東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: イザヤ書
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

最新情報

ラベル イザヤ書 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル イザヤ書 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2023/12/18

イザヤ書11章1-10節「まことの王による平和」

*** 12/17(日)アドベント第三 主日礼拝 説教概略 ***

今、日本を見ても世界を見渡しても、真のリーダーが不在のように思えてなりません。争いが絶えず、不正が絶えず、私利私欲で動いている為政者ばかりに見えます。もちろん、完全な人などいませんが、少なくとも誠実に、不正なく人々のために導いて欲しいのです。
しかし、こうした世界だからこそ、まことの王キリストの存在が、闇の中でいっそう輝くように思われるのです。私たちは正義と真実に満ちたまことの王を望みます。真の平和を待ち望んでいるのです。


2023/06/09

イザヤ書6章1-8節 「聖なる神とそのあわれみ」

*** 6/7(水)祈祷会 説教概略 ***

イザヤ書6章1-8節 「聖なる神とそのあわれみ」

聖書から神様とはどういうお方であると教えられるでしょうか。もちろん、神様は愛の神、恵み深い神様。あわれみ深い優しい方です。しかし、愛も恵みもそれが当たり前だと思っている人には、その意味も価値も分からくなります。

2022/12/12

イザヤ書53章6-7節「神の子羊イエス」

*** 12/11(日)主日礼拝 説教概略 ***

イザヤ書536-7節「神の子羊イエス」 

 アドベント3週目を迎えています。クリスマスに降誕されたイエス様がどのようなお方であるのか。それを旧新約聖書からじっくりと教えられています。

今日のテーマは神の子羊としてのイエス様です。それにしても、なぜ、イエス様を「神の子羊」と呼ぶのでしょうか。それはイエス様こそ、人のすべての罪に赦しを与える「完全な犠牲」だからです。

2021/03/22

イザヤ書43章5-13節 「神が選んだ証し人」

*** 3/21(日)主日礼拝 説教概略 ***

イザヤ書43章5-13節「神が選んだ証し人」

 今日は、台湾からの留学生が証しをしてくださいました。日本に思いをもってこうして導かれて来てくださった。挫折を味わったり、道が閉ざされたりする経験。でも、その挫折や閉ざされる経験が、実は神様の備えておられるより良い道への備えだったと教えられました。神様が選び、この交わりへと遣わしてくださったのだと改めて励まされました。

2020/12/07

イザヤ40章1-2節「慰めinクリスマス」

 *** 12/6(日)アドベント第二 主日礼拝 説教概略 ***

 皆さんは「慰め」と聞いてどのような印象を持たれるでしょうか。私ぐらいの世代の男性はもしかしたら「慰められるなんて女々しい、情けない」という印象を持つ方がいらっしゃるかも知れません。「男は泣くな」と言われた世代ではないかと。
 
 ですから「慰められる」というのは弱い人間がされることであって、少し受け入れにくいかなという気もします。私の世代でそうならば、私より上の世代の方は余計そうかも知れませんね。しかし、聖書が語る「慰め」は私たちの持っている印象とは違っています。決して情けないものではなく、すべての人に必要なものであると分かります。その点も含めて、今日クリスマスにおける慰めについて教えられて参りたいと思います。

2020/11/30

イザヤ9章1-7節「希望inクリスマス」

 *** 11/29(日)主日礼拝(アドベント) 説教概略 *** 

今日からアドベント(待降節)です。クリスマスをじっくりと楽しみ味わい過ごしていく季節です。その中でも今日は特にクリスマスのうちにある「希望」について教えられます。

2020/09/21

イザヤ書46章3-8節 「背負ってくださる神」

*** 9/20(日)礼拝説教概略 ***

 私は割と時間に正確な方だと思うのですが、若い頃はもっとそうでした。車を運転しても、電車に乗るにしても、自分の計画した時間通りに行きたいというこだわりが強くありました。渋滞とか事故とかトラブルがあっても必死に間に合わせようとしました。

 でも、最近は自分の計画した通りでなくても、そこから遅れたとしても、そうなったらなったで、そこにも神様の深いご計画があるからいいか・・・以前よりはゆだねられるようになったように思います。無理するよりも「ゆだねよう」と思えるようになってきたという事です。おかげでイライラすることが減り、焦ることも減りました。

 そう思えるのは神様という私を背負ってくださる方がいらっしゃるからです。

2020/04/05

イザヤ書53章1-12節「彼の打ち傷のゆえに」

*** 4/5(日) 礼拝説教概略 ***

 おはようございます!
 動画を用いての礼拝。皆さんもあまり慣れていないでしょうけれど、配信する私たちも全く慣れてはおりません。席が空席の状態でカメラに向かって話すというのは結構難しいなぁと感じています。

2019/01/06

新しい力は上から・・・

新しい力は上から・・・

しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように、翼を広げて上ることができる。走っても力衰えず、歩いても疲れない。(イザヤ40:31) 

しばしば年配の方が若者に向かって、「若いから大丈夫でしょう」と言われるのを耳にします。

確かに、若いゆえにできる無理もあります。

しかし、前節の30節には「若者も疲れて力尽き、若い男たちも、つまずき倒れる。」と語られています。どんなに若くて力に満ちているように見えても、「疲れて力尽きる」ものであり、「つまずき倒れる」ことがあるのです。これが人の力の限界です。

しかし、たとえ年老いていたとしても、主を待ち望む者は新しく力を得ることができるのです。

それは、鷲が大きな翼を広げて、高速で飛翔し空高く舞うことができる姿に似ています。バタバタと羽ばたかせて頑張るのではなく、主が吹かせてくださる上昇気流に身をゆだね、悠々と飛ぶことができるのです。

その人こそ、走っても力衰えることなく、歩き続けても疲れ果てることがないのです。
新しい翼をくださり、空高く優雅に飛翔する鷹のように、私たちも新しい年に主の上からの力をいただいて、疲れ知らずに舞い上がりましょう。

(2019年1月6日 週報掲載)

教会へのメールはこちらから

名前

メール *

メッセージ *