東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: ピリピ2章5-11節 「キリストを見よ」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2025/12/12

ピリピ2章5-11節 「キリストを見よ」

*** 12/10(水)祈祷会 説教概略 ***

 この季節、世界中で「キリストの降誕」をお祝いしていますね。しかし、単にイエス様が「生まれた」のではなく、神である方が「人となって生まれてくださった」という意味を含めると、「降誕」という表現がより正確でしょう。



 愛ゆえに「降りて来て誕生された」のです。神である方が、人を愛するゆえに神のあり方さえ後にしたのです。そして、へりくだって十字架の死にまで従い尽くしてくださったのです。ここにある神の愛と謙遜を知り、この恵みに感謝して歩んで参りたいと思います。
 
 先週は、「キリスト者の一致」というテーマでした。それは自分に合わせさせるのではなく、他人に合わせるのでもなく、キリストの心に立って行く時に生まれる一致だとお話ししました。キリストにおいて一致が生まれるのです。

 では、そのために、具体的にどうしたら良いのでしょうか。やはりキリストを知らなければなりません。キリストをしっかりと見つめ、キリストに近づく必要がありますよね。とはいえ、知るにも見つめるにも、御霊の助けが必要不可欠です。霊的に知り、霊的な目で主イエス様を見つめる必要があるのです。5節にこうあります。 

5キリスト・イエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。 

 キリストのうちにある「この思い」を抱くようにと命じられています(これこそ「キリストの心」と呼ばれる御霊によります)。この思いは、英語では「mind(心、精神、思考)」もしくは「mindset(信念、心構え)」などの訳がなされます。キリストの持っておられる「心の方向性」「その姿勢」を示すものです。

 それは神の前に自分を低くして、隣人の救いのために仕える心です。6-8節に、キリストのmindの中心的な内容が記されています。 

6キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、
7ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、8自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。

イエス様は、自分を低くするへりくだりの姿勢、愛のゆえに自分を低くする姿勢を持っておられました。具体的にどのようなものか、整理してみましょう。

 第一に、神と等しいご性質の方、神ご自身であると言って良いお方なのに、神としてあり方を捨てられないとは考えなかったのです。神という立場に固執する必要はないと考えられたのです。そのように考えて、人のためにご自分を「空しくして」、つまり「空っぽに」して人間となり、その中でも「しもべ」の姿を選ばれました。ご自分を「からっぽ」「無」にしたのです。人を愛するゆえに。立場も身分も栄光をゼロになることを引き受けられました。私たちの一致のためのモデル、キリスト者のモデルはここにあると言うのです。3節にあるように「へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい」とあった通りです。

 イエス様は、私たちを尊い救うべき存在だと思ってくださったので、ご自分のいのちを捨てられたのです。もし、ご自分を人より圧倒的に価値が高いと考えるならば、より価値の低い人間のために死ぬことはおかしいこととなります。でも、イエス様は、私たちを尊び、いのちを捨ててまで救う価値があると考えてくださったのです。ご自分をそれだけ低くされたということなのです。人への深い愛に感謝します。

第二に、イエス様は正しいお方なのに十字架の死にまで従われました。イエス様は人になっただけでなく、その中でも低くなられ、十字架刑で罰せられる道さえ受け入れました。十字架刑は、立場のある人が処せられる刑ではありませんでした。地位の低い者であり、かつ極悪な罪を犯した者のための見せしめの拷問刑でした。

それは、肉体的に苦しいだけでなく、ひどい侮辱、屈辱を甘んじて引き受ける行為です。ひどい罪人だとされたのですから。これはあり得ないことです。罪が一つもないだけでなく、むしろ聖さに満ちた方。そして、世界を造られた最も偉大な神様。そのお方が極悪な犯罪者だけが処せられる十字架刑に、自らの意志で従ってくださったのです。その苦しみ引き受けてくださったのです。それは、私たちへの深い愛のゆえです。それによって、十字架による救いのみわざがなされたのです。

私は自分の小さなプライドすら、捨てられない人間です。自分を無視されたり、軽んじられたりすると怒りを覚えてしまうような者です。それこそ妻と結婚する際に、様々な意見の違いを体験しました。その時、神様はこれらのみことばを私に示され、言われました。

「わたしは、あなたのために神であることさえも手放し、十字架に従った。それなのに、それを受け取り救われたあなたは、その小さなこだわりさえ手放すことができないのか」

私たちは、なんて頑固な者でしょうか。なんて小さく大切でないものにこだわり、意地を張り、争ってしまうのでしょうか。100も赦していただいたのに、なぜ隣人のわずか1さえも赦せないのでしょうか。罪ゆえの頑なさです。イエス様はその罪を、圧倒的な謙遜と十字架の苦しみをもって赦しきよめてくださいました。このクリスマス・プレゼントをしっかりと受け取り、主イエスを見つめましょう。握りしめているプライドを手放し、意地を後にし、その主張を譲りませんか。

 私たちがそうしたことを主は喜んでくださり、その人には神様が与えて下さるのです。

9-11節にこうありますよね。 

9それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました。
10それは、イエスの名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが膝をかがめ、11すべての舌が「イエス・キリストは主です」と告白して、父なる神に栄光を帰するためです。

父なる神様は、自分を低くしてへりくだる者を高く引き上げてくださるのです。

主イエス様は、世界で最もご自分を低くなさった方なので、父なる神様は圧倒的に高く引き上げてくださいました。この世界にあるすべての被造物が、「イエス・キリストは主です」と告白し、神に栄光が帰されるようにしてくださったのです。神様は、私たちが主のみこころに従って自分を低くするならば、イエス様と同じように、私たちのことをも引き上げてくださいます。人々が私たちを引き下げた分だけ、主は私たちを引き上げてくださいます。いや、それ以上に主が豊かにしてくださるのです。

You raise me up」(作詞:Brendan Graham 、作曲:Rolf Løvland)という曲があります。日本では、フィギュアスケートの荒川選手が用いて有名になりました。この歌の歌詞は聖書をもとにしていると考えられています。それは、主が私たちを引き上げてくださる、立ち上がらせてくださるという内容です。少し簡単な日本語訳を紹介します。

あなたが私を引き上げてくださるので、山の上にさえ立てる。あなたが私を引き上げてくださるので、嵐の海の上さえも歩ける。あなたの支えがあるので、私は強くなれる。あなたは私を引き上げてくださる、私が出来ると思う以上に」 

 私たちは自分で高めなくていい。頑張って自己主張をしなくていいのです。イエス様についていけば十分、それで大丈夫です。主が相応しい時に私たちを引き上げてくださるからです。ですから、イエス様について行きましょう。イエス様のその思い、その姿勢にならいましょう。


引用元聖書
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