*** 6/16(水)祈祷会 説教概略 ***
Ⅰテサロニケ5章1-11節「光の子として」
「光の子」として歩むというテーマで教えられてまいります。
みことばの光、キリストの光に照らされつつ歩んでいきましょう。
Ⅰテサロニケ5章1-2節
1節 兄弟たち。その時と時期については、あなたがたに書き送る必要はありません。
2節 主の日は、盗人が夜やって来るように来ることを、あなたがた自身よく知っているからです。
再臨される詳細な日時、時期は誰にも分かりません。まるで「盗人が夜やって来るよう来る」と言います。そしてその事実については、テサロニケの兄姉たちもよく知っていたようです。パウロはそれを確認するかのように「書き送る必要性がありません」と前置きしています。実際のところ「終わりの日」の明確な日時はわからなくていいものです。むしろ「わからない方がいい」という主のみこころなのです。
申命記29章29節
隠されていることは、私たちの神、主のものである。しかし現されたことは永遠に私たちと私たちの子孫のものであり、それは私たちがこのみおしえのすべてのことばを行うためである。
神様は全知全能で完全な方ですからミスはありません。うっかり書きそびれた、忘れたということもありません。書いてないことは、意図的に書かせていないのです。それは知らなくていいことであり、知らない方がいいことであり、沈黙することによって伝えられる何かもあるでしょう。ですから、みことばにないことを好奇心から探ろうとしすぎて、推測に推測を重ねてしまうことにも慎みが必要です。
Ⅰテサロニケ5章4-5節
4節 しかし、兄弟たち。あなたがたは暗闇の中にいないので、その日が盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。5節 あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもなのです。私たちは夜の者、闇の者ではありません。
パウロは断言します。あなたがたは暗闇の中にいないので、その日が盗人のように襲うことはありません!と。盗人に襲われるのは真っ暗闇の夜の民である。あなたがたはキリストを信じた「光の子」「昼の子」なので大丈夫だと言うのです。主の日は、深夜に襲ってくる盗人のように来る。だからいつも昼間の光の中に目を覚まして生きているならば、何も心配はない。このように励ましています。もちろんそれは、実際に眠ることなく24時間起きていることを指しているわけではありません。安心してください。
Ⅰテサロニケ5章6-7節
6節 ですから、ほかの者たちのように眠っていないで、目を覚まし、身を慎んでいましょう。7節 眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うのです。
ほかの未信者のように、神を知らない者のように、信仰において眠っている状態になってはいけませんと語られます。しっかりと心を開き、目を開いて、主のおことばから真理のみことばを蓄える者になって欲しいと神様は願っています。
Ⅰテサロニケ5章9-10節
9節 神は私たちが御怒りを受けるようにではなく、主イエス・キリストによる救いを得るように定めてくださったからです。 10節 主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが目を覚ましていても眠っていても、主とともに生きるようになるためです。
主は怒りをもってさばくことを目的になさっていない。むしろそれらによって気づかされ、悔い改めて救いを得て欲しいと願われる。御子イエス様が神の子としてのいのちをもささげて、死んでくださった。それによる恵みは決して「小さくない」のです。いつでも私たちが主と親しく大きな恵みを味わい歩んで行けるように、こんなにも大きな犠牲をささげてくださいました。光の子らしく歩みましょう。