民数記1章「荒野における神の守り」
木曜日にワクチンの1回目を受けました。注射自体はチクっとした程度でアッサリと終わりましたが、注射を打って15分もしないうちに左肩が凝り始め、やがて首・頭痛、そして腰にも来てパンパンに張ってしまいました。
神様はそのような支え合う共同体を築きなさいと言っておられるのです。
1. 人口調査をせよ
まず、神様は、無秩序になりがちな荒野での生活の中で、明確な秩序と自らの使命や責任を担って歩めるように、人口調査(住民登録)ということを命じられました。
2. 協力してなすように
モーセとアロン二人で担うにはあまりにも大変です。うちの教会の礼拝、数十人ですが、それでも数え間違いが起こります。それが数百万人ですよ!気が遠くなります。そこで部族ごとのリーダーを立て、これを行なうよう主は命じられました。
5-15節ですべて名前が出て来ます。神様は指名までされているので、モーセとアロンはそれに従うだけでした。神様は私たちに負えないものを、決して一人で無理して頑張るようにとはおっしゃらない方だと分かります。いつでも共に歩む仲間、協力し合う友を備えて、一緒に歩ませてくださるのです。
ですから、教会理念にも「キリストの愛に根ざして宣教する教会」としています。キリストの愛で愛し合う時、人々がクリスチャン同士の間に現わされた愛を見て、それがキリストの愛なのだと知ってくださるように。そのようにして、上辺の口先だけの宣教ではなく、愛に満ちた宣教をなしていきたいという理念です。
3. 人口調査の結果
4. 人口調査の意味 そこにある主のお心
それは、この民自身が守られ、有意義に歩めるように。約束の地に向かうにあたって必要な良い備えだったからです。
もちろん第一に、これは軍隊をしっかり組織して、戦う意識を自覚して歩むということがありました。あらゆる外敵から、夜盗から、野の獣から、近隣諸国からも弱い者たちを守らなければなりませんでした。ただ人数がいればいいというのではありません。自分たちが家族を、仲間を守るのだ!という自覚、意識が人を強くします。教会も会社も部活動も同じです。「誰かがやってくれるだろう」という人の集まりは、おそらく長くはもちません。お互いがお互いを守る。大切にする。その姿勢が、過酷な旅路、試練の中にあってもお互いを支えていくのではないでしょうか。
第二に、神様は各人が自分のアイデンティティを明確にできるようにされました。それぞれが自分の所属がどこにあり、自分の役割が何であるかが明確にされました。時に出身部族不明、親が誰かわからない。そんな問題があったことと思います。国もない、領土もない、定住する家もない、国境もない・・・そんな状況下では、ますます自分がどこの誰か分からなくなる。しかし、丁寧に調べては、この人はどこの誰なのか。どこに属しているのか、何才なのか。確認し登録されるわけです。
主のご命令ですから、いい加減なことができません。それは、自分がどこの何者なのかを丁寧に確認できる機会でありました。私たちは自分が何者か、どこに所属しているのかということが明確でないと、何をするにも苦しみます。居場所がないと不安で仕方がありません。神様はこの民が何者であるのか、どこに所属して何のためにそこに置かれているのか、住民登録やそれぞれの役割を命じることで、はっきりとさせてくださいました。よく見てみると、先ほど触れた5-15節のところでも、神様は誰でもいいから代表を出せと言わず、一人一人部族ごとに名前を挙げて指名していますよね。指名するということは、神様がその一人一人を知っているということです。
例えば、教会の出席簿も、教会の力を誇示するためのものではなく、ともに礼拝をささげた一員であるという証しなのです。私もそこに確かにいました!ええ、あなたも確かに一緒に礼拝しましたね!という証しです。インターネット動画の視聴者も、視聴数「1」という数字の奥に、おひとりおひとりの尊い仲間がいる。数えられる、カウントされるということは、その共同体の一員とされているということです。そこに数えられているという事の中に、ともに礼拝をささげている一員であるという意識をしっかり大切にしたいと思うのです。ですから、「ひとりぼっち」という方がいらっしゃらないようにと願います。
そのようなことを主から語られていた時に、ふと私自身、教会の兄姉のために一人一人丁寧に覚えて祈っているだろうかと改めて問われました。祈りのリクエスト表を作ってくださる方もいらっしゃるし、それを見て毎日祈ってくださる方もいらっしゃる。本当に尊いことだと思わされるとともに、私自身、まだまだひとりひとりをしっかりと覚えて祈ること、足りてないなと思わされます。そして、ふと最新の祈りのリクエスト表を見ていましたら、ある方の課題欄に、「先生の身も心もお守りください」とありました。ご自分の祈祷課題を書くところです。
そこにあえて私のことを書いてくださっている。祈っていただいているのだなと、恐縮しましたし、そのことを通して私自身もっとみなさんのために祈りたいなと思わされました。
人は「誰かから必要とされること」なしには生きていけない存在です。人の死というのは、実は人から忘れられた時であると、とある名言にありました。マザーテレサも、「誰からも必要とされていないという孤独の中で死ぬことが、人生最大の不幸だ」と言いました。
ご一緒に語られて参りました。 ともすると混乱し、無法地帯、無秩序になりがちな荒野での生活の中で、この民がどの国の人々よりも秩序正しく、互いの存在を大切にして歩めたのは、主の導きゆえでありました。
神様は今日、あなたに語っておられます。
「わたしはあなたを覚えている。あなたを知り、あなたの名を呼び、あなたを私の大切な民として数えている。わたしの働きのために、ぜひ一緒に歩んで欲しい」