申命記23章4-5節、民数記22-24章「呪いを祝福に変える神」
特に日本人は「どうしてこんなに災いが続くのだろう」と真剣に悩んでいる時、それは「供養が足りないから呪われているのです」などと言われると、案外信じてしまいますね。特に苦しいことや悲惨なことがあまりに続くと「呪われているのでは?」と本気で考えてしまう方があります。どこかで、何か見えないそういう悪意、呪いのようなものを恐れているのかも知れません。
その弱みに付け込まれて、財産をだまし取られ、最悪の場合家庭も崩壊していきます。その背後に悪魔の存在があります。真理のみことばを柱として持たないゆえに、そうした「根拠なき偽りのことば」に惑わされて、かえって呪いをわが身に招き不幸になっている人がいらっしゃいます。
しかし、何かの呪いであるかのように恐れる必要はありません。神様を信じて歩みましょう!! 惑わすことばに振り回されず、真実なみことばに生きましょう!!
呪う者の背後にさえも主は臨んでくださり、愛する者のために働かれ、祝福に変えて与えてくださるのですから。民数記22章をお開きください。
1. 欲深いバラム
12節で神様のみこころがバラムに語られます。神はバラムに言われた。「あなたは彼らと一緒に行ってはならない。また、その民をのろってもいけない。その民は祝福されているのだから」バラムはこれに従い、断ります。
ただし、彼は強欲で賢い人でしたので、これを利用して占い料を引き上げようと考えたのです。すると、どうなったのか?15節にありますが、バラク王は、もっと大勢の位の高い者をこの占い師に遣わしました。しかも、17節で彼らが言います。「私はあなたを手厚くもてなします。また、あなたが私に言いつけられることは何でもします。」
占い師の期待通り。「手厚くもてなしてくれる!何でもしてくれる!」とのことばに内心喜んだでしょう。調子に乗って彼はもっと報酬を吊り上げようとします。
18節で彼はこう応えていますね。「たとえバラク(王)が銀や金で満ちた彼の家をくれても、私は私の神、主の命を破ることは、事の大小にかかわらず、断じてできません」
まるで熱心なクリスチャンが言いそうなセリフです。王が直々に豪華な家をくれても、自分は主の命に従いますと・・・。でも、これは「偽りのことば」です。今日読んでいただいた申命記の中でも「しかし、あなたの神、主はバラムに耳を貸そうとはせず」とありましたね。彼のことばが偽りだからです。
また、新約聖書が彼の歩みについて触れています。Ⅱペテロ2章15節では「バラムは不義の報酬を愛しました」とあります。悪いことをしてでも儲けようという意識です。さらに、ユダの手紙11節では、利益に心を奪われてバラムの迷いに陥ることは滅びの道であるとも語られています。
2.主により頼まない者の盲目
民数記22章に戻りましょう。
このようなバラムでしたが、今度は彼がモラブ人たちと一緒に行くことを主が許可されました。バラムはロバに乗って王のもとに向かいます。ところが、ロバは、途中で言うことを聞かず右に左にそれるのです。最後にはその場にうずくまり、前に進まなくなりました。そして、主はロバの口を開きことばを与え、バラムを論破させてしまいます。
この後、31節で「そのとき、主はバラムの目の覆いを除かれた。」とあり、彼はようやく目の前に主の使いが剣を持って立っていた事実を知りました。そして、主の使いは彼にこう説き明かしました。32-33節です。
32節 主の使いは彼に言った。「何のために、あなたは自分のろばを三度も打ったのか。わたしが敵対者として出て来ていたのだ。あなたがわたしの道を踏み外していたからだ。33節 ろばはわたしを見て、三度もわたしから身を避けた。もし、ろばがわたしから身を避けていなかったなら、わたしは今すでに、あなたを殺して、ろばを生かしていたことだろう。」
ここからも分かるように、実は、ロバには「主の使い」が最初から見えていたので、進まなかったのです。しかも、バラムはロバのおかげで死なずに済みました。王から高く評価された高名な占い師バラムは、一切真実が見えておらず、ことばにおいても霊的洞察力においてもロバに劣ってしまったことになります。
主に拠り頼まない者はなんと盲目なことでしょうか。
ですから、私たちは恐れる必要がないのです。神に敵対し、キリスト者を攻撃しようとする者があっても、それが人々からほめたたえられるほど賢い人、力ある人であっても・・・まるで真実が見えず、神様にあっさりと打たれてしまうような者だからです。
バラムは知識では「ヤハウェ」という主の名を知っており、自分の利益のために平然とその名を使いました。しかし主を信じておらず、主を少しも愛していないので、真実が見えず、ロバに救われる有様でした。
さすがにバラムは、この神様に本気で逆らったら到底勝てないと恐れ、自分の罪を認めつつ主に従う姿勢を見せるのです。
3.呪いを祝福に変える神
この後、やがてバラムはモアブ王のもとに到着し歓待を受けました。そして、いよいよ依頼に応じようとするも、毎回神様がバラムに臨まれ、イスラエルを祝福することばを与えるのでした。
ロバにことばを与える神様ですから、バラムにも与えることができます。23章5節、あるいは23章16節で、主が彼の口にことばを置いたと語られているのです。
もはや、占い師の儲けはパーです。どうやっても、口を開けばイスラエルの祝福のことばになってしまうからです。当然ながら、モアブ王は激怒します。
24章10節 バラクはバラムに対して怒りを燃やし、手を打ち鳴らした。バラクはバラムに言った。「私の敵に呪いをかけてもらうためにおまえを招いたのに、かえっておまえは三度までも彼らを祝福した。」
そして、私はもてなすつもりでいたが、それこそ、お前の言う主がもてなしを拒否されたのだ。だから、もうお前へのもてなしはもうなしだ!と言われてしまいます。
当然ですよね。神を利用しつつ、王からもたくさん財産をふんだくろうとしたバラムは、何も得られないままです。ただ、神のみわざを見るという特別な機会を受けたので、本来ならここで立ち返っていればどんなにか幸せだったでしょうか?
残念ながら、占い師はこれほどの経験をしながら、不義の報酬を愛して神を愛しませんでした。後にイスラエル人を偶像礼拝に導いたため、自らに死を招いてしまいます。悔い改めず、罪と偽りの闇の中に生き続けることこそ「呪い」なのだと気づかされるのです。