*** 3/7(日)主日礼拝 説教概略 ***
トランプのゲームに「大富豪(もしくは大貧民)」というゲームがあります。大富豪はいつも大貧民から、最も強いカードを2枚もらえるので、一度大富豪になると連続して大富豪でいられます。一方大貧民はまさにその逆でなかなか貧民を抜け出せないということがあります。ただし「革命」というルールがあって、カードの強さが逆転し、弱いカードが強くなるルールがあります。これにより一気に大逆転が起こるので面白いわけです。
しかし、この世界の現実はそうそうこんな事はありません。大富豪はずっと大富豪で、貧しい家はそう簡単には逆転できない社会的構造があるように思います。
ところが、今日の聖書個所では「ヨベルの年」というものがあり、こうした社会格差を是正して、ゼロからやり直せるという機会があったことが分かります。大富豪で言えば、一度全員が平民に戻ってやり直せるようなイメージでしょうか。それは「恵みの年」とも呼ばれ、弱い者・貧しい者が負の遺産から解放され「やり直せる機会」でした。私はいつでも「やり直せる」という事がこの世界での希望になると思っています。経済的な話に留まらず、様々な過ちを犯し、大失敗をしても、やり直していく道がある。誰でもキリストのもとに来るなら、不自由な鎖から解き放たれ、新しい人生のスタートを切ることができる。聖書からこの恵みをご一緒に味わって参りたいと思います。
1. ヨベルの年とは?
少し前に「安息年」ついて学びました。サバティカルのもとになったものですが、7年ごとに土地を主のものとしてお返しして土地を休ませ、多くの人に土地の恵みが解放されるものでした。この安息年を7回繰り返し49年目の安息年を過ごした後に、50年目を「ヨベルの年」とすることを神様は定められました。そしてこの年の特徴が10節で語られています。
レビ記25章10節
10節 あなたがたは五十年目を聖別し、国中のすべての住民に解放を宣言する。これはあなたがたのヨベルの年である。あなたがたはそれぞれ自分の所有地に帰り、それぞれ自分の家族のもとに帰る。
安息年が土地の休息に力点が置かれていた一方で、この50年に一度のヨベルの年は、人が様々な重荷から解放され、社会的格差が是正されてやり直しの機会なるという大切な役割がありました。ここに「国中のすべての住民に解放を宣言する。」とあります。それは、借金のために奴隷にされた人々が解放されたり、借金によって奪われた土地が本来の持ち主に返されたりする年でした。 これによって、人々はマイナスとなった財産をゼロに戻し、再出発することが許されたのです。それで、土地を買った者たちは誰であれ、ヨベルの年が来ると元の所有者に返さなければなりませんでした。そこにはそもそも「すべての土地は神様のものである」という確固たる指針があったわけです。少し先ですが、23節を御覧ください。
レビ記25章23節
23節 土地は、買い戻しの権利を放棄して売ってはならない。土地はわたしのものである。あなたがたは、わたしのもとに在住している寄留者だからである。
興味深いことに土地はすべて神様のもので、それを所有している人々も神様の土地に一時的に寄留しているに過ぎないのだという考えです。確かに、私たちは土地を持っていたとしても、その土地自体を生み出してはいません。神様の造られた地球の表面に人間が勝手に線を引いて分け合っているに過ぎないわけです。月は私のもの、太陽は私のものだと言える人はいませんよね。同じように、地球のこの部分は私のものとは本来言えないということです。神様所有のこの土地の権利を今は、私たちが使わせてもらっているという謙虚な考え方につながりますね。この会堂のある土地も「私たちのもの」ではなく、主の土地の一部を恵みのうちに使わせてもらっているのです。
2.社会格差の是正
レビ記25章25-28節
25節 もしあなたの兄弟が落ちぶれて、その所有地を売ったときは、買い戻しの権利のある近親者が来て、兄弟の売ったものを買い戻さなければならない。26節 その人に買い戻しの権利のある親類がいないときは、彼の暮らし向きが良くなり、それを買い戻す余裕ができたなら、27節 売ってからの年数を計算し、なお残る分を買い主に返し、自分の所有地に帰ることができる。28節 もしその人に返す余裕がないなら、その売ったものはヨベルの年まで買い主の手にとどまる。しかし、ヨベルの年にはその手を離れ、彼は自分の所有地に帰ることができる。
誰でも落ちぶれてしまう可能性があり得ます。色んな事情があるでしょう。何らかの事情で不幸にも落ちぶれてしまい困窮し、土地を手放すことになった時に、神様は様々な救済措置を備えておいででした。親類が代わりに買い戻すことができましたし、暮らしが改善して買い戻す余裕が出来たらいつでも買い戻すことが可能とされていました。さらに、それでも無理だった場合でさえ、最後の砦として28節にあるようにヨベルの年まで待てば、自分の元に戻って来たのです。
実はこの「ヨベルの年」の教えは、割と最近でも実践されています。「ジュビリー2000」という運動が西暦2000年に行われました。「ジュビリー」とは「ヨベル」のラテン語版だそうです。2000年をヨベルの年としてアフリカなどの最も貧しい国々の債務を帳消しにするという運動でした。当時のG8と呼ばれる先進国主要8か国がこの運動に協力したとされています。特にイギリスなどは聖書信仰に基づき、積極的に協力したようです。
また、日本でも戦後まもなくの頃にGHQの働きかけで「財閥解体」や「農地改革」がなされました。財閥解体によって資産の一極集中を回避できたことは大きい変化であったでしょう。
農地改革は、まさにヨベルの年の考え方を背景にしていると言えます。それまでは、土地の所有者が圧倒的に有利で、そこで働かせてもらう農民(小作農)は多くの利益を地主に取られて、どんなに働いても豊かになれませんでした。
ところが、この改革によって、一部の人が農地を独占することが出来なくなり、それぞれが自分の田畑を所有して自作農となり、頑張った分だけ自分の収益となる仕組みができました。これによって農家の格差が是正されたわけです。
一部の人が土地や資産を独占しないようにとの聖書の教えが、民主化や貧富の差の是正に影響を与えていると言うことができます。聖書はすごいですね。50年という年数も適切だと感じます。戦後50年に至る前までは格差もそこまでではなかったと思います。しかし、それを過ぎて70年以上になった現在、社会格差はさらに広がっています。
3.解放され、新しい人生へ
さて今日は散々「ヨベルの年」と口にしてきましたが、今更ながらここで、皆さんの緊張と眠気を覚ますために3択クイズをしてみます。
この「ヨベル」とは一体どんな意味だったと思いますか?
①特別なゲストを呼べる祭り ②夜に鳴らすベルのこと ③ラッパの響きのこと
正解は③。元々は「ラッパの響き」を意味するものでした。
9節にあるように第七の月の10日「宥めの日(贖いの日)」に、角笛を吹き鳴らし、ヨベルの年を宣言しました。「宥めの日(贖いの日)」は、イスラエルの民全体で罪を悔い改める日です。ですから、悔い改めの日に角笛を鳴らし、ヨベルの年を宣言するのです。
誰でも自分の罪や過ちを認めて、悔い改めて神に立ち帰るならば、その人はすべての罪とその重荷から解放されて、新しい人生を始めることができるという救いの教えにつながっています。
実にイエス様こそは、新約聖書におけるヨベルなのです。ルカの福音書4章でイエス様はご自身が来られたことが、ヨベルの年の到来であると説き明かされました。18-21節でイザヤ書の朗読をしながら、そこに示されているヨベルの年の実現について明らかにされたのです。
ルカ4章18-21節
18節 「主の霊がわたしの上にある。貧しい人に良い知らせを伝えるため、主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、目の見えない人には目の開かれることを告げ、虐げられている人を自由の身とし、
19節 主の恵みの年を告げるために。」
20節 イエスは巻物を巻き、係りの者に渡して座られた。会堂にいた皆の目はイエスに注がれていた。
21節 イエスは人々に向かって話し始められた。「あなたがたが耳にしたとおり、今日、この聖書のことばが実現しました。」
19節にある「主の恵みの年」とは「ヨベルの年」のことです。それは18節で語られているように、良い知らせであり、捕らわれ人には解放を、目の見えない人は目が開かれ、虐げられている者が自由にされる。解放され、新しい人生へと踏み出していける「主の恵みの年」の到来であると。
その意味はどのようなものでしょうか。私たちは神様に様々な負債を負っています。その負い目をお赦しくださいと主の祈りでは祈ります。負い目との部分は「罪」と同じ意味ですが、まさに日々多くの自分勝手な罪を犯しており、それを清算できなければ私たちの行きつく先は滅びでしょう。しかし、主イエス様はそれを帳消しにするために十字架にかかられました。ですから、イエス・キリストこそは現代の「ヨベル」なのです。そして、イエス様を信じて受け入れた時こそ、あなたにとっての「ヨベルの年」の到来です。
Ⅱコリ5章17節
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
聖書が言うように、キリストにおいて罪と死の呪縛から解放され、キリストにある全く新しい人生へと歩み出すことができるのです。
Daniel RecheによるPixabayからの画像