1. 背景 ~民の不平不満~
2. 主の答え ~主の手が短いというのか~
3. 私たちの通った道 ~主の手は短くなかった!~
「3月に入り、いよいよ完成間近です。4月頭には残金支払いと引き渡しが迫っていました。しかし、まだ献金の必要が満たされていないのです。3月10日の礼拝の時点で献金が約120万円足りないのです。焦りがありました。心配してくださる方もあり、万が一の時にどうするか・・・そんな話もあれこれ考えました。けれども主は、この者に示されました。これは人のわざによるのではなく、主の手によるものだということです。
それで私は祈りました。『主よ、あなたは偉大な方。全能なる神様です。万が一にも献金が満たされず、あなたのその御名が力ないものと思われないようにしてください。あなたの御名が恥を見ることがないように。かえって、信じなかった私たちが不信仰を恥じ入る結果となりますように』と。今まで以上に真剣に、ただ主を信じて祈ることを教えられました。主は祈りを聞いておられました。多くの兄姉の祈りを聞いておられました。なんとそれから約1週間後の時点で目標額を40万ほど上回る献金を主は与えてくださいました。期限までに献金で5,000万円という目標が満たされるのか、誰もが疑いました。しかし、主は真実な方でした。恥じ入るのは私たちのほうでした。けれども喜び叫びながら不信仰を恥じることができたのです。」
実にこの後も、ピアノの搬出・搬入、引越し等、課題が多くありましたが、神様は驚くべき方法ですべて先回りしてクリアできるよう備えておられたのです。何度も道がふさがれそうになりながら、不思議と主が道を開かれ、必要なものを全部与えてくださいました。主の手は短くない。私たちが短いと思いこんでいるだけなのです。
イザヤ書59章1-2節を開きましょう。
59:1 見よ。主の手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて聞こえないのではない。59:2 むしろ、あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。
ここにあるように、主の手が短いのでもなく、神様の耳が遠くて聞こえないのではありません。むしろ神様を信じようとしない、私たちの不信仰という「罪」が、仕切りを作ってしまい神様の顔を隠してしまっているのです。神様は近くにおられる。でも、私たちが求めない、信じないので、遠くに感じているのです。
エレ 32:17 『ああ、神、主よ、ご覧ください。あなたは大いなる力と、伸ばされた御腕をもって天と地を造られました。あなたにとって不可能なことは一つもありません。神様に不可能はありません。信じない者にならず、信じる者になりましょう。