東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: ピリピ1章1-5節「喜びの手紙」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2024/06/19

ピリピ1章1-5節「喜びの手紙」

*** 6/18(火)ほっとカフェ 講演 ***

 この手紙は「獄中書簡」と言いまして、ローマの牢獄で書かれたものです。牢獄という制限の多い環境にあったパウロによっておもに書かれました。そして、ピリピの教会に宛てたこの手紙は「獄中書簡」であると同時に、多くの人から「喜びの手紙」と呼ばれています!なぜなら、「喜び」ということばが沢山登場し、内容も喜びに満ちているからです。それは、牢獄という悪環境であっても、パウロが喜びを少しも失わなかった証拠です。



 私たちは様々な困難を通らされます。思い悩みの牢獄から中々出られないという時があると思うのです。そして、当然のように喜びを持てなくなります。ところがパウロは、この先どうなるか分からない獄中にあって、ともすると自由だった時以上の「喜び」にあふれているかのようです。なぜ、パウロは、そのように歩むことができたのでしょうか。彼のこの手紙から、その秘訣を教えられましょう。私たちの深いところに、揺るぎない「喜び」を抱いて歩めるように、教えられましょう。

秘訣1 「キリストのしもべ」として生きること

1  キリスト・イエスのしもべである、パウロとテモテから、ピリピにいる、キリスト・イエスにあるすべての聖徒たち、ならびに監督たちと執事たちへ。 

 ここでパウロは自分のことを「キリスト・イエスのしもべ」と呼んでいます。実はこの「しもべ」ということばには、「奴隷」、「囚われ人(囚人)」との意味があります。パウロはローマの牢獄で見張られていたのですから、現状は「ローマの奴隷」、「囚人」というのが、彼の立場です。

 しかし、パウロは自分をそうは思いませんでした。彼の心は決してローマの奴隷や牢獄の囚人になっていなかったのです。彼は、どこにいても、どんな時も、自分を「キリストの奴隷、キリストの囚人」としていたのです。私たちは、牢獄につながれてはいません。誰かの支配に置かれてもいないでしょう。しかしながら、何かしらの奴隷になっていることはあり得ます。

 例えば、いつも人の目や人の反応を気にしてしまう人は、「人々の評価の奴隷」でしょう。いつもお金の心配ばかりをしている。その人はお金を管理しているのではなく、お金に支配されているのでしょう。あるいは、怒りや憎しみにいつも囚われている人もいるでしょうか。

 そう考えると、私たち誰もが何かしらの奴隷、囚われ人なのではないでしょうかそこには不安はあっても、平安に基づく喜びがありません!

 しかし、「キリストのしもべ」となる時、私たちをあらゆる縄目から、解放してくださるのです。この方のしもべとなるならば、愛や感謝や賛美をいつも考えてしまう愛の奴隷、感謝の囚人、賛美の虜となるでしょう。同じ奴隷でも、まるで違うのです。


秘訣2 感謝の心 

 あらゆるものを感謝することを教えられたいのです。ただし、感謝を上手にするためにはやはり方法があるのです。3節です。

3節  私は、あなたがたのことを思うたびに、私の神に感謝しています。 

 ここでは面白いことに、「あなたがたに感謝しています」とは言っていないのです。手紙を読んで行くと、ピリピの教会には分裂・分派があったようです。パウロに対しても敵対心を持つ人々もいました。ですから、彼らの中に良い面もあれば、悪い面も多くあるので、そこだけに囚われれば、感謝ができなくなるのです。でも、パウロは、彼らにではなく、神様に感謝しているのです。

 人間に対しては感謝できないことはいくらでもありますよね・・・。自分を憎んで敵対して来る人に感謝なんてしたら、挑発しているみたいじゃないですか。聞く耳さえ持たないでしょう。けれども、神様には一切悪いところがありませんから、すべてを私のための恵みとしてくださるから、感謝できるのです。つまり、周囲が嫌な人だらけでも、神様を知っている人、信じている人は、いくらでもどこででも感謝できるのです。感謝できる材料が神様のもとにはあふれているからです。

 感謝の心が増えれば、比例するように喜びが増して来るのは当然ですよね。


秘訣3 祈ることが許されている

4  あなたがたすべてのために祈るたびに、いつも喜びをもって祈り、 

 聖書では祈りは、単なる願望とかつぶやきではありません。神との対話として、教えられています。対話です。対話である以上は、相手の都合もあるのです。ですから、私たちが誰かに愚痴を話したいと思っても、相手が忙しかったら聞いてもらえません。あるいは、そんな愚痴には付き合いたくないと思われたら、断られるでしょう。ところが、神様に「拒否」の二文字はありません。絶えず祈りなさい、いつでもどこでも祈りなさいとまで言ってくださる。夜中であろうと、地下倉庫にいようとも、主は祈りを聞いてくださる。「祈り」という恵みの特権を私たちに与えておられるのです。これを用いないならもったいない!

喜びの秘訣は、いつでも神様にお祈りできるということ。何でも話せるということ。否定せず聞いてくださる。祈りの中で、私たちは心が整えられ、導かれ、変えられていきます。深い悲しみの中にあっても、祈り続け、神様をその悲しみに招いていくときに、やがて嘆きが喜びへと変わっていくのです。

引用元聖書
<聖書 新改訳2017
聖書 新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会

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