序. 自制心を養う
自制心を養うことは、子どもの自立において大切なテーマです。
私たち大人においても自己管理、自制ができているかと問われれば、「う~ん」と答えに窮してしまうのではないでしょうか。しかし、カンペキではないにしても、大切なことを大切にすることができ、仕事や家事のなすべきことをなして、バランス良く余暇も楽しんでいる人もたくさんいらっしゃるでしょう。
やりたい事だけをする、欲しいものをひたすら求める・・・それは滅びへの道であると聖書は教えています。現代は特にスマホ、ゲーム、オンライン依存の課題が小さくありませんね。
WHOは2019年にゲームのやり過ぎで日常生活が困難になる「ゲーム障害」を国際疾病として正式に認定しています。まして、最近はコロナウイルス蔓延下で、一気にオンライン化が進んでいます。生徒にi-Padを支給する学校も少なくありません。Stay Homeと相まって、必要以上に映像、SNS、ゲームに依存的になる人が増えていることも確かです。
ただし、SNSや映像、ゲーム自体が単純に悪だということではありません。それらはストレス緩和や有益なコンテンツを受けられるといったメリットもあります。あるいは、友達とのつながりを得られ、会話のタネになることもあります。この状況下で非常に助けられた現実を否定できません。
ですから、子どもたちからスマホやゲーム機を取り上げれば解決するという話ではありません。そこには必要なもの、良いものも多くあり、無理に取り上げれば、子どもたちを社会から切り離す原因にもなりかねません。
では、何が問題で、どのように対峙すれば子どもたちを守れるのでしょうか?
目指すべきところは・・・
子どもたちがそれらに支配されるのではなく、それらを健全に管理できるようになること。自制心を養い、自己管理ができる人に育てていくこと。
これが子育ての目標である「自立」ということにも繋がります。
1. 依存症の問題
特に日常生活に支障をきたすほど何かに依存してしまう症状を「依存症」と呼びます。日常生活に支障をきたすとは、例えば、昼夜逆転、仕事や課題、宿題ができなくなってしまう、生活費に支障をきたすほど趣味等にお金をつぎ込んでしまう、食事・お風呂といった基本的なことをしなくなるほど没頭してしまうなどです。
ギャンブル依存、アルコール依存、薬物依存などはよく知られている典型ですね。
そして現代は特に、SNS、ゲーム、スマホへの依存性が高いと言えます。なぜなら、それを作った人たちはいかに人々がハマるかを考え、徹底的に研究しているからです。彼らはすぐに飽きてしまうものを作っても儲けられず、生活ができませんから彼らとしては面白いもの、依存度の高いものを作るのは当然のことです。
ただ、依存症になるかどうかに彼らの責任を問うことは難しいのです。彼らは何ら強制もしておらず、利用している本人たちが勝手にハマっていくという現実があるからです。
そして、依存的になってしまった結果、生活が破綻してしまう例はあまりにも多いと言わざるを得ません。何より子どもたちは私たち大人よりも、その部分では弱く未熟であり、その危険度も理解していません。ですから、親である私たちがそのことを丁寧に教え、一緒に考え、時間をかけて訓練していくことが大切です。聖書には次のようなみことばがあり、はっとさせられます。
箴言21章25-26節
怠け者の欲望はその身を殺す。その手が、働くことを拒むからだ。この者は一日中、自分の欲望に明け暮れる。しかし、正しい人は人に与えて惜しまない。
ですから、依存性がそもそも高いものであることを親として認識し、管理もしくは管理の手伝いをする必要があるでしょう。
それどころか、むしろルールや約束を守れる人に育てる機会、自分の欲望を自制する力を育てる機会として考えることもできます。大人でも様々な依存症で苦しむ人が多い中、そういった管理や自制の方法を学んでおくことは大変有益です。
まずは、親との「約束」としてそれを信頼関係の中で守ることを訓練していくとよいでしょう。ここでは単なる「命令」とせず、「約束」とすることで本人の意識が変わります。
例えば、以下のようなルールを一緒に考えたらどうでしょうか。
・1日1時間以内、友だちや兄弟で一緒なら2時間まで等のルール。
何かを頑張ったごほうびに少し長い時間ということもあるでしょう。
・ゲーム、オンライン映像はリビングでのみ利用、自分の部屋には持ち込まない。
・宿題ややるべき事をしなければできない!禁止になる!
例えば、礼拝もお手伝いもしないの遊びはOK!というのはおかしい。
こうした娯楽は、やるべきことをきちんとした人のリフレッシュ時間、ご褒美でもある。
・夜〇時以降はゲームやスマホは触れない等(生活に支障が出る。睡眠障害、昼夜逆転)
2.信頼し、自己管理力を養う
見張り機能の課題:最近のゲーム機、スマホには親が利用時間を把握できるものがあります。あるいは制限を設けることも可能でしょう。それも一つの方法ですが「疑われている」「監視されている」と子どもに思われないように注意が必要です。
疑われ、強制される場合、その時だけは従えます。
でも、自分で自分を正しく治める自制の心は育ちません。
確かに誰でもルールは破り得ます。わが家でも何度もありました。
それでも「信じていること」を伝えるべきなのです。
信じているから、その信頼を裏切ってはならないと教え続けます。
破った時には「とても悲しい」と伝え、あらかじめ決めておいた罰則を適用しましょう。
それでも諦めずに続けようと励ましましょう。
監視されているから頑張るのではなく、人との約束を守る、信頼や愛を裏切らないためにという成長に役立つ視点で関わりたいものです。
最初から疑われていると、子どもはやる気を失う。信頼関係を失えば、指導も意味をなさない。
失敗を繰り返しながら、大切なことは何か?ということを子どもたちが少しずつでも学んでいけるよう願います。
そして「自制」とは、聖書において「御霊の実」の一つとされています。それは生来備わっているものではないことを意味します。性格により多少の差はあります。でも、誰もが課題として持っているのです。それゆえに、神様に祈りながら一緒に成長して「自制」の実を実らせていただくものだということです。(ガラ5:23)
そして、ぜひ第一にものを第一に。優先順位を正しく守ることで生活すべてのバランスが守られることを学び、実践していきましょう。
マタイ6章33節
まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。
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