東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: ピリピ
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2025/10/30

ピリピ1:12-18「主の大きな愛の中で」

*** 10/29(水)祈祷会 説教概略 ***

 この手紙の411節でパウロはこう語っています。「私は、どんな境遇にあっても満足することを学びました」と。どんな境遇でも満ち足りる。それを牢獄の中で言い切れるのは驚きです。それはどこから来るのでしょう。続く13節に「私を強くしてくださる方によって」とある。もちろん、主イエス・キリストです。


2025/10/23

ピリピ1章9-11節「愛を育てる」

 *** 10/22(水)祈祷会 説教概略 ***

 今日のところでは、パウロの「とりなしの祈り」が語られています。パウロがピリピのクリスチャンのために、何をどのように祈っているのか。それを具体的に伝えることによって、それ自体がメッセージにもなっています。そこで何が大切にされているのかが見えて参ります。

2025/10/18

ピリピ1章6-8節「愛の共同体」

*** 10/15(水)祈祷会 説教概略 ***

 日~月曜にかけて教会のリトリートが持たれました。時間としては決して長くはありませんでしたが、それでも普段よりゆっくり皆で過ごすことができ感謝でした。私たちのほとんどは普段は別々の場所で生活しています。教会で会うとしても、多い時で週3ぐらいでしょうか。限られた時間です。だから、ほとんどの時間、私たちは離れた別の地で過ごしています。


2025/10/08

ピリピ1章1-5節「キリスト・イエスのしもべ」

*** 10/8(水)祈祷会 説教概略 *** 

 ピリピ人への手紙から、主の御声に聴いてまいりたいと思います。この手紙は「喜びの手紙」、また「友情の手紙」などと言われています。ですので、どんな境遇でも喜びを失わない信仰、信仰の仲間との一致と協力について教えられることができると言えます。


2024/06/19

ピリピ1章1-5節「喜びの手紙」

*** 6/18(火)ほっとカフェ 講演 ***

 この手紙は「獄中書簡」と言いまして、ローマの牢獄で書かれたものです。牢獄という制限の多い環境にあったパウロによっておもに書かれました。そして、ピリピの教会に宛てたこの手紙は「獄中書簡」であると同時に、多くの人から「喜びの手紙」と呼ばれています!なぜなら、「喜び」ということばが沢山登場し、内容も喜びに満ちているからです。それは、牢獄という悪環境であっても、パウロが喜びを少しも失わなかった証拠です。


2022/07/14

ピリピ1章12-26節 「生きるにしても死ぬにしても」

 *** 7/13(水)祈祷会 説教概略 ***

ピリピ112-26節 「生きるにしても死ぬにしても」


今日は聖書人物シリーズお休みです。
「働き方改革」ということばがありますが、牧師や牧師夫人こそ、取り組むべき課題かも知れません。心理の専門家からは、大変ストレスの多い職業と言われています。また、どのようなお仕事にしても、期待や支援が多いものほど、嬉しくもあるけれど重荷やプレッシャーも大きいと言えるかと思うのです。多くの人から祈られ、支援されているということは本当に感謝な恵みであります。ただ、一方で期待や支援が多いということは、それがそのまま重荷となることもあると思うわけです。

2021/12/01

ピリピ3章12-15節「霊性の問題:クリスチャンの霊的成長」

*** 12/1(水)祈祷会 説教概略 ***

ピリピ3章12-15節「霊性の問題:クリスチャンの霊的成長」


 アドベントを迎えています。アドベントは「待ち望み」の時です。救い主イエス様のご降誕を心から喜び、また世の終わりに再臨されるキリストを待望するという意味もあります。

 しかし、「待ち望む」ということは主とお会いすることを心から楽しみにしているということです。でも、楽しみになるためには、神様と普段から親密な交わりをし、主のすばらしさをよく知っているからこそできることです。知らない相手を心待ちにできるはずがないのです。 そして、主である方を深く豊かに知って行くことこそ、私たちキリスト者の霊的成長そのものになります(霊性の中心にあること)。 
 

2020/09/28

ピリピ人への手紙4章10-14節 「あらゆる境遇に対処する秘訣」

*** 9/27(日) 礼拝説教概略 *** 

 平成のベストセラー本の中でも、200万部を突破する大ベストセラーとなった渡辺和子さんの著書「置かれた場所で咲きなさい」は読まれた方もいらっしゃることと思います。実はこのタイトルの元になったことばは、宣教師からいただいたフレーズだそうです。それは「神が植えられたところで咲きなさい」というものでした。
 
 花は植えられる場所を選ぶことが出来ません。そこが嫌だからと言って他の場所に移ることも出来ません。ただ、神様に与えられた場所で精いっぱいの花を咲かせるだけです。でも、それは神様がそこが良いと植えられた場所なのです。

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