東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: ガラテヤ4章1-7節「御子による贖い」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2025/12/07

ガラテヤ4章1-7節「御子による贖い」

 *** 12/7(日)主日礼拝 説教概略 ***

 クリスマスの季節です。皆さんワクワクしているでしょうか。それともやる事が多くてそれどころではないでしょうか。私はどちらかと言うと後者で、まだワクワクの「ワ」ぐらいしか味わえていません。ところが・・・



 一昨日の金曜日、神様から思わぬクリスマス・プレゼントがありました。2人のやんちゃな子どもたちが、「天国に行きたい!」という素直な応答で、イエス様を信じるお祈りをしたのです。そしたまた、同じ日、もう1名、ある学生がイエス様を信じることができたとの知らせを受けました。この学生さんは2週前に私たちの教会の礼拝来られ、青年会にも参加してくれた方です。

 どちらの知らせも、胸躍るワクワクするものでした。クリスマスの季節だからではなく、そこに神の救いの喜びを見る時に、ワクワクするものなのかも知れません。

 今日も、私たちを愛してやまない神様の、素晴らしい救いの知らせについて、全世界のベストセラー聖書から、教えられましょう。

 

1.救いの預言の成就  

 先週は創世記3章からでした。最初の人アダムとエバは神に背いてしまった。けれども、そのすぐ後に、神様は救いの約束を二人に与えてくれたのです!そこには、女性の子孫として生まれるキリストが、悪魔に勝利すると語られていました。そして、この約束が本当になったということを、今日のみことばは語っているのです。まず、1-2節です。1  つまり、こういうことです。相続人は、全財産の持ち主なのに、子どもであるうちは奴隷と何も変わらず、2  父が定めた日までは、後見人や管理人の下にあります。 

これは、キリストによる救いをまだ得ていない人たちの姿。その例えです。特に、直接的には旧約聖書の律法を守ることに必死だったユダヤ人たちの姿です。子どものままでは、お父さんの相続財産を管理できないので、法的権限においては雇われている奴隷や召使いと変わらない状況です。ですから、父親が「財産や管理をお前に任せる!」と言う日までは、後見人や管理人の指導の下にいたのでした。さて、ここで言いたいことは、次のことです。 

この例えと同じように、私たちもキリストによって救われる以前は、神の恵みの相続人として相応しくありませんでした。確かに、神に似せて造られ、神によってこの地に生み出されたという意味では神の子でしたが、相続を受けるに相応しいあるべき神の子の姿を回復していなかったのです。それは、この世の奴隷であったからです。3  同じように私たちも、子どもであったときには、この世のもろもろの霊の下に奴隷となっていました。 ここにある「子どもであったとき」とは、1節の相続を受けられない、奴隷と同じ状態だった時という意味です。これはつまり、罪の奴隷、世の奴隷だった時です。したいと思う善ができず、すべきでない悪をし、後悔し自分を責めるのはそのためです。しかし、先週の創世記の約束がありました。女の子孫が、悪魔の頭を打ち砕くのだと!この約束が言葉の通りに果たされたのです。4  しかし時が満ちて、神はご自分の御子を、女から生まれた者、律法の下にある者として遣わされました。 神様は御子キリストを処女マリアに宿らせ、この地上に生まれさせてくださったのです。今からおよそ二千年のクリスマスです。神の御子ですから、本来は雲に乗って、白く輝しい英雄の姿で来るべきだと、私は思ったものです。聖なる神の御子ですから!なぜ貧しい家に、しかも汚らしいフンまみれの家畜小屋だったのか?と。しかし、それは、私たち心の貧しい者たちのところに、フンより汚ない罪の心を持つ私たちのために、その罪のまっただ中に生まれてくださったということでした。律法を与えた神様が、その律法に従う側になって、つまり、私たちと同じ人間として苦しみを通り、助けてくださったのです。

 

2.尊い犠牲による贖い  

 5節にこうあります。

5  それは、律法の下にある者を贖い出すためであり、私たちが子としての身分を受けるためでした。 

 「贖い出すため」とあります。「贖う」というのは、少し難しい用語ですよね。この用語は、奴隷や捕虜となっている人のために、必要な「身代金」を払って、彼らを買い戻す際に使うことばでした。偽りの父・サタンの下で、罪の奴隷となってボロボロになっていた私たちを、本来のお父さんである神様が、尊い代価を払ってご自分のもとに買い戻してくださる、救ってくださるのでした。人を救うのには代価となる犠牲が必要です。

 例えば、大怪我をして生死の境をさまよう人を救うためには、付きっ切りの治療や看病が必要なように。多大な犠牲が必要です。
第二次世界大戦時、オスカー・シンドラーという人がいました。彼は、元々はナチス党員で、お酒とお金儲けと遊びが大好きな利益追求人間でした。ところが、戦時中にユダヤ人に対する酷い虐待、虐殺を目にしました。それは、赤ちゃんや幼い子どもたちにまで及びました。強制移送され、母子が引き裂かれ、無差別な射殺も行われました。それらを見たシンドラーは耐えられなくなりました。なんとかして彼らを保護しようと思うようになったのです。戦争が終わりに近づいた際、ユダヤ人たちが強制収容所に送られて行くのですが、彼は知っていました。彼らが二度と帰っては来ないことを。そこで彼は勇気を出して決意します。工場をチェコに移転したいので労働者を選抜したい」、という理由を作り、1,200名のユダヤ人を「自分の工場に必要な労働者」としてリストに載せ、救おうとしたのです。これが後に「シンドラーのリスト」と呼ばれるもので、映画のタイトルとしても知られています。

シンドラーのこの行為が知られれば、ナチスへの「反逆罪」です。おそらく死刑でしょう。彼は危険を冒して、財産のすべて投げうってこれを行いましたそのおかげで1200名のユダヤ人が生かされました。生き延びた彼らは「シンドラーの子どもたち」と呼ばれるそうです。シンドラーは確かに財産を失い、貧しくなりましたが、多くの子どもたちを得ました。助けられた者たちは、心からの感謝を込めてシンドラーに手紙と指輪を送りました。指輪は、彼らの金歯を溶かして作ったものでした。何故なら、彼らの財産は皆、ナチスに奪われたからです。シンドラーはその指輪を見て涙を流したと伝えられています。「彼らが生きながらえたなら、それで十分だ」と喜んだそうです。

 神がこのクリスマスに遣わされたイエス・キリストもまた、人を救うために十字架にかけられ、その救いのわざを成し遂げたと知った時、満足し、喜びました。シンドラーは自身のほとんどの財産をかけて、1200人のユダヤ人を救いましたが、神の子イエス様はご自分のいのちという代価、身代金を払って、すべての人を救うみわざをなさったのです。これが贖いです。「身代金」の額は、人質の価値に応じて大きくなるものです。一国のリーダーを救うためには、莫大な身代金が必要でしょう。では、皆さんを救い出すために支払われた身代金はいくらだったのでしょうか。聖なる神の御子のいのちです。罪が一つもない神の子のいのちです。これ以上高価なものはあるでしょうか。それほどにあなたは神様から愛され、大切にされているのです。それほどに、神はあなたを救いたかったのです。

ヨハネ3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは、御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 

 

3.神を「アバ、父」と親しく呼べる神の子  

 キリストを信じた者は、もはや奴隷ではありません。父なる神の素晴らしい相続財産を受け継ぐ「神の子」とされたのです。神がくださる恵みと祝福は永遠です。ですから、永遠のいのちが必要なのです。6-7節に、本当の意味での神の子とされた恵みが語られています。

6 そして、あなたがたが子であるので、神は「アバ、父よ」と叫ぶ御子の御霊を、私たちの心に遣わされました。
7 ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神による相続人です。 

神様は全知全能で、聖なる聖なる偉大なお方です。圧倒的に聖なるお方なので、罪深い私たち人間は、神様をまともに見つめれば瞬時に滅ぶほどでありました。しかし、神様は罪の奴隷であった人間の罪を打ち砕き、真に「神の子」としてくださったのです。

御子イエス様を信じて受け入れる者は、誰でも「神の子ども」とされ、永遠のいのちを得るのです。そして、神の子ですから、神様を「アバ、父」と親しく呼べる者とされたのです。

「アバ」とは、英語で言えば「ダディ」でしょうか。幼い子が親しみを込めて「パパ」と呼ぶ感じです。小さな子が、何の心配もせずお父さんのひざの上に、当たり前のようにやってきて座る。そこは、本当に安全で落ち着く場所。温かい場所。その関係が与えられるのです。それで私たちはこう祈ります。「天のお父様」「天の父なる神様」と。

 全知全能の神を、私たちのお父さんと親しく呼べる関係です。神様が愛する子に、いくらでも恵みと祝福をくださる、そんな恩恵を受ける者とされました。神である方が、私たちのもとに降りて来られ、貧しくなって、いのちまで捨ててくださったからです。最高のクリスマスプレゼント、私たちも心から感謝し、これを喜びましょう。



引用元聖書
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