東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: 2020年度メッセージ
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

最新情報

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2021/05/27

Ⅰテサロニケ4章1-8節「聖さにあずかる」

*** 5/26(水)祈祷会 説教概略 *** 

Ⅰテサロニケ4章1-8節「聖さにあずかる」

 この手紙の中心的著者はパウロですが、皆さんのパウロに対するイメージはどのようなものでしょうか。パウロは一見、情熱的に熱く、また厳しく指導しているように思えることがあります。

 しかしながら、彼の手紙をよくよく観察すると、パウロは相手の状況をよく理解し、十分な配慮と繊細さをもって、指導していることに気づきます。一律にマニュアル的な手紙を書いたのではなく、読者のためによく祈り、相手のことをよくイメージしながら、主の御霊の導きの中で記したのだということが伝わってくるのです。

2021/03/31

ヨハネ19章1-16節「この人を見よ」

*** 3/31(水)受難週 祈祷会説教概略 ***

ヨハネ19章1-16節「この人を見よ」

 受難週です。
 私たちはこの週、どこに心を向けるのでしょうか。
 年度末ということでなすべきことも多いでしょう。イースター礼拝があるので、その奉仕の準備や新しい年度の様々な備えのことで心がいっぱいかも知れません。

2021/03/29

ルカの福音書22章54-62節 「イエスのまなざし」

*** 3/28(日)主日礼拝 説教概略 ***

ルカ22章54-62節 「イエスのまなざし」

 本日はキリスト教の暦では「棕櫚の日曜日」と言います。
 イエス様がエルサレムに入城された折に、人々が大きな棕櫚の葉を用いて歓迎したことに由来します。ただ、それから数日後、同じ週の金曜日にイエス様は十字架にかけられます。
今週の金曜日が暦の上ではその受難日、イエス様が十字架で苦しまれ息を引き取られた日になります。

2021/03/22

イザヤ書43章5-13節 「神が選んだ証し人」

*** 3/21(日)主日礼拝 説教概略 ***

イザヤ書43章5-13節「神が選んだ証し人」

 今日は、台湾からの留学生が証しをしてくださいました。日本に思いをもってこうして導かれて来てくださった。挫折を味わったり、道が閉ざされたりする経験。でも、その挫折や閉ざされる経験が、実は神様の備えておられるより良い道への備えだったと教えられました。神様が選び、この交わりへと遣わしてくださったのだと改めて励まされました。

2021/03/17

Ⅰテサロニケ1章1-4節「愛の挨拶」

 *** 3/17(水)祈祷会 説教概略 ***

Ⅰテサロニケ1章1-4節「愛の挨拶」

本日よりテサロニケ人への手紙から語られて参りたいと思います。

テサロニケ宣教

 
 まず、テサロニケというのは、ギリシア北部の港町です。現代のカタカナ表記では「テッサロニキ」というのが一般的なようです。下記の地図を参照ください。

 パウロの第二回目の伝道旅行の時に、ギリシア南部にあるアテネやコリントに行く前にこのテサロニケで伝道をし、そこで生まれ来た教会がありました。この手紙は、パウロたちがコリントに移動してから、テサロニケで新しく救われたクリスチャンたち(教会)に宛てて書かれた手紙です。

2021/03/16

ルカの福音書5章8節「こんな私でさえも」

 *** 3/16(火)ほっとカフェ 講演 ***

ルカの福音書58節「こんな私でさえも」

2020年度、最後のカフェになります。
今年度はコロナウイルスに振り回された一年で、計画していた楽しい企画もほとんどできませんでした。そんなこともあり、少し前に教会のHPに記事を書きました。

2021/03/15

ルカ22章35-46節 「暗闇の時、光の時」

 *** 3/14(日)主日礼拝 説教概略 ***

ルカ22章35-46節「暗闇の時、光の時」

 踊る大走査線というドラマ、映画がありました。刑事・警察を舞台とした話です。主人公が、正しいことをなすべき組織に属しているのに、その中では「正しいことができない」と嘆くのが印象的です。権力争いや保身のための圧力、不正の隠ぺいなどが横行し、正しいことが思うようにできないのです。そして主人公に対して先輩の刑事が言います。「正しいことをしたいのなら、偉くなれ」と。裏を返せば、偉くなければ、権力がなければ正しいことが出来ない世界であることを示しています。

これが罪に満ちた世界、暗闇の時代です。

2021/03/10

使徒18章1-11節「恐れないで踏み出す信仰」

*** 3/10(水)祈祷会 説教概略 ***

使徒18章1-11節「恐れないで踏み出す信仰」

 私たちは今、コロナウイルスの問題でかつて経験したことがないような状況に置かれています。いつも通りの生活ができず、教会もいつも通りの活動ができないでいます。考えてみると、教会の活動は「密になること」が基本的に多い気がします。ともに食事をし、ともに祈り、ともに賛美する・・・「密な交わり」こそ教会の核となる部分です。ですから、密を避けるというのは、結構な痛手であると改めて思わされます。

2021/03/08

レビ記25章8-12節 「ヨベルの年 ~解放と新しい人生~」

*** 3/7(日)主日礼拝 説教概略 ***

 トランプのゲームに「大富豪(もしくは大貧民)」というゲームがあります。大富豪はいつも大貧民から、最も強いカードを2枚もらえるので、一度大富豪になると連続して大富豪でいられます。一方大貧民はまさにその逆でなかなか貧民を抜け出せないということがあります。ただし「革命」というルールがあって、カードの強さが逆転し、弱いカードが強くなるルールがあります。これにより一気に大逆転が起こるので面白いわけです。

 しかし、この世界の現実はそうそうこんな事はありません。大富豪はずっと大富豪で、貧しい家はそう簡単には逆転できない社会的構造があるように思います。

2021/03/03

Ⅱサムエル記24章「罪へのさばきと回復、そして希望へ」

*** 3/3(水)祈祷会 説教概略 ***

Ⅱサムエル記24章「罪へのさばきと回復、そして希望へ」

 いよいよ第二サムエル記も最後の24章となりました。
 ここに罪に対する神様の聖なるさばき(罰)と、悔い改めへの赦しと回復、さらにはその先に新しい恵みがあるという希望があります。

2021/03/01

ルカの福音書22章35-46節 「みこころがなるように」

*** 2/28(日)主日礼拝 説教概略  ***

ルカ2235-46節 「みこころがなるように」

 皆さんにお尋ねします。皆さんが考える「お祈り」とは何でしょうか。
 ある人は「神様にお願いすること」だと思っているかも知れません。それも一部と言えます。クリスチャンに与えられた特権であり、他の方のために祈る責任もありますね。

 それでもなお「祈り」の本質について考える時、その本質は「神様と親しく過ごすこと」であろうと思います。神様と個人的に出会い親しく語り合う時間」です。

2021/02/24

Ⅱサムエル記23章8-39節「ダビデを支えた家臣たち」

 *** 2/24(水)祈祷会 説教概略 *** 

Ⅱサムエル記23章8-39節「ダビデを支えた家臣たち」

 
238節からは、ダビデを支えた家臣たちのことが記録されています。歴戦の勇士たちの名前が30数名列記されています。この当時のイスラエルは領土を広げていく全盛期でありました。しかしそれは、ダビデ一人の力では到底なしえませんでした。そこには忠実な家臣たちが名を連ねていたのです。
キリスト教会の働きも同様です。

2021/02/22

ルカ22章31-34節 「イエスの祈りに支えられて」

*** 2/21(日)主日礼拝 説教概略 ***

ルカ22章31-34節 「イエスの祈りに支えられて」

 コロナウイルスが始まった頃、とにかく未知の世界で必死にオンライン対応などをしました。それはそれで大変な中にも新しい発見がありました。しかし、ここまで長期化し、今後もまだ続くということを思う時に、ジワジワとボディブローのように効いて来るなという感覚があります。

2021/02/17

Ⅱサムエル記22-23章7節「ダビデの賛美」

 *** 2/17(水)祈祷会 説教概略***

Ⅱサムエル記22-23章7節「ダビデの賛美」

先週学びましたように、21~24章は以下のような構造を持っています。
今日はCとC′にあたるダビデの賛美のところを味わいたいと思います。
 

A 21:1-14 神のさばきとあわれみ 「神はこの国の祈りに心を動かされた」

B   21:15-22  ダビデを支えた家臣たち

C     22:1-51 ダビデの賛美 

    C    23:1-7  ダビデの賛美 

B′     23:8-39 ダビデを支えた家臣たち

A′   24:1-25  神のさばきとあわれみ 「主がこの国のための祈りに心を動かされた」


2021/02/15

マルコ福音書1章40~45節・詩篇32篇「わたしの心だ、きよくなれ」

 *** 2/14(日)主日礼拝 説教概略 ***
「イエスの風」牧師画家:早矢仕 宗伯 師

「イエスは深くあわれみ、手を伸ばして彼にさわり、『わたしの心だ、きよくなれ』と言われた」

主イエスの心を知る。主イエスが何を思い、感じて居られるか。それを肌身で味わうことが出来るなら…。それは、大きな喜び。愛する者、親しい者のことは心から知りたいと願う。愛し合う者たちは、語り合い、互いの心を打ち明け、心を通わせたいと願う。主イエスの心を知る、御心を知りたいと願うことは、そのような親しさ、愛から生まれる。

2021/02/10

Ⅱサムエル記21章「神のさばきとあわれみ」

*** 2/10(水)祈祷会 説教概略 *** 

Ⅱサムエル記211-22節「さばきとあわれみ」

この2124章は、ダビデの生涯における補足的な位置を占めています。
ダビデ時代の代表的な出来事の記録集と言ったらいいでしょうか。

ここには6つの記事が収められています。そしてまた、これらの記事は以下のような同心円構造(キアスムス)を持っており、それぞれ同じアルファベットの部分がテーマにおいて対になっています。しばしば聖書で見られる修辞表現の一つで、印象的にメッセージを伝えるために技法です。

2021/02/08

レビ記25章1-12節 「安息年 ~神に信頼して生きる~」

*** 2/7(日)主日礼拝 説教概略 *** 

 私たちは絶えず何かをしてしまいがちな存在ですが、あえて手を止めて「やらない」という時を持つことも大切です。それによってしか得られないものもあるからです。

2021/02/03

Ⅱサムエル記20章1-26節「身近な人間関係に悩むとき」

*** 2/3(水)祈祷会 説教概略 ***
 
 私たちの悩み、苦しみの多くは身近な人との関係に由来するものです。あまり関係の深くない人との間ではそれほど悩みません。しかし身近な人ほど衝突したり、傷ついたりするものです。ダビデの生涯を考えても、彼の悩み苦しみの原因の多くが身近な人間関係だったことがわかります。

 この20章ではダビデの失政が隠さず語られています。

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