東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: マルコ福音書1章40~45節・詩篇32篇「わたしの心だ、きよくなれ」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2021/02/15

マルコ福音書1章40~45節・詩篇32篇「わたしの心だ、きよくなれ」

 *** 2/14(日)主日礼拝 説教概略 ***
「イエスの風」牧師画家:早矢仕 宗伯 師

「イエスは深くあわれみ、手を伸ばして彼にさわり、『わたしの心だ、きよくなれ』と言われた」

主イエスの心を知る。主イエスが何を思い、感じて居られるか。それを肌身で味わうことが出来るなら…。それは、大きな喜び。愛する者、親しい者のことは心から知りたいと願う。愛し合う者たちは、語り合い、互いの心を打ち明け、心を通わせたいと願う。主イエスの心を知る、御心を知りたいと願うことは、そのような親しさ、愛から生まれる。

信仰の喜びは、主イエスとの友愛(友情)が豊かに育ち、味わうことから生まれる。友愛が育ち、深まれば、深まるほど、喜びは豊かになって行く…。私たちの信仰と希望と愛は、主イエスの現存を味わう、今ここに生きて居るお方と出会い、その方に触れられ、生まれる…。どんなに祈りを積み、修行を重ね、私たちが手を伸ばしても(もちろん努力は大切…)、主イエスが私たちに向かって手を伸ばし、触れて下さらなければ、私たちの中からは何一つ生まれることはない。福音書は、私たちを主イエスと出会わせる。私たちは、福音書の中で、主イエスと出会い、触れることが出来る。

重い皮膚病に冒され、社会から隔離された人がひざまずいた。「お心一つで、私をきよくすることができます」彼は、主イエスの前にひざまずいた。「お心一つで、私をきよくすることが…この病が癒えるのも、癒えないのもあなたのお心次第。あなたにはその権威がある」必死に癒されることを願いつつも、全権を主イエスにお任せしている…。これが彼の信仰。「お心一つで…」このような信仰は、一体どこから生まれたのか。苦しみが彼に信仰をもたらしたのか…。突然、病に襲われ、彼は何もかも失った。全ての繋がりを失った。彼が繋がることが出来るのは唯一、神だけ…。そんな苦しみの中、神は彼に信仰をお与えになられたのか。「お心一つで…」彼は、主イエスの前に、ひざまずき、必死に身を投げた…。

「イエスは深くあわれみ、手を伸ばして彼にさわり、『わたしの心だ。きよくなれ』と言われた」

彼の姿を見た主イエスの心、内蔵が引きちぎられるほどの痛みを感じ、激しい憤りにも似た感情を覚えられた。「深くあわれみ」それは、激しい言葉…。心が激しく揺れ動く様子を表す。主イエスの眼差しは、目の前にひざまずく人に向き、彼が味わって来た痛み、苦しみ、不安を感じ取り、憂いと悲しみに溢れ、彼を自分のように深く愛した。しかし同時に、激しい憤り、怒りも感じておられた。その目は、人を苦しめる病に、苦しみを抱える者が顧みられることなく、排除されて行く人間の罪の現実に向かった…。主イエスは、憤られた、悔しい思いをして…。神に造られ、神の美しさ、喜びを豊かに現し、あわれみ深く生きるはずの人が、病に冒され、互いに排除し合う…。歪み、汚された神のかたちを目の当たりにして…。「主イエスは深くあわれみ…」主イエスは手を伸ばし、触れてはいけないはずの人に触れた。

「わたしの心だ。きよくなれ」主イエスは、ただ病を癒したのではない。主イエスにとって大切なことは、「きよくなれ」彼をきよくすること…。彼の罪を引き受け、神の心にかなった者、神の美しさをあらわし生きる、信仰、希望、愛に生きる者にする。彼だけではない、彼を排除した社会をきよくする。弱さや問題を抱える者を排除し、互いにさばき合うのではなく、互いを赦し、共に支え生きる、信仰と希望と愛に生きる神の国にする…。

「わたしの心だ。きよくなれ」それは、人の罪を引き受け十字架にかけられること。主イエスは、覚悟をもって言われた。彼の罪、世界の罪を引き受ける覚悟。「わたしの心だ。きよくなれ」そう言いながら、主イエスは十字架に向かって行かれた…。

「わたしの心だ。きよくなれ」今日、主イエスは、あなたに言われる。あなたに触れて、あなたの罪を引き受け下さった。あなたは、きよい。主イエスのいのちを頂いて生きて居るのだ。

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