東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: 民数記9章15-27節「進むにも、とどまるにも」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2022/02/07

民数記9章15-27節「進むにも、とどまるにも」

*** 2/6(日)主日礼拝 ***

民数記915-27節「進むにも、とどまるにも」 


1日に35000

一体何の数字でしょう?


人間が1日に決断を下す回数だそうです。

 ケンブリッジ大学のバーバラ・サハキアンという教授の研究によりますと、人間が1日に決断を下す回数が、最大で35000回程度だと言うのです。ちょっと想像しにくい数ですね。

 ただ、例えば「私が」にするのか「私は」にするのか、あるいは「私も」にするのか、助詞一つとっても考えて選んでいるのですよね

 そのように誰もが、毎日山ほどの決断をしているわけですから、その決断について、拠り所となるものがあるとどれほど有難いかと思うのです。何の方向性や指針もなしでは、何が良いことか、何が悪いのか、悩んでしまい苦しくなってしまいます。

 けれども、私たちには、安心して拠って立つことができる神のことばがあります。
「どうしよう?」と悩む時に、聖書のみことばを思い出し、イエス様はこう言ってたな、聖書にこうあったなと示されていきます。

 「私がやりました」と言おうと思った時に、神の恵みによって今の私があるとのみことばを思い出せば、「いや、すべては神様の恵みです。ハレルヤ、感謝します」と示されて参ります。まして、コロナ下においては、何をするにも悩み決断することがより増えていることでしょう。

 本日のみことばから、進むにも留まるにも、主の導きに従うことを教えられて参ります。 



1. 進にもとどまるにも、主とともに

 
 イスラエルの民はエジプトを脱出し、シナイ半島の海沿いの道を通り、そして北上して約束の地カナン(現代のパレスチナ)へと向かう旅路です。成人男性だけでも60万人と言われる民族の大移動です。それは苛酷な旅路であったことでしょう。それでもこの民が守られ、やがてカナンの地を治めるようになるのは、ひたすらに神様の導きと守りがあったからです。

 15節をご覧ください。

15 幕屋が設営された日、雲が、あかしの天幕である幕屋をおおった。それは、夕方には幕屋の上にあって朝まで火のようであった。 

 神様がモーセに示されたことに従って、神様との会見の幕屋というものが設営されました。その時に、この15節にあるように、雲がその幕屋を覆いました。この一体この雲は何なのでしょうか? 

この雲こそ、神様がここにおられますという臨在を示すものでした。

出エジプト記40章では、雲が幕屋を覆った時に、主の栄光が幕屋に満ちたことが語られています。また、山の上でイエス様のお姿が光り変貌する際にも雲がわき起こりました(ルカ9章)。さらに来聖日語られるみことばになりますが、イエス様が天に昇られる時にも雲に包まれていました。また、再臨の時にも雲に包まれて戻って来られるとあります。

ですから、この雲は主ご自身がここにおられるという証しでした。

そして、夜は普通の雲では見づらいですから、火の姿となってそこに臨みました。昼は雲の柱、夜は火の柱となって、主がこの民の旅路を導かれたのです。

17-18節にこうあります

17 いつでも雲が天幕から上るときには、その後でイスラエルの子らは旅立った。また、雲がとどまるその場所で、イスラエルの子らは宿営した。18 主の命によりイスラエルの子らは旅立ち、主の命により宿営した。雲が幕屋の上にとどまっている間、彼らは宿営した。 

このように、雲が天幕から上って行くときには、そこから離れないように皆が着いて行くのでした。その雲とともに民はみんなで移動して行きます。そして雲が幕屋の上に降りて来て留まるならば、そこにその間は滞在するということでした。

それはいつでもこの民が主とともに歩む姿でした。そして、主がともにおられたので、彼らはこの危険で困難な旅路を守られたのです。ですから、大切な真理は、進むにしても留まるにしても「主とともに」ということが何より重要だということです。

創世記39:2-3 2 (ヤハウェ)がヨセフとともにおられたので、彼は成功する者となり、そのエジプト人の主人の家に住んだ。3 彼の主人は、主(ヤハウェ)が彼とともにおられ、主(ヤハウェ)が彼のすることすべてを彼に成功させてくださるのを見た。 

神様はいつでも泉が湧き上がる場所をご存知です。そこに私たちを導かれます。恵みのみわざが起こる時を、その場所を知っておられます。ですから、この方の傍らに立たせていただくなら、私たちはいのちの泉から飲むことができ潤います。この方の隣で歩むのなら、恵みの現場にいつでも身を置くことができます。この方から目を離さず、見つめて歩んで参りましょう。民数記9章に戻ります。


2. 進にも、とどまるにも、主の命により

 そして、ここでは彼らは進むにも留まるにも、主の命に従ったことが記されています。

 今日のみことばのキーワードは「主の命により」ということばです。今日開いている15-23節の間に「主の命により」とのことばは7回も繰り返されています。18,20そして23節では3回もくどいほど繰り返されています。

進んで行くにも、留まるにも、「主の命により」決断されたということです。

 19-20節をご覧ください。

 19 雲が長い間、幕屋の上にとどまるときには、イスラエルの子らは主(ヤハウェ)への務めを守って、旅立たなかった。20 また、雲がわずかの間しか幕屋の上にとどまらないことがあっても、彼らは主(ヤハウェ)の命により宿営し、主(ヤハウェ)の命により旅立った。 

 これによると、たとえ留まる期間が非常に長くなったとしても、彼らはそれが主の命である限りはそこに留まり続けました。反対に、滞在期間がどんなに短かかろうと、それが1日、半日であろうとも、主が旅立つように命じられれば、それに従ったのです

 22節では、そのことが強調されており、二日であろうと、一月であろうと、あるいは一年同じ場所に留まることになろうと、この神様の命を疑わず、信じてその通りにする旅路だったことが語られています。雲の動きに従えばいいんだから、分かりやすいし簡単では?と思うかも知れません。確かにシンプルな話です。けれども、私たちが思うよりも大変だったことと思います。

もしかしたら、長旅で非常に疲れている時があるかも知れません。年配の者もあり、赤ちゃんもいる。体調が悪いかも知れません。天候次第では移動したくないということもあったでしょう。それでも雲が上がって行くのならば、民は主の導きを信じてついて行くのです。ものすごく暑いとか、雨風がひどくて嫌だと思っても、主が行きなさいと言われるなら、彼らはそれが最善であると信じて進んだのです。その反対も同様です。自分たちの目には、今滞在している場所が、とても苦しいと思える場合でも、主が留まるよう命じられるのなら、留まらなければなりませんでした。 

この教会の新会堂建設もそういう旅路でした。経済的状況を見れば、進めないと思えたかも知れません。でも、神様が示されたので進んで来ました。土地を購入してからは、早く建てたいと願いましたが長く待たされました。しかし、主はふさわしいタイミングでお建てになりました。早すぎもせず、遅すぎもしませんでした。早過ぎても遅すぎても、旧会堂における古いピアノの搬出が困難になる可能性がありました。また、コロナウイルスが始まる前に建てられことは本当に主の守りでありましたし、時間をかけて十分に話し合い準備できたことは私たちの交わりが深まる良い機会となりました。

伝道者の書3:11にこうあります。3:11 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。 

信仰とは、神様が良いお方であると信頼することであります。私たちにはわからない事だらけです。それでも神様は決して悪いようにはなさらない!主は良いお方だから、私たちの近視眼では悪く見えることさえも、主のご計画の中で益とされるのだと信頼することです。私たちは誰もが自分の心に、自分の道を思い描きます。けれども、それは本当に確かで幸せへの道なのでしょうか。

私たちは誰もが、思っているより人生における方向音痴なのです。私たちの歩みを確かなものにしてくださるのは、すべてをご存知で良いお方である主です。

  そして、現代における雲の柱は、主のみことば・聖書です。聖霊もみことばを理解し、みことばに生きるように助けてくださいます。ただ、どのように読むのかはとても大切です。教養のために読んでおこうとか、日課だから読んでおこうというのならば、導きの雲にはならないでしょう。また、疑って読むのならば、その恩恵に与ることは難しいでしょう。

 そうではなくて、「神様、あなたはここから私に何を語っておられるのですか?私にどう歩めと示しておられるのですか?」と神様に聞く姿勢で対話するのです。そして、そこで示された「小さな決心」をぜひ積み重ねていきましょう。「あなたの体は神の神殿です」と語られたら、ちょっと今日は野菜を多く食べてみよう。今日はあわれみの心を意識しよう。今日は自分が語るのを少し控え、よく聞くことから始めよう。怒りを治め勇者に優る歩みをしよう。本当に小さな決心からでいい。ただ、主の御声に聞いて、今行くか、後に行くか、語るのか聞くのか、動くのか待つのか、食べるのか食べないのか。

 でも、こうして神様とともに歩むならば、その人は栄え豊かな道を歩めます。苦しみの時にも主のなさることは、時にかなって美しいと信じて、みことばに従いましょう。





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