*** 12/10(水)祈祷会 説教概略 ***
この季節、世界中で「キリストの降誕」をお祝いしていますね。しかし、単にイエス様が「生まれた」のではなく、神である方が「人となって生まれてくださった」という意味を含めると、「降誕」という表現がより正確でしょう。
愛ゆえに「降りて来て誕生された」のです。神である方が、人を愛するゆえに神のあり方さえ後にしたのです。そして、へりくだって十字架の死にまで従い尽くしてくださったのです。ここにある神の愛と謙遜を知り、この恵みに感謝して歩んで参りたいと思います。
先週は、「キリスト者の一致」というテーマでした。それは自分に合わせさせるのではなく、他人に合わせるのでもなく、キリストの心に立って行く時に生まれる一致だとお話ししました。キリストにおいて一致が生まれるのです。
では、そのために、具体的にどうしたら良いのでしょうか。やはりキリストを知らなければなりません。キリストをしっかりと見つめ、キリストに近づく必要がありますよね。とはいえ、知るにも見つめるにも、御霊の助けが必要不可欠です。霊的に知り、霊的な目で主イエス様を見つめる必要があるのです。5節にこうあります。
5節 キリスト・イエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。
キリストのうちにある「この思い」を抱くようにと命じられています(これこそ「キリストの心」と呼ばれる御霊によります)。この思いは、英語では「mind(心、精神、思考)」もしくは「mindset(信念、心構え)」などの訳がなされます。キリストの持っておられる「心の方向性」や「その姿勢」を示すものです。
それは神の前に自分を低くして、隣人の救いのために仕える心です。6-8節に、キリストのmindの中心的な内容が記されています。
6節 キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、
7節 ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、8節 自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。
イエス様は、自分を低くするへりくだりの姿勢、愛のゆえに自分を低くする姿勢を持っておられました。具体的にどのようなものか、整理してみましょう。
第一に、神と等しいご性質の方、神ご自身であると言って良いお方なのに、神としてあり方を捨てられないとは考えなかったのです。神という立場に固執する必要はないと考えられたのです。そのように考えて、人のためにご自分を「空しくして」、つまり「空っぽに」して人間となり、その中でも「しもべ」の姿を選ばれました。ご自分を「からっぽ」「無」にしたのです。人を愛するゆえに。立場も身分も栄光をゼロになることを引き受けられました。私たちの一致のためのモデル、キリスト者のモデルはここにあると言うのです。3節にあるように「へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい」とあった通りです。
イエス様は、私たちを尊い救うべき存在だと思ってくださったので、ご自分のいのちを捨てられたのです。もし、ご自分を人より圧倒的に価値が高いと考えるならば、より価値の低い人間のために死ぬことはおかしいこととなります。でも、イエス様は、私たちを尊び、いのちを捨ててまで救う価値があると考えてくださったのです。ご自分をそれだけ低くされたということなのです。人への深い愛に感謝します。
第二に、イエス様は正しいお方なのに十字架の死にまで従われました。イエス様は人になっただけでなく、その中でも低くなられ、十字架刑で罰せられる道さえ受け入れました。十字架刑は、立場のある人が処せられる刑ではありませんでした。地位の低い者であり、かつ極悪な罪を犯した者のための見せしめの拷問刑でした。
それは、肉体的に苦しいだけでなく、ひどい侮辱、屈辱を甘んじて引き受ける行為です。ひどい罪人だとされたのですから。これはあり得ないことです。罪が一つもないだけでなく、むしろ聖さに満ちた方。そして、世界を造られた最も偉大な神様。そのお方が極悪な犯罪者だけが処せられる十字架刑に、自らの意志で従ってくださったのです。その苦しみ引き受けてくださったのです。それは、私たちへの深い愛のゆえです。それによって、十字架による救いのみわざがなされたのです。
私は自分の小さなプライドすら、捨てられない人間です。自分を無視されたり、軽んじられたりすると怒りを覚えてしまうような者です。それこそ妻と結婚する際に、様々な意見の違いを体験しました。その時、神様はこれらのみことばを私に示され、言われました。
9節 それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました。
10節 それは、イエスの名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが膝をかがめ、11節 すべての舌が「イエス・キリストは主です」と告白して、父なる神に栄光を帰するためです。
主イエス様は、世界で最もご自分を低くなさった方なので、父なる神様は圧倒的に高く引き上げてくださいました。この世界にあるすべての被造物が、「イエス・キリストは主です」と告白し、神に栄光が帰されるようにしてくださったのです。神様は、私たちが主のみこころに従って自分を低くするならば、イエス様と同じように、私たちのことをも引き上げてくださいます。人々が私たちを引き下げた分だけ、主は私たちを引き上げてくださいます。いや、それ以上に主が豊かにしてくださるのです。
「You raise me up」(作詞:Brendan Graham 、作曲:Rolf Løvland)という曲があります。日本では、フィギュアスケートの荒川選手が用いて有名になりました。この歌の歌詞は聖書をもとにしていると考えられています。それは、主が私たちを引き上げてくださる、立ち上がらせてくださるという内容です。少し簡単な日本語訳を紹介します。
「あなたが私を引き上げてくださるので、山の上にさえ立てる。あなたが私を引き上げてくださるので、嵐の海の上さえも歩ける。あなたの支えがあるので、私は強くなれる。あなたは私を引き上げてくださる、私が出来ると思う以上に」 私たちは自分で高めなくていい。頑張って自己主張をしなくていいのです。イエス様についていけば十分、それで大丈夫です。主が相応しい時に私たちを引き上げてくださるからです。ですから、イエス様について行きましょう。イエス様のその思い、その姿勢にならいましょう。
引用元聖書
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