東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: 2023年度メッセージ
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

最新情報

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2024/03/31

ヨハネ20章24-31節「疑う者にも手をさしのべられた主」

*** 3/31(日)イースター礼拝 説教概略 ***

 皆さんとご一緒にイースター礼拝をささげることができ、心から感謝いたします。最初に皆さんに一つ、ご質問させていただきます。皆さんは、「死」というものについて明確な自分なりの解決策をお持ちでしょうか。また、その考えや解決策について「確信」がおありでしょうか。

2024/03/27

ローマ書5章6-11節「キリストによる神との和解」

*** 3/27(水)祈祷会 説教概略 ***

 今週は受難週です。今週の金曜日が暦の上でイエス様が十字架に架かられた日として理解し、夜に受難日礼拝を持つ教会もありますね。私たちは先日の日曜礼拝と、この水曜の祈祷会において、主の十字架をともに見上げます。順番にローマ書を講解していますので、別の個所からとも考えました。ただ、内容的にイエス様の受難を覚えるのにふさわしい箇所であることを示されたので、そのままローマ書から語らせていただこうと思います。


2024/03/24

マルコの福音書15章25~39節「私の代わりに見捨てられた方」

*** 3/24(日)受難週主日礼拝 説教概略 ***

 先週は岩井先生のご葬儀がありました。息子さん、奥様のそれぞれのお話の中に、ユーモアもあり、暖かさがあり、希望がありました。クリスチャンにとって葬儀は絶望ではありません。なぜなら、キリストにある者は「死」に対して勝利しているからです。

 ローマ書8章には、たとえ「死」であろうとも、主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできないとあるのです(ロマ8:38-39)。


2024/03/18

伝道者の書7章13-14節「これもあれも、神のなさること」

*** 3/17(日)主日礼拝 説教概略 ***

 ラインホールド・ニーバーという神学者の祈りは日本の教会でもよく知られています。原文から訳してみました。
「神よ、私に与えたまえ!変えることのできないものは、受け入れる平静さを!変えることができるものは、変える勇気を!そして、それらを見分ける知恵を!」 


2024/03/15

ローマ書5章1-5節「苦難さえも喜ぶ信仰」

*** 3/13(水)祈祷会 説教概略 ***

 神様との平和を土台として持つ人はなんと強いことでしょうか。神様への信頼があるので、苦難の中にさえも、神様のご計画を発見できます。苦難を通して、主が私たちを育ててくださり、練り上げ、希望へと至らせることを知っているからです。これは本当に幸せなことではないでしょうか。苦難さえも喜べるのはなぜか。みことばから教えられましょう。


2024/03/10

第一ヨハネ5章1~5節「世に勝利する神の命令」

*** 3/10(日)主日礼拝 説教概略 ***

 皆さんは「命令」と聞くと、どのような印象を受けるでしょうか。あまり好きな人はいないのではないでしょうか。特に現代の日本社会ではそうでしょう。かく言う私も命令をするのも、されるのも得意ではありません。しかし、命令ということばを使わなかったとしても、命令は私たちの日常に必要なものです

2024/03/07

ローマ書4章18-25節「望みえない時こその信仰」

*** 3/6(水)祈祷会 説教概略 ***

 「きっと大丈夫だろう」とか、「そこそこの確率でこうなるだろう」と思えるものを信じるのに、あまり信仰はいらないかも知れません。それは「確率論」と言った方がいいでしょう。でも、信仰は、確率がどうであろうと関係ありません。たとえ、人の目には0%だと思えるような時でさえ、神様が「そうする」と言われたものはそうなるからです。
 アブラハムの信仰は、望みえない時こその信仰でした。パウロは、その信仰について説き明かしています。


2024/03/04

伝道者の書7章7-12節「神の知恵によって歩もう」

*** 3/3(日)主日礼拝 説教概略 ***

 シェクスピアの作品「お気に召すまま」という作中に、こんなことばがあります。「愚か者は、自分は賢いと考えるが、賢者は自分が愚かであることを知っている。」。自分は賢いと考える人は、むしろ愚か者であると言うものです。ですから、自分は愚かで教えていただく必要があると考え、人からも神様からも絶えず教えられる「賢い者」でありたいと願います。特に、聖書の言う賢い人は、世界を造られた神様から絶えず教えられている人です。


2024/03/01

ローマ書4章13-17節「信じること(信仰)の勧め」

*** 2/28(水)祈祷会 説教概略 ***

 若い頃、私は聖書の内容を分かりやすく伝えさえすれば、使命を果たしていると思っていた節があります。しかし、聖書の物語や戒め、教えをどれだけ伝えても、神様を信じましょう!イエス様を心にお迎えしましょう!と勧めなければ、十分に福音を伝えたとは言えないと、改めて示された時がありました。信じることを積極的に勧めることは、勇気がいることで躊躇しがちです。しかし、背中を押してくれる存在が、実はとても大切なのです。「信じることを勧める」ということ。みことばから教えられましょう。


2024/02/26

第一ヨハネ4章17~21節「恐れに勝利する愛」

*** 2/25(日)主日礼拝 説教概略 ***

 福音派の神学者J.I.パッカーは、その著書(『聖書教理がわかる94章)において、こう言っています。「愛はキリスト者の行動の基本である」と。また、「キリスト者の生活の品質証明書は、キリスト者としての愛である」とも表現しています。


2024/02/24

ローマ書4章9-12節「信仰の父、割礼の父」

*** 2/21(水)祈祷会 説教概略 ***

 クリスチャンになりたての頃、信仰生活というものがよくわかっていなくて、先輩クリスチャンたちを「見よう見まね」でマネしていた自分がいます。やさしい雰囲気を出してみようとか、「アーメン」の言い方をまねてみたり(笑)。でも、それはとても外面的で、本質にならっていないことに気づくわけです。


2024/02/19

伝道者の書7章1-6節「むなしい人生から、実を結ぶ人生へ」

*** 2/18(日)主日礼拝 説教概略 ***

 インスタントの時代です。スマホであれこれ完結してしまいます。買い物も遊びも、仕事まで。手軽に色々なことができます。お店に行かずとも、デリバリーで様々な外食が楽しめます。結婚式や葬儀でさえ、しばしばオンライン参加が可能になりました。確かに、間口が広がり、便利になって、良い面も多くあります。

 しかし、その一方で、苦労して犠牲を払って何かをする機会も減りました。忍耐深く待つことや、コツコツ積み上げていくことが減ってしまったのは、残念なことかも知れません。しかし、その弊害や問題をあまり考えないのも私たちです。


2024/02/16

ローマ書4章1-8節「主に信頼して、ゆだねる」

*** 2/24(水)祈祷会 説教概略 ***

 「主に信頼して、ゆだねる」・・・おそらく幾度も耳にしてきたことばでしょう。けれど、信仰によって義とされ始まった信仰生活なのに、気が付くと信頼できておらず、ゆだねていない自分を発見する。そんな信仰生活だと言う方が少なくないのではないでしょうか。

2024/02/13

第一ヨハネ4章13~16節「神と私 相互内在の根拠」

*** 2/11(日)主日礼拝 説教概略 ***

 我ながらとても難しいタイトルをつけてしまったと少し後悔しております。なんだか神学校の授業のタイトルのようです。少し居心地が良くない感じもします。ただ、こういったことばを使わないとどうなるでしょう。
「私たちが神のうちにいるようになり、神も私たちのうちにいてくださる、その根拠」というだいぶ長いタイトルになり、悩ましいところでした。それに、少し難しそうなタイトルも、たまにはいいですよね。


2024/02/07

ローマ書3章27-31節「誇りは取り除かれた」

*** 2/7(水)祈祷会 説教概略 ***

 日本の茶室には「にじり口」と呼ばれる狭い入り口があります。千利休が、聖書の「狭い門から入れ」との教えからインスピレーションを得た可能性も指摘されます。戦国時代、その入り口は狭いために、鎧や刀を置いて無防備なままで入る必要がありました。茶室はある種の聖なる空間と考えられ、地位も名誉もプライドも脇において、ただ相手と親しく茶を飲みかわす空間でした。私たちの信仰生活はまさにそうで、人間的な物を持ち込まないために、ただ神様の恵みによって、行いによらず価なしに救われるのです。それは、自分を誇る生き方から、神を誇り、神を賛美する人生へと変えられていくためです。


2024/02/06

伝道者の書6章1-12節「何が人のために良いことか」

*** 2/4(日)主日礼拝 説教概略 ***

 この罪の世では、理解できない不条理が満ちています。正しい者が損をし、まじめな人が傷を負う。納得のいかないことが多くあり、努力が水泡に帰すこともある。それは、1節で、「私が日の下で見た悪しきことがある」と語られている通りです。

 日の下、それは天の神様を抜きにした、地上のみの世界のことです。神様を無視して、人間の価値観だけで生きるなら、この世に望みはなく、不条理と悪意に満ちた暗闇の世界です。これらの悪が人の上に重くのしかかっていると語られています。



2024/01/31

ローマ書3章21-26節「信仰義認、その土台にある神の犠牲と忍耐」

*** 1/31(水)祈祷会 説教概略 ***

 「ただほど怖いものはない」と言われます。それは、この世の中で、見返りなしに与えられるものがほぼないからです。しかし、神様は公平で恵み深く、愛なる方です。ですから、人の行いや財産によって差がつく救いではなく、すべての人が等しく救われる、信仰による義というものを備えられたのです。生まれた環境や地位によらず、能力によらず、ただ信じるのみです。ゆえに、すべての人のための福音であると、私たちは胸を張ることが出来ます。価なしに義とされる救いの恵みを、みことばから教えられて参りましょう。


2024/01/29

第一ヨハネ4章7~12節「ここに神の愛が」

*** 1/28(日)主日礼拝 説教概略 *** 

 ある人が、自分の子どもに誕生日プレゼントに何が欲しいかと尋ねたところ、「愛がほしい」と言われたと言います。親としても愛しているつもりだったので、何が足りないのだろうかと悩んだようです。ハグをしたらいいのか、好きな物を買ってあげればいいのか、ほめてあげればいいのか・・・。「愛」ということばは、誰でも知っています。しかし、多くの人が本当の意味での愛を知らず、愛に飢え渇いているように思うのです。


2024/01/24

使徒2章43-47節「教会のコイノニア」

*** 1/24(水)祈祷会 説教概略 ***

 ここ数年、コロナウイルスの大感染という経験したことのないようなパンデミックを通らされました。いまだ、その途上にあるとも言えます。そして、特に、このパンデミックは私たちの交わりを止め、分断や孤立を生みましたね。そういう中で、今、改めて教会の「交わり」ということを考える必要を覚えています。私たちの「交わり」は主の前にあって、十分でしょうか。孤独を覚えている人はいないだろうかと感じています。



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