東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: 伝道者の書7章7-12節「神の知恵によって歩もう」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2024/03/04

伝道者の書7章7-12節「神の知恵によって歩もう」

*** 3/3(日)主日礼拝 説教概略 ***

 シェクスピアの作品「お気に召すまま」という作中に、こんなことばがあります。「愚か者は、自分は賢いと考えるが、賢者は自分が愚かであることを知っている。」。自分は賢いと考える人は、むしろ愚か者であると言うものです。ですから、自分は愚かで教えていただく必要があると考え、人からも神様からも絶えず教えられる「賢い者」でありたいと願います。特に、聖書の言う賢い人は、世界を造られた神様から絶えず教えられている人です。



 自分の弱さを知り、無知を知り、過信することなく、いつでも全知全能の神様から知恵をいただく人でしょう。たとえ頭が良くとも、神様の声に聞かず自分の知恵に溺れれば、「策士、策に溺れる」との諺にあるように、大きな失敗を犯すでしょう。

 早速7節にこうあります。

7 虐げは知恵のある者を狂わせ、賄賂は心を滅ぼす。

 これは、「たとえ知恵ある人でも、虐げられると狂いもするし、賄賂を受け取れば正義を失い自滅する」ということです。人は弱いのです。賢くとも心が弱れば、過ちを犯します。だから、神様から絶えず知恵をいただく必要があります。

 その賢さは、心の賢さ、精神の賢さ、霊的な賢さ、全人格的な賢さです。それゆえ、神の知恵によって歩むならば、品性があり、魅力的で、揺るぎない落ち着きと強さを持てるのです。

 

1.賢い歩み:焦らず、すぐに怒らず、じっくりと忍耐深く


8 事の終わりは、その始まりにまさり、忍耐は、うぬぼれにまさる。 

 これは1節の内容とも重なりますね。1節で、時間をかけて築いた名声は、お金で瞬時に買える香油にまさるとのことでした。そして、死ぬ日は、神とともに生きた恵みが最も多くなった日です。ゆえに、生まれる日にまさるのでした。

 事の終わりは、その始まりにまさる。 それは、もっと言えば、神のみわざは終わりに行くにしたがって完成するゆえです。旧約より後の時代の新約時代には、キリストが来られました。また、終わりの日にはキリストが再び来られます。キリストが臨んでくださる終わりの時の方が、恵みがよりまさっているのです。神の救いが完成するからです。
 たとえ、この世が悪くなっているように見えても、キリストの日が近づいてもいるのです。ですから、焦らず慌てず、神の救いの完成を期待して待てるのです。

 それゆえ、8節後半では「忍耐」に注目しています。「忍耐」と訳されたことばは、実は「long, slow」という意味を持つことばです。そして「うぬぼれ」は「high」という意味のことばです。ですから、直訳では「長くてゆっくりであることは、高いことにまさる」とも訳せます。「何のことやら」と思われるでしょう。

 実は、新共同訳聖書では「気位が高いよりも気が長いのがよい」と訳されています。気位の高い人、プライドが高い人ほど、事を急いで早く良い成果を出そうとしているように感じます。でも、神様は、焦らず、ゆっくりと忍耐深く積み重ねる方が良い、とおっしゃるのです。それが聖書の教える賢い生き方です。

 これはとても興味深いと思いませんか。
_私たちはより早い方がいい、より高い方がいいと考えがちです。何でも早く早くと焦れて、上を目指して生きています。それで、高慢やうぬぼれを身に着けてしまうのです。

 また、結果を急ぐあまり、ズルや不正をしたり、十分な検査や検証をしなかったりということが起こりますよね。そのような私たちに、神様は「焦るな、ゆっくり忍耐深く歩め」と教えてくださるのです。

 不思議と、ゆっくりと物事を進める人は、うぬぼれや不正から守られるのです。ですから、ゆっくりは、決して悪いことじゃない。むしろ、それは賢い生き方であるとみことばは言います。少しほっとしませんか

 私は神学校の卒業年次に、ある授業がとても難しくて、単位を落とすのでは?と心配しました。留年することになったら、どうしようかと(笑)。けれども、恩師にその話をしたら、「別にもう一年じっくり学べばいいだけじゃないですか」と諭していただきました。

 何かに追われるようにして、急いで高みを目指そうとし、かえって大切なものを見過ごしてしまう私たちです。早く予定通りにいくことが、必ずしも最善ではありません。私たちも、焦ってイライラしながら進めなくてもいいのではないでしょうか。


 そして、急ぎ、焦り、自分を高くすることを目指す人は、軽々しく怒りやすく、しくじりやすい人です。

9 軽々しく心を苛立たせてはならない。苛立ちは愚かな者の胸にとどまるから。 

 「一切怒ってはならない」とは言っていません。軽々しく心を苛立たせてはならないとされています。軽々しくと訳された部分は、「甚だ急いで」とも訳せます。8節との連続性を感じますね。忍耐のない人は、焦れてすぐに苛立ちます。まるで自ら急いで怒りの沸点に到達しようとしているかのようです。怒ることをライフワークにし、あるいはストレス発散としているような印象も受けます。それは、神様の前には、賢くない生き方です。

 周囲の人をも不快にさせます。イライラ・オーラを出して、周囲の人に悪影響を与えてはいないでしょうか。

 8節後半では、苛立ちを胸に長くとどめてしまう者は、愚かな者であると教えられています。怒りを治めることができず、ずっと胸にとどめてしまうのです。まさにこの問題で、実の弟をその手にかけるという罪を犯した人物がいます。カインです。神様はカインが怒っている時、こう警告しました。

「なぜ、あなたは怒っているのか。なぜ顔を伏せているのか。もし、あなたが良いことをしているのなら、受け入れられる。しかし、もし良いことをしていないのであれば、戸口で罪が待ち伏せしている。罪はあなたを恋い慕うが、あなたはそれを治めなければならない。」 

 怒りを治めないと、罪があなたを恋い慕うと警告なさったのです。「怒りを治め、罪を犯さないようにせよ」と聖書は教えています。 エペソ4章を開きましょう。

エペソ4:26 怒っても、罪を犯してはなりません。憤ったままで日が暮れるようであってはいけません。4:27 悪魔に機会を与えないようにしなさい。 

 ここでは、原文は「怒りなさい」という命令形です。その意味は、「怒るがよい。ただし、罪を犯してはならない。憤ったままで日が暮れるまでいてはいけない」ということです。その理由は27節にある通り。怒りの状態が長く続くほどに、悪魔に機会を与えることになるからです。

 怒っている状態は罪を犯しやすいのです。人を傷つけやすいのです。だから、怒った場合でも、長く留めてはいけないのです。私たちはどうでしょうか。怒りのゆえに、罪を犯してしまったということは、少なくないのではないでしょうか。怒りを治める者は勇士にまさるのです。

 イエス様の十字架もまた、イエス様に対する権力者たちの嫉妬と怒りが、殺意となって現れたものでした。イエス様が人々から愛され、尊敬されていたので、堕落の中にいた権力者たちは嫉妬し、怒り、殺してしまおうとしたのです。ですから、怒りが私たちを弱くすることを心に刻みませんか。大切な人たちを、一時的な感情で深く傷つけてしまわないように。焦ってことばを出して罪を重ねてしまわないように

 それよりも、十字架のイエス様を仰ぎ見たいのです。人々の怒り、憎しみ、悪意をすべてその身に受け、祈られました。「父よ、彼らをお赦しください」と。そうして十字架におかかりになったのです。この方を見上げて、この方を信じ、この方の愛にとどまりましょう。   

 伝道者の書に戻りましょう。710節です。10 「どうして、昔のほうが今より良かったのか」と言ってはならない。このような問いは、知恵によるのではない。 「忍耐」のない人ほど、今の困難な現実から常に逃げようとし、違う時代の話をするのです。今、ここに働いておられる主を見失わないでいたいのです。神のなさることは、いつでも時にかなって美しいのです。主は、常に新しいことをされます。ですから、「昔の方が良かった」と安易に逃げないで、焦らず、じっくりと主のなさることに目を向けましょう。

 

2.知恵と財産  11-12節では、知恵と財産について語られています。


11 資産を伴う知恵は良い。日を見る人に益となる。 

 神様から知恵をいただいている人が、資産をも持つようになれば、これほど有益なことはないでしょう。その知恵がより生かされて、その資産によって有益な働きができるからです。ですから、神の前に賢い人こそ、資産を持つのは良いことです。クリスチャンは、貧しくあるようにという、昔ながらの人間的な変な道徳観があります。もちろん、贅沢や放縦は良くないのですが、より神様のために働きができる人が多くの財を管理することは、客観的に見ても有益でしょう

 もし、皆さんが投資をするのならば、どのような人に投資するでしょうか。有能でも、悪い人、ずるい人、信頼できない人にはお金を預けたくないですよね。やはり信頼できる人、神を恐れる謙虚で賢い人にゆだねたいですよね。

 逆に言えば、そこまで成長しないと、多くの財を相応しく扱えない私たちなのですから、神の目にかなう信仰・人格をしっかりと身に着けていきたいですよね。私たちひとりひとりが、神様からも人からも「あなたになら任せられる!」、そう思われる者にならせていただきたいのです。

12 知恵の陰にいるのは、金銭の陰にいるようだ。知識の益は、知恵がその持ち主を生かすことにある。 「金銭」には私たちを飢えや苦しみから守る力があります。しかし、金銭だけでなく、「知恵」は私たちを同じように守る力があるのです。特に神の知恵はそうです。そして今、「守る」と私があえて申したのは、実は12節の「陰」ということばには、「守り」という意味もあるからです。神の御翼の陰こそ、安全に守られる場所だと、詩篇では語られていますよね。

神の知恵は私たちを守ります。私たちを生かすのです。

富を相応しく用いる者となるためにも、まずは神を知る知恵、神からの知恵で豊かに成長させていただきましょう。

 

 「神の知恵によって歩もう」というテーマで教えらえて参りました。焦らず、慌てず、すぐに怒らず、じっくりと忍耐深く・・・主はそれを良しとされます。生き急いでイライラするのはやめましょう。回り道してでも、主が喜ばれる道を行きましょう。落ち着いてじっくりと、目の前のことを、主に信頼して励むことを大事にしましょう。急いで怒りの頂点を目指すのはやめませんか。怒りに長くとどまるのはやめませんか。十字架の主イエス様を仰ぎ見る者となり、怒るに遅く、怒りを治めるのに早い者とならせていただきましょう。

思えばイエス様は、むしろ下へ下へとへりくだる道を歩まれました。逆ピラミッドの頂点に主がおられます。遅くていい。低くていい。目立たなくてもいい。誰とも競わず、ただ神のみこころを丁寧に、着実になしていけばいい。そこに喜びを見いだしましょう。そこに主イエスがおられるからです。

そして、神様は、そのように自らを低くし、じっくり忍耐深く歩む者を、高く引き上げてくださるのです。私たちの成長とともに、富も授け、それを用いて主のみわざに励むようにしてくださるのです。神の知恵に生きているからです。

 
引用元聖書
<聖書 新改訳2017
聖書 新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会 

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