東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: Ⅱサムエル記20章1-26節「身近な人間関係に悩むとき」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2021/02/03

Ⅱサムエル記20章1-26節「身近な人間関係に悩むとき」

*** 2/3(水)祈祷会 説教概略 ***
 
 私たちの悩み、苦しみの多くは身近な人との関係に由来するものです。あまり関係の深くない人との間ではそれほど悩みません。しかし身近な人ほど衝突したり、傷ついたりするものです。ダビデの生涯を考えても、彼の悩み苦しみの原因の多くが身近な人間関係だったことがわかります。

 この20章ではダビデの失政が隠さず語られています。


 最初に3節に触れますが、3節ではダビデがエルサレムに残した10人の側室のことが出ています。ダビデが自分の兵士から妻を取り上げ、兵士の命までも奪ってしまった罪がありましたが、その罪の報いのゆえに、自分の息子によって自分の妻たちが奪われるという出来事が起こりました。そして、アブサロムから彼女たちを取り戻したものの、関係が元に戻ることはなかったということです。彼女たちはダビデ王家の欲望と王権争いの犠牲者と言えます。

 やはり主のみこころから離れた歩みは、多くの悲惨な傷跡を残すことを示しています。主イエス様はカナでの結婚式で最初の奇跡を行ない、結婚を祝福されました。私たちも主が定めた1:1の結婚を尊び、自分の伴侶との良いコミュニケーションを継続したいものです。

 さて、1節を読むと、アブサロムに続いて、シェバという人物も反乱を起こしていることが分かります。

1.感情の問題の難しさ 

1節 たまたまそこに、よこしまな者で、名をシェバという者がいた。彼はベニヤミン人ビクリの息子であった。彼は角笛を吹き鳴らして言った。「ダビデのうちには、われわれのための割り当て地はない。エッサイの子のうちには、われわれのためのゆずりの地はない。イスラエルよ、それぞれ自分の天幕に帰れ。」 

非常に混乱していた時代であることがわかります。アブサロムの件が終わって落ち着くかと見えた矢先、ベニヤミン人シェバも反旗を翻しダビデを批判しました。誰もそれに追従しなければ良かったのですが、残念ながら人々はまたこういう惑わしに流されてしまいます。 

2節 すべてのイスラエルの人々は、ダビデから離れ、ビクリの子シェバに従って行った。しかし、ユダの人々はヨルダン川からエルサレムまで、自分たちの王につき従って行った。

神を見失い、目に見える人間の力関係、有利不利に惑わされていく人々の節操のない歩みに言葉を失います。実にソロモン王の時代を経てイスラエルは北と南に分裂していきますが、すでにこの頃に対立関係は生まれていたことが分かりますね。主のことばではなく、一部の声の大きい者に左右される時、分裂や対立が起こりかねません

これに対して、ダビデは4-5節で新しい将軍のアマサに兵の招集を頼み、戦いの準備をしようとします。

4節 王はアマサに言った。「私のために、ユダの人々を三日のうちに召集し、あなたも、ここに帰って来なさい。」5節 アマサは、ユダの人々を召集するために出て行ったが、指定された期限に間に合わなかった。 

アマサはこれに従うのですが、結果は5節にある通りです。思うようにできず、期限に間に合いません。それもそのはずです。アマサは長らく将軍をしてきたヨアブに代わって急に立てられた将軍です。少し前まで、敵軍アブサロムの将軍だった人です。ユダ部族の者たちが素直に従うことは感情的に難しかったと言えます。なんだかんだ、人間はどこまで行っても「感情的な存在」であると思わされます。理性だけでは成り立ちません。この場合も王がアマサを任命したことはユダの人々も分かっていたはずです。でも、気持ちがすぐにはついて来ないのです。 

牧師としても考えさせられます。良いビジョンさえあれば人が動くわけでもありません。牧師という立場が人を動かすのでもないのです。役員やリーダー、教師だから、上司だから、総理大臣だからという立場ではありません。人の心が動かされることは簡単ではないのですよね。信頼やこれまでの関係の方が大きいでしょう。 何よりも、主が働かれることなしには、人の感情は私たちの手ではどうにもできないものです。


2.プライドが傷つけられ  ~アマサの暗殺~

結局アマサは人を集められず、ダビデは古くからいる人物、ヨアブの兄弟アビシャイに頼みます。ヨアブに頼めなかったのは彼を更迭していたからです。しかし、アビシャイはヨアブの弟ですから、結果として、ヨアブが再び勢力を盛り返すきっかけになってしまいます。アビシャイとともにヨアブたちがシェバ討伐へと向かうことになるのです。

しかも、その折にヨアブとアマサという新旧二人の将軍が、ギブオンで顔を合わせることになります。そのどさくさに紛れて、ヨアブは新将軍アマサの暗殺をしてしまうのです。

8-10にその様子が記されています。 

8節 彼らがギブオンにある大きな石のそばに来たとき、アマサが彼らの前にやって来た。ヨアブは自分のよろいを身に着け、さやに収めた剣を腰の上に帯で結び付けていた。彼が進み出ると、剣が落ちた。
9節 ヨアブはアマサに「兄弟、おまえは無事か」と言って、アマサに口づけしようとして、右手でアマサのひげをつかんだ。 
10節 アマサはヨアブの手にある剣に気をつけていなかった。ヨアブは彼の下腹を突いた。それで、はらわたが地面に流れ出た。この一突きでアマサは死んだ。ヨアブとその兄弟アビシャイは、ビクリの子シェバの後を追った。 

 イスカリオテ・ユダが口づけでイエス様を裏切りましたが、ヨアブもアマサに友好の口づけをするふりをして、殺害してしまいました。ヨアブとしては、敵軍の指導者だったアマサが、ダビデ軍の将軍として戦った自分より優遇されたことに到底納得ができなかったのでしょう。ヨアブは将軍職を奪われ恨んでいたのです。ここでも理性ではなく感情です。

 特にヨアブには長くダビデ王家を支えてきたベテランとの自負、プライドがあったはずです。それを後から来たものに奪われる形です。このプライドが傷つけられた屈辱、居場所を奪われた怒りがアマサ殺害へと彼を駆り立てたのでしょう

 日曜にともに語られたように、偉大だと思われたい者こそ、一番年若い者のようになって仕えることの大切さを、この姿からも教えられます。同時に人の感情を軽んじ、追い詰めてはいけないとも思わされます。ヨアブ自身の問題が大きかったのですが、ダビデにも責任がありました。


3.反乱の鎮圧  ~神の守り~

こうしてヨアブが中心になり、ビクリの子シェバ討伐が進められます。そしてアベル・ベテ・マアカという町が決戦の場となります(14-15節)。しかし、そこに知恵のある女性が登場し、ヨアブと交渉を始めました。この町ごと攻撃されては、多くの人が犠牲になります。彼女はシェバの首を提供すれば、それだけでよいというヨアブのことばを聞いて、知恵を用いてそのようにしました。

22節 この女は知恵を用いて、民全員のところに行った。それで彼らはビクリの子シェバの首をはね、それをヨアブのもとに投げた。ヨアブは角笛を吹き鳴らし、人々は町から散って行き、それぞれ自分の天幕に帰った。ヨアブはエルサレムの王のところに戻った。  

なんとも血なまぐさい話の連続ですが、こうしてひとたびダビデ王家の王権が安定を取り戻していきます。しかも、一度は将軍職を失ったヨアブによって反乱軍が鎮圧されてしまうわけです。

ヨアブは味方の将軍暗殺の大罪もあり、同時に反乱軍鎮圧の功績もありました。

彼に対するジャッジは非常に難しかったことでしょう。

ダビデは少なくともこの時にヨアブの問題を対処することをしなかったようです。

ただ、ソロモンに引き継がれる際に、主からいただいた知恵を持つソロモンにこの件をゆだね、ヨアブの罪を取り扱うように告げ「彼の白髪頭を安らかによみに下らせてはならない」と伝えています(Ⅰ列王記2:5-6)。

 こうして第Ⅱサムエル記を学んできましたが、私たちの悩みのほとんどは人間関係であることを改めて痛感します。ダビデの失敗もほとんどが人間関係でした。

女性問題、隠ぺいのための殺人、妻たちとの問題、子どもたちとの問題、人々の裏切り・寝返り・手のひら返し、部下・家臣たちとの問題。それ以外でも、多くの人間関係の中でダビデは失敗し、また悩み・葛藤してきたのです。

それでも、ダビデの王権が揺るがず祝福された一番の理由は、人によらず神により頼んだからです。それ以外にありません。失敗しても悔い改め立ち返り、主の助け、主の知恵を仰いだのです。そして神により頼むとき、この難しい人間関係にも光が当てられ、主の知恵をいただいて破れを繕っていただけるのです。

 しばしばダビデは人々の感情を上手に扱うことができませんでした。アブサロム、ヨアブの件はそれが顕著です。しかし、失敗しながらも主に拠り頼みました。そのようにして、アブサロムの反乱も収束し、非常に難しい存在であったヨアブも、ダビデを支える者として用いられてきたことは、驚くべき神様のみわざです。

 人を支配などできません。人の気持ち、感情を変えることも非常に難しいのです。
しかし、主がおられます。私たちにはどうすることもできない問題も、神様の御手の中にあるのです。

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