東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: Ⅰテサロニケ1章5-7節「聖霊の助けのうちに」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2021/03/24

Ⅰテサロニケ1章5-7節「聖霊の助けのうちに」

*** 3/24(水)祈祷会 説教概略 ***

テサロニケ人への手紙第一1章5-7節 

「聖霊の助けのうちに」


 先週よりテサロニケ人への手紙から学んでいます。

 テサロニケはギリシア北部の港町で、パウロたちが第二回目の伝道旅行の折に3週間滞在して宣教した地域でした。本当はもう少し長く滞在したかったのですが、ユダヤ人たちの妨害、暴動が起こり、止む無く南のアテネへ移って来たのです。

 アテネにいる頃、パウロはテモテをテサロニケに派遣し様子を見に行かせました。
迫害などがあっても彼らは信仰豊かに愛のわざに励んでいることを知り、とても喜んだのでした。

 そして、パウロはコリントの町に移動してきてから、テサロニケの兄姉たちへ手紙を書きました。彼らの状況や課題をテモテから聞いて、必要な教えや励ましを記したのです。
それがこの手紙です。

パウロはテサロニケで救われたばかりの赤ちゃんクリスチャンたちに励ましと真理を伝えようとしています。


聖霊によって福音を伝える

 
本日の5節からのところでは、パウロたちがテサロニケの人々に伝えた福音のことについて理解を深めようと確認しています。

5節では福音を伝える側、語る側のことが語られています。

Ⅰテサロニケ1章5節
私たちの福音は、ことばだけでなく、力と聖霊と強い確信を伴って、あなたがたの間に届いたからです。あなたがたのところで、私たちがあなたがたのためにどのように行動していたかは、あなたがたが知っているとおりです

パウロたちはどのようにして福音を伝える働きをしたのでしょうか。

ここで一番のポイントは「ことばだけでなく」ということです。
私たちは神様がくださったことばを用いて救いの良き知らせ、福音を伝えます。それは間違いありません。できる限りのことばを尽くして説き明かします。

ところが福音が人の魂に届くためには、実はことばだけでは不可能なのです。

では、何が必要なのでしょうか?
「力と聖霊と強い確信を伴って」届けられたことがわかります。また、後半にはパウロたちがどのように「行動していたか」についても言及されています。

特に聖霊が働いてくださることが必要不可欠なのです。力と強い確信をも伴ってと語られていますが、その力はどこから来るでしょうか?力は人力ではなく、上からのもの。聖霊が与えてくださるものです(後に触れる使徒1:8を参照)。強い確信を私たちのうちにもたらしてくれるのも、やはり聖霊ですよね。

「行動」については、口先だけで愛することをせず・・・と聖書が言うように、言行一致がなければ、人の心に届かないということです。ただし、言行一致、何よりみことばと生活が一致していくためには、まさに主の「真理の御霊」の助けが必要不可欠です。



聖霊によって受け入れる

 
 そして6節では、今度は福音を受け取る側、受け入れる側のことが語られます。

Ⅰテサロニケ1章6節
あなたがたも、多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、私たちに、そして主に倣う者になりました。

 ここまで読むと、伝える側と受け取る側の両方に共通していることがはっきりします。

 何でしょうか?

 聖霊の働きです。

 多くの苦難がある中ですので、福音を受け入れて信じるのも簡単ではなかった状況です。ハンディキャップがあったと言えます。

 しかし、それにも関わらず「喜びをもって」みことばを受け入れることができたのは、人の力ではないのです。まさに神業です!神様が働かれたゆえです。

 神の聖霊によって喜びのうちにみことばを受け入れることができ、受け入れて終わりではなく、最後にあるように「主に倣う者となった」のです。主イエス様に従う者へと変えられていったのです。

 この事実こそ聖霊がその人のうちに働かれ、救いを賜った証拠なのです。

さらに7節まで味わうと、主に倣う者として「マケドニアとアカイアにいるすべての信者の模範」にまでなったと言うのです。

すごく不思議なことです。本当に不思議です。
なぜなら、彼らは決して恵まれた環境ではなかったからです。
それなのに信者の模範になるほどに成長するというのは考え難いことです。

第一に、テサロニケで信じたクリスチャンに対しては「迫害」が起こっていました。ユダヤ人たちが妬みにかられ、邪魔して暴動を起こす人々がいました。この厳しい状況では離れていく人がいてもおかしなかったはずです。

第二に、テサロニケの人々はパウロたちからじっくりと教えていただける機会が多くはなかったのです。今話した暴動、妨げのゆえに、わずか3週間程度しかパウロたちはそこに滞在できませんでした。テサロニケのクリスチャンからしたら、信じたばかりで不安なのに、じっくり教え導いてくれる人が3週間で去ってしまったあとは自分たちで聖書を学び、互いに励まし合って歩んでいました。 

人間的に考えれば、彼らはクリスチャンとして歩んで行くには、非常に不利な状況にあったと言えます。ところがどうでしょう。彼らは他の「信者の模範」となったというのです。

 では、なぜ、こんなに不利な状況で彼らは模範とされるほどのキリスト者として喜びをもって、輝いて歩めたのでしょうか。

 それは、ことばだけで伝えられた福音ではなく、神の御霊によって伝えられ、神の御霊によって受け入れられ、神の御霊によって強い確信となり、主イエス様に心から従う歩みが始められたからです。 

信仰は、人の信じる力ではなく、神の助けにより頼む、聖霊によって導かれて歩むことでイキイキと輝くのです。



聖霊の働き

 では、それらの根拠としていくつかのみことばを開いて確認しましょう。

1.信じる罪人を新生させる

(Ⅰコリ 12:3) ですから、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも「イエスは、のろわれよ」と言うことはなく、また、聖霊によるのでなければ、だれも「イエスは主です」と言うことはできません。

 イエスは私の救い主、私の主です!という真の告白は、聖霊の助けなしにはできないことだと語ります。イエス様を信じたのならば、告白できたのならば、それは聖霊が働かれている証拠です。

(テトス 3:5) 神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみによって、聖霊による再生と刷新の洗いをもって、私たちを救ってくださいました。

 「行い」によって救われるのではなく、信じようと踏み出す時に働かれる主の御霊によって救われます。これが神の恵みです。聖霊が私たちをキリストにあって新しくしてくださいます。再生と刷新の洗いとあるように新しく生まれさせてくださるのです(新生)。

 

2.真理に導き、すべてを教えてくださる

(ヨハ 16:13) しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導いてくださいます。 

 御霊はすべての真理に導かれます。出来事の表面、上辺を見るのは肉眼。しかし、その奥にある真理を見抜き気づかせてくださるのは聖霊です。

 (ヨハ 14:26) しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。  

 聖霊は「助け主」とも呼ばれており、ここではイエス様の教えについてよくわかるように教えてくださるとあります。また、必要な時にみことばを思い起こさせ、励まし導いてくださいます。 ふさわしい時に思い起こせる恵みです。「こんな時には、こんなみことば」というアンチョコがなくても、よりふさわしくみことばが示されます。心強いですね。みことばを蓄える必要もありますが、聖霊の助けをいただきながら歩むと、このような機会が増えてまいります。

 

3.キリストの栄光を現す

(ヨハネ16:14) 御霊はわたしの栄光を現されます。わたしのものを受けて、あなたがたに伝えてくださるのです。 

聖霊に導かれると自分の栄光を現す生き方から、イエス様の栄光を現す歩みへと変えられて行く。

 

4.キリストを証しする(伝える)力をくださる

(使徒1:8) しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。

 

5.主イエス様の姿へと変えられていく

(Ⅱコリ3:18) 私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。 

 聖霊は私たちを内側から造り変えてくださいます。イエス様の姿へと日々変えられていきます。イエス様になることはできませんが、イエス様に限りなく似た者へと変えられていきます。



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