東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: 民数記
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

最新情報

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2022/02/21

民数記10章29-36節「一緒に行きましょう」

*** 2/20(日)主日礼拝 説教概略 ***

民数記10章29-36節「一緒に行きましょう」

 教会は敷居が高い、行くのに勇気がいるとよく言われます。でも、そうであってはならないと思います。教会は普段集っている者たちが自分たちの満足のためだけにあるのではありません。人のために仕えてこその教会です。悩む人、苦しむ人、神を知らない人々のために仕えるのが教会です。初めての方をいつでも歓迎するのが教会です。

2022/02/07

民数記9章15-27節「進むにも、とどまるにも」

*** 2/6(日)主日礼拝 ***

民数記915-27節「進むにも、とどまるにも」 


1日に35000

一体何の数字でしょう?

2022/01/24

民数記6章22-27節「神の祝福を受けて生きる」

*** 1/23(日)主日礼拝 説教概略 ***

民数記622-27節「神の祝福を受けて生きる」

 牧師になり、どれぐらいたってからでしょうか。ある時から、礼拝最後の祝祷において、今日のみことばを祈るように致しました。何か大きな出来事があったというわけではありません。ただ、礼拝に集われる皆さんを、とにかくできうる限り祝福を祈って送り出したいとの願いからでした。

2021/11/08

民数記3-4,8章「主のものとされている喜び」

*** 11/7(日)主日礼拝 説教概略 ***

民数記3-4,8章「主のものとされている喜び」


 子どもの頃に「花いちもんめ」という遊びをしました。2チームに分かれて「誰々さんが欲しい」と相手の誰かを指名して取り合っていくゲームです。自分の名前を呼ばれると嬉しいのですが、反対に自分の名前が呼ばれないとさみしい気持ちになりました。

 人は誰かから求められ、必要とされ、そこに属することで安心する存在です。実に、造り主なる神様は、私たちの本当の居場所となってくださる方です。「あなたが欲しい、あなたでなければ」と親しく招いてくださっているのです。

 聖書はその神様からのラブレター、招待状であると言えます。

2021/10/25

民数記2章「神の布陣」

*** 10/24(日)主日礼拝 説教概略 ***
民数記2章「神の布陣」

 月に2回程度は旧約聖書から語られるということで継続していますが、本日は先週に引き続き、民数記から教えられます。なお、祈祷会ではしばらく新約聖書の手紙を学んでいましたが、そちらが終わってアモス書になりました。

 アモス書の時代は、民数記の時代よりだいぶ時間が進んでおり、なんとイスラエルが絶頂期を迎えている時代です。領土も非常に拡大し、経済的にも繁栄していた時代です。もう水に困って神様に祈るという時代を過ぎた。それだけ豊かな時代です。

 しかし、それは同時に「神様なしには今日食べる物もない!祈らなければ!」という時代も終わったということですどちらが良いのだろうかと考えさせられます

2021/10/18

民数記1章「荒野における神の守り」

*** 10/17(日)主日礼拝 説教概略 ***

民数記1章「荒野における神の守り」

 木曜日にワクチンの1回目を受けました。注射自体はチクっとした程度でアッサリと終わりましたが、注射を打って15分もしないうちに左肩が凝り始め、やがて首・頭痛、そして腰にも来てパンパンに張ってしまいました。

 左腕にごく小さな異変が起きただけですが、体全体がそこを守り庇うかのように一緒に痛みを共有する。そんなことが私の体に起こったようでした。まさに先週のメッセージのように、キリストのからだに属する各器官は、一部が痛めば、そこをかばい合うように全体も一緒に痛む。身をもってそれを体験したところです。ただ、妻は腕だけが極端に痛くて、体の他の部分には何ら影響ないと言っていましたから、妻のからだは一体性がなくバラバラだねと言っておりました。(※筋肉がある人の方が影響を受けやすい?との声もあるようです。)

 冗談はさておき、私たちクリスチャンの信仰の歩みは、決して「一人ぼっち」のものではないのです。お互いを必要とし、お互いに支え合う交わりを持って歩むのが、キリスト者の信仰生活です。ですから、自分が倒れたらおしまいなんかじゃありません。あなたが倒れたのならば、起こしてくれる人がいる。あなたを支えともに歩む仲間が必ずいる

神様はそのような支え合う共同体を築きなさいと言っておられるのです。

2020/09/07

民数記11章23節「主の手は短くない!」

*** 9/6(日) 礼拝説教概略 ***

 世界一貧しい大統領と言われた、ウルグアイのムスカ大統領はある哲学者のことばを引用してこう言いました。「貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ。」

 富や物をいくら所有しても満足できない人こそ最も貧しい人だと言うわけです。聖書でも「今持っているもので満足しなさい」(ヘブル13:5とありますし、「わたしの恵みはあなたに十分である」(Ⅱコリ12:9とも主は言われます。

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