った。「王様、どうぞお尋ねください。」
14:19 王は言った。「これはすべて、ヨアブの指図によるのであろう。」女は答えて言った。「王様、あなたのたましいは生きておられます。王様が言われることから、だれも右にも左にもそれることはできません。確かに王様の家来ヨアブが私に命じ、あの方がこのはしための口に、これらすべてのことばを授けたのです。
やはりここでも、「ヨアブが私に命じ、あの方がこのはしための口に、これらすべてのことばを授けたのです」とあり、この女性の口にことばを授けたのは神様ではなく、あくまでも側近ヨアブであるとわかります。
ただし、ダビデはそれを確認すると、ヨアブの求めを受け入れ、アブサロムを戻すようにしています。それはダビデ自身もまた、確かにアブサロムのことはどうにしかなければとは思っていたからでしょう。しかし同時に、ヨアブという非常に強気で扱いにくい人間の機嫌を損ねないようにとの配があった可能性も考えられます。
14:21 王はヨアブに言った。「よろしい。その願いを聞き入れた。行って、若者アブサロムを連れ戻しなさい。」
14:22
ヨアブは地にひれ伏して礼をし、王に祝福のことばを述べて言った。「今日、このしもべがご好意を受けていることが分かりました。王様。王が、このしもべの願いを聞き入れてくださったのですから。」
ここにあるように、願いを聞き入れてもらえて、自分が王から好意を受けていると分かったと言います。認められ重宝されているのだとわかったということです。ヨアブの関心は、「神のみこころ」にではなく、「自分自身」に向けられているように思います。もし、主に伺っていたのならば、もう少し違った方法でダビデに伝えたのではないでしょうか。
ここに人の弱さがありますね。ヨアブは残念ながら主のみこころを求めてではなかったし、ダビデ王を心から愛するためとも言えなかったでしょう。それよりも、自身の考えが受け入れてもらえるかどうかに関心がより強かったのではないでしょうか。
5:38 そこで今、私はあなたがたに申し上げたい。この者たちから手を引き、放っておきなさい。もしその計画や行動が人間から出たものなら、自滅するでしょう。
5:39 しかし、もしそれが神から出たものなら、彼らを滅ぼすことはできないでしょう。
ガマリエルというパリサイ派の教師が、使徒たちを殺そうと怒りに燃えている議員らに語ったことばです。この意見のおかげで、使徒たちは難を逃されました。
結果どうなったのかを私たちは良く知っています。使徒たちから世界の広まり、全世界にキリスト者が増えまくりました。人間から出ておらず、神から出たものゆえ、増え続け、全世界に広まり、聖書はギネス記録更新中の大ベストセラーとなっています。
私たちはどこに立つべきでしょうか?