先日の日曜日の礼拝ではマルコの福音書1章40-45節のみことばが語られました。
私自身もみことばを個人的に味わい、思い巡らしながらこの週を過ごしています。
教会歴というものを採用している教会であれば、2/17(水)から受難節(レント)ということで、主の御苦しみを覚えて過ごすということもあるでしょう。当教会ではそこまでレントということを意識してはいませんが、いつでも主イエス様の十字架を見上げる者でありたいと思っています。
特に以下の1節がハイライトであろうと思います。
マルコ1章41節
イエスは深くあわれみ、手を伸ばして彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ」と言われた。
新改訳2017では「ツァラアト」と訳されている病を患った人の話でした。
「ツァラアト」の部分は様々な議論があって「重い皮膚病」と訳される場合もあり、かつては「らい病」と訳されてもいましたが、誤解や偏見の問題もあって現在はヘブル語の音をそのままカタカナで表記にする「ツァラアト」という訳を新改訳は採用しているわけです。
「重い皮膚病」との訳にはわかりやすさという利点がある一方、当時の深刻さが十分に伝わらない可能性もあって難しいところです。当時は「汚れ」という概念と結びつけられ、感染の危険があるために隔離生活を余儀なくされ、まさに偏見もありました。病だけの苦しみではなく、それに付随した精神的な苦痛の方が大きかったのではないかとさえ思うのです。
これを思うと、現代におけるコロナウイルスの問題もいくらか共通する点があるように思います。感染させてしまうゆえに、分離、分断をもたらし、その結果、精神的にも経済的にも、様々な日常生活にも影響を及ぼしています。
コロナウイルスの治療がされれば、それで済むというものではないと誰もがわかっていると思います。ワクチンが行き渡り、特効薬も普及するようになってはじめて終息と言えるのでしょうけれど、それでも実際に生活が元通りになるかと言えば、決してそうではないと思うのです。
家族の葬儀すら思うようにできず、親しい者の死に目にあえず、せっかく合格した大学にも通うことができず・・・中には途中で学びを断念せざるを得ない方もあり、職を失い途方にくれる方があり、有名人もそうでない人も、多くの人が自らの命を絶ち・・・
戻らないものは経済だけではないと痛感します。
だからこそ、またイエス様のことばが心に響くように思います。
イエス様は、これまで人々から隔離され、引き離されていた者に向かって、ご自身から手を伸ばされました。病の当人は、イエス様に触れるなんて決してできず、ただひれ伏して懇願し「お心一つで、私をきよくすることができます」と訴えるしかありませんでした。
本人は贅沢など言えず、この病さえ回復すれば・・・それだけで十分と思ったことでしょう。それだけでも圧倒的な奇跡でありました。
ただ、イエス様は本当に必要なものをご存じなのです。私たちがわからず、求めることさえできないでいる本当の必要を知っておられます。
だから、ご自身の方から手を伸ばして触れてくださいました。
触れることを誰もが敬遠してきたこの人物に向かって・・・
しかも、癒しは手で触れなくても、イエス様はまさにお心一つでできるお方。なぜ、あえて手を伸ばして触れる必要があったのでしょうか・・・
ここに「主の愛」があります。
隔離され続けた、偏見により差別される経験もずっとあったであろうこの人。
孤独で仕方がなかったであろうこの人に、イエス様は病のいやし以上のものをくださったのです(病は治っても、また別の病との戦いがありますよね)。
それが愛でした。ぬくもりでありました。イエス様を信じる者に与えられる「永遠のいのち」でありました。
伸ばされた手には「あなたを見捨てないよ。わたしはあなたを愛しているよ」とのメッセージが込められているのだと思います。
そして、「わたしの心だ。きよくなれ」と主は言われるのです。
私たちは今、物理的な助けも必要ですが、心に対する助けがもっと必要なのではないかと思うのです。「人はパンだけで生きるのではない」との聖書のことばは真実です。
糧だけでは生きられない。
神の愛に満ちたことば、自ら近づき触れてくださる愛が必要です。
慰めが必要です。励ましが必要です。
きよめられるべきは、外側の話ではありません。
差別や偏見に満ち、人を上から目線でさばき、傷つけても他人事で過ごす自己中心。
こうした愛のない、冷たい心こそ、きよめられる必要があります。
ワクチンや特効薬が重要なことは自明の理ですが・・・
それだけでは足りないのではないでしょうか。
心のワクチン、たましいの特効薬がますます大切であると思われます。
主イエス様の愛のこころを受け取り、愛され愛していく歩みをさせていただきたいと切に願います。どうか、キリストの教会が、偉そうに上からきよめを語るのではなく、痛む人々に寄り添い、主のご愛を分かち合っていくものでありますように。