先週の礼拝にて賛美した応答の賛美曲
「善き力にわれ囲まれ」
について、少しご紹介したいと思います。
この曲は元々はドイツで長年親しまれてきた賛美曲です。
そして、その歌詞の作者はナチス・ドイツに処刑された牧師・神学者であった
ディートリヒ・ボンヘッファー という人でした。
彼はナチス・ドイツに対して信仰をもって戦い、抵抗組織の一員として歩みました。
そのゆえに彼は逮捕され、やがて処刑されてしまうのです。
その処刑から3週間後、ヒトラーは自害、ナチス・ドイツの敗戦が決まりました。
もうあと少し敗戦が早ければ・・・彼は愛する婚約者、家族、友人たちのもとに帰れたのではないかと思うと切なくなります。
この処刑から遡ること、4か月・・・
クリスマスの時に彼は自分の婚約者マリアとその家族らに宛てて手紙を書きました。
その手紙の中にこの詩がありました。
愛する者たちへのメッセージと神への全き信頼が込められた詩でありました。
おそらく苦しみの中にあって、自身の死も覚悟した上で書いたものだと思います。
いくつか訳詞の違いや曲の構成の違いの異なるバージョン、メロディの異なるものがありますが、先日当教会で捧げたものをご紹介します。
1 善き力(原語は複数)に われかこまれ、守りなぐさめられて、
世の悩み 共にわかち、新しい日を望もう。
過ぎた日々の 悩み重く なお、のしかかるときも、
さわぎ立つ 心しずめ、みむねにしたがいゆく。
※サビ
善き力に 守られつつ、来たるべき時を待とう。
夜も朝もいつも神は われらと共にいます。
2 たとい主から 差し出される 杯は苦くても、
恐れず、感謝をこめて、愛する手から受けよう。
輝かせよ、主のともし火、われらの闇の中に。
望みを主の手にゆだね、来たるべき朝を待とう。
※ サビへ
メロディは以下の曲が最も多く歌われているそうです。
ドイツ語での曲は以下のものをご参照ください。
youtubeで視聴する場合はコチラから。
以下の動画はハモリとアコースティックギターの響きが素敵です。
日本語になります。
youtubeで視聴する場合はコチラから。
詩篇121章5-8節
5節 主は あなたを守る方。主は あなたの右手をおおう陰。
6節 昼も日があなたを打つことはなく 夜も月があなたを打つことはない。
7節 主は すべてのわざわいからあなたを守り あなたのたましいを守られる。
8節 主は あなたを行くにも帰るにも 今よりとこしえまでも守られる。
ボンヘッファーは神様の愛の御手のぬくもりをいつも感じていたのではないでしょうか。
1番の詩に「過ぎた日々の 悩み重く なお、のしかかるときも、さわぎ立つ 心しずめ、みむねにしたがいゆく。」とあるように彼の身には想像を絶するほどの苦痛が襲いかかっていたはずです。
それでも昼も夜もともにいてくださり、守ってくださる主の愛の中に安らぎ、獄中の苦しみの中にあっても平安をもって歩んだのであろうと思います。
上記2番の歌詞の中に「たとい主から 差し出される 杯は苦くても、恐れず、感謝をこめて、愛する手から受けよう。」とあります。
杯は、イエス様のゲツセマネの園での祈りを想起させます。
イエス様は十字架の死を前にして、父なる神に祈りました。「できることなら、この杯を私から去らせてください。」と。しかし、祈りの格闘のうちに「しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころをなさってください」とおっしゃり、父なる神の手から与えられる杯を受け取ることを告白しました。
しばしば、私たちも神様から「苦い杯」を差し出される経験をします。
しかし、神様は意味もなく愛する者を苦しめるはずがありません。そこには深い愛のご計画があります。苦い杯を通してしか得られないもの、生まれないものがあるのです。
ボンヘッファーの死は無駄にはなりませんでした。
単なる成功美談ではなく、彼が死に際してさえも神への信仰を貫き、平安のうちに歩み、なお希望を失わず、人々への励ましと慰めさえも配慮していたことを私たちは知り、深い感動と励ましを受けます。
創世記50章20節
あなたがたは私に悪を謀りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました。それは今日のように、多くの人が生かされるためだったのです。
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