東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: 民数記
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2023/02/21

民数記35章10-15節、22-28節「逃れの町」

*** 2/19(日)主日礼拝 説教概略 ***
民数記3510-15節、22-28節「逃れの町」

 民数記も終盤となりました。ここでは、約束の地での生活に備えて、神様が町の整備を命じておられます。特にタイトルにあるように「逃れの町」を各所に設けるようにと教えておられます。「逃れの町」という存在、私はとても慰められるなといつも思っています。逃れられる場があるというのは、人にとって大きな安心になります。

 特に現代は、昔よりも色々なものから逃れられない時代になっていると言えます。本当の意味で1人になることが難しい時代です。どこに行っても監視カメラがあります。インターネットのおかげでテレワークもできますが、逆にどこに行っても仕事がついて回って来る時代です。

2023/02/06

民数記32章「神の家族として生きる」

*** 2/5(日)主日礼拝 説教概略 ***

民数記32「神の家族として生きる」

 聖書は、個人主義的な信仰ではなく、神の民、神の家族としてともに歩むことを大切にしています。「ひとりぼっちのクリスチャン」という考え方は聖書のどこにもありません。実際、神様は、信仰というものを共同体として、交わりの中で保つことを教えておられますなぜなら、神様ご自身が、そもそも「三位一体」という交わりの神様でおられるからです。神様ご自身こそが、「父、御子、御霊の親しい交わり」を常に持って、協力してお働きをされているからです

2023/01/18

民数記31章1-20節「神から離すものとの戦い」

 *** 1/15(日)主日礼拝 説教概略 ***

民数記31章1-20節「神から離すものとの戦い」

ノルウェーの諺に「北風がバイキングを作った」ということばがあります。厳しい困難な環境が、屈強な勇者を生み出したと言う意味です。確かに温室育ちでは強い人は生まれないでしょう。

聖書のみことばも、私たちにとって受け入れやすい蜜のように甘いことばもあれば、吹きすさぶ北風のように厳しいものもあります。そして、時に厳しいみことばを避けたくなるのが人情です。しかし、その厳しさと向き合うことが、私たちのいのちを救うことがあると覚えたいのです。

2022/11/22

民数記30章1-8節「真実な歩み」

*** 11/20(日)主日礼拝 説教概略 ***

民数記301-8節「真実な歩み」

 昨日、チャペルコンサートを終えて、家に帰ってからのことです。コンサートが守られて感謝だったと家族で話していました。すると突然、会話の最中にも関わらず、二女が急に目を閉じて、しばらく沈黙しました。唐突だったので「え?何?」と思いました。すると、いや、ちょっと今、神様に祈ったのだと言い出しました。

2022/11/07

民数記27章12-23節「モーセからヨシュアへ」

*** 11/6(日)主日礼拝 動画配信 ***

民数記27章12-23節「モーセからヨシュアへ」

今、世界では強権的な指導者が増えてきました。民主主義への失望と苛立ちが背景にあるのかも知れません。多くの人が忙しさで無関心となり、楽な道を求めると独裁を生みやすくなるのですよね。そして、強い独裁的指導者が強い組織を生み出すと思われがちです。しかし真に強い組織とは、その指導者がいなくなっても、大きく変わることなく続いていく群れでしょう。

2022/10/26

民数記27章1-11節「熱意ある求め」

 *** 10/23(日) 主日礼拝 説教概略 ***

民数記27章1-11節「熱意ある求め」

 「三顧の礼」ということばがあります。三国志の故事成語です。劉備玄徳という国主が、天下泰平のために軍師として諸葛亮孔明を迎えたいと思い3度もお願いに行ったのです。諸葛亮孔明は、その本気度を見るために3度の礼を見守っていたのではないでしょうか(なお、三顧の礼は、必ずしも3回ではなく何度もという意図があります)。

2022/10/10

民数記26章「荒野の40年を経て」

*** 10/9(日)主日礼拝 説教概略 ***

民数記26章「荒野の40年を経て」

 2015年の国連で「SDGs」というものが採択されました。これは「持続可能な開発目標」と訳されます。具体的には2030年までの15年をかけて、「持続可能な世界」の実現を目指すものです。そのために世界規模で取り組んで行こうとするもの

 目の前のこと、短期的なことばかりに終始する時代です。こうして継続して取り組むことは、今の時代に最も必要なことかも知れませんね。

 しかし、これは、教会にこそ必要なことかも知れません。

2022/09/21

民数記25章1-13節「ねたむほどの愛」

 *** 9/18(日)主日礼拝 説教概略 ***

民数記251-13節「ねたむほどの愛」


 しばしば、親がとても厳しくて結婚をしようにも、結婚相手をなかなか紹介しにくいといったケースがあります。お父さんは娘の、お母さんは息子の結婚相手は、特に気になる傾向があるかも知れませんね。私もそういうところがある・・・かも知れません。

 ただ、それはなぜなのでしょうか?

2022/09/07

民数記22-24章「呪いを祝福に変える神」 朗読:申命記23章4-5節

*** 9/4(日)主日礼拝 説教概略 ***

申命記23章4-5節、民数記22-24章「呪いを祝福に変える神」 


 本日の聖書箇所は大変長いところですので、礼拝前に読んでいただくようお願いしました。そして、朗読は結論がまとめられた申命記234-5のみを読んでいただきました。そこでは、イスラエルを呪うためにモアブ王に雇われたバラムという占い師が登場していましたが、神様はバラムの声を聞かず、呪いを祝福に変えられたと語られています。

 神様は悪意や呪いさえもご自身の民のために、祝福に変えることができるということです。そして、その理由は、申命記23:5節にありました。「あなたの神、主はあなたを愛しておられたからである」。神様は、試練を通して愛する者を育てることはされますが、「呪い」が及ぶようなことはさせないということです。

2022/08/12

民数記21章4-9節「仰ぎ見れば生きる」

*** 8/7(日)主日礼拝 説教概略 ***

民数記21章4-9節「仰ぎ見れば生きる」

 おはようございます。ただし、今日も土曜午後の収録です。
長女の感染から始まりましたが、やはり家庭内で感染を防ぐことは難しく、徐々に感染者側の人数が増えていきました。面白いもので、感染していない側が感染している側より少なくなると、どっちが隔離されているのか分からなくなります。

コロナウイルスの問題も、ごく少数の人だけが感染していた時期は、感染された方はとても肩身の狭い思いをされたでしょう。しかし、もうあまり隠さないで良い(元々隠す必要はないものだと思いますが・・・)、そういう状況になりつつあります。

2022/07/25

民数記20章1-13節「メリバの水」

*** 7/24(日)主日礼拝 説教概略 ***

民数記20章1-13節「メリバの水」

 元首相の狙撃事件とそれに伴い、ある宗教団体との関わりが報道される日々です。そして、そのような中で人間の教祖がまるで神のような権限を持ち、誰も逆らえなくなることが、いかに恐ろしいことかと思わされます。

「人間が神のようになろうとすること」は、いつでもとても罪深いことで危険です。それは聖書が繰り返し警告している問題ですが、歴史の中でもたびたび起こって来たことでもあり、カルト団体、新興宗教などで実際に起こった例もあります。

2022/07/04

民数記18章1-7節「ともに主に仕えるために」

 *** 7/3(日)主日礼拝 説教概略 ***

民数記181-7節「ともに主に仕えるために」

 「賜物ゲーム」というものを何度かしたことがあります。その人の賜物だと思うところを互いに言い合うゲームです。賜物とは、神様から各自に与えられている才能、個性。神様からの贈り物です。神様はすべての人にそのような賜物を与えてくださっているのですが、なかなか自覚できないことも多い。そして時に人と比べてしまい、自分には何もないと思い、賜物豊かな人を羨ましく思ってしまうこともあるでしょう。

2022/06/20

民数記16章「自分の立場に不満を覚える時」(朗読は1-11節まで)

 *** 6/19(日)主日礼拝 説教概略 ***

民数記16章「自分の立場に不満を覚える時」(朗読は1-11節まで)

 「~しかない」という言い方があります。「5割しかとれなかった」とか、「3人しか来られなかった」など。ほぼ無意識にそういう反応をする私たちですが、「5割はとれて感謝」と言うことも、「3人来てくれてじっくり話せて良かった」と捉えることも可能ですよね。

2022/06/08

民数記14章、ヨシュア記14章「忍耐深いカレブ」

*** 6/8(水)祈祷会 説教概略 ***

民数記14章、ヨシュア記14章「忍耐深いカレブ」

 本日は、エフンネの子カレブの姿に目を留めましょう。彼の信仰から学び、主のみこころを知る機会とさせていただきましょう。今、ちょうど礼拝説教でも民数記から学んでおり、カレブとヨシュアの場面をお話ししたところでした。記憶に新しい場面です。

 さて、カレブはどういう人物だったのでしょう?

2022/06/06

民数記14章1-25節「神に従い通す者への祝福」

*** 6/5(日)主日礼拝 説教概略 ***

民数記141-25節「神に従い通す者への祝福」

 本日は教会暦で言えば「ペンテコステ」にあたります。聖霊がすべての信者に臨まれるという恵みの出来事でした。聖霊は「キリストの御霊」とも呼ばれ、キリスト中心に生きる道を助けてくださるお方です。この日に、洗礼の恵みもともにお祝いできますことも感謝します。まずは、主のみことばに語られ、御霊の導きをいただきながら、神様に従い通していくことの祝福を教えられましょう。

2022/05/16

民数記13章25-33節「思い込みの盲目」

*** 5/15(日)主日礼拝 説教概略 ***

民数記1325-33節「思い込みの盲目」


 「自分にはこれは出来ない」と決めつけ、神様が「やってごらん」とおっしゃる声をシャットアウトしているということはないでしょうか。実は私は、教会に集うようになって、「ギターをやってみないか」と声をかけられた時、最初はとても強く断りました

 自分は音感も悪いし、リズム感もないし、ギターなどという楽器とは全く別の世界に生きている人間だと思っていたからです。「どうせできない」との思い込みが強すぎて、恥をかくことになるだろうと思い、必要以上に強くお断りしたのを覚えています。せっかく声をかけてくださったのに、失礼な断り方をしたのではと思うのです。私は「絶対にできない」という変な自信があったのです(笑)。

2022/05/04

民数記12章1-16節「主がお立てになったモーセ」

*** 5/1(日)主日礼拝 説教概略 ***

民数記12章1-16節「主がお立てになったモーセ」

 「しくじり先生」というTV番組があって、以前、何度か視聴しましたが、個人的には興味深い番組でした。人生において様々なしくじりを経験した人々が、その失敗談を時に涙を交えて語り、他の人々の教訓とするというものでした。しばしば成功美談よりも、そうした失敗談の方が励ましになるというのはありますよね。

 本日のみことばでは、モーセの姉ミリアムとモーセの兄アロンという、二人の指導者のしくじりの場面です。大祭司アロンに関しては以前にも、「金の子牛を造り、拝ませる」という大失態がありますから、大祭司と呼ばれる者でもそうなのだと思うと、少し慰められます。

2022/04/13

民数記11章24-29節「主にある総活躍社会」

*** 4/10(日)主日礼拝 説教概略 ***

民数記11章24-29節「主にある総活躍社会」

 少し前に、日本政府は「一億総活躍社会」を目指すという方針を出しました。少子高齢化のこの時代に、若い者から年配の方までが活躍できる社会にし、そのみんなの力の結集で国力を上げるというものです。

2022/03/31

民数記11章18-23「主の手が短いというのか」

***  3/31(日)主日礼拝 説教概略 ***

民数記11章18-23「主の手が短いというのか」

 以前知人の教会を訪れた時に「あきらめません」という賛美曲を初めて聞きました。その教会では一つの大きな試練があって、祈りの中にありました。しかし、心を込めて、中には涙ぐむようにしながら「イエス様、私はあきらめません。どんなに涙がこぼれてきても」と歌っておられる姿に、とても励まされたのを覚えています。

2022/03/14

民数記11章10-17節「重荷を降ろし分かち合う」

*** 3/13(日)主日礼拝 動画配信 ***
民数記11章10-17節「重荷を降ろし分かち合う」

 皆さんはモーセという人物をどう見ていますか。
 彼は旧約聖書中でも非常に有名で尊敬されていた信仰者です。若い頃は、エジプト王女の養子とされ、王子の一人として恵まれた環境で育ちました。普通の人では受けられないような教育を受け、また多くの富に囲まれて育った人です。

 後には数百万人の民を導くリーダーになります。ですから、彼は神に選ばれた「特別な人」と思っている方も多いかも知れません。

ところが、聖書を味わって行くと、彼は私たちと同じように欠点も多くある、ごく普通の人であったと気づきます。

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