*** 7/14(水)祈祷会 説教概略 ***
ネイティブアメリカンのことわざに、こういうものがあります。
「あなたが生まれて来た時、あなたは泣いていて(オンギャー)、みんなは笑っていたでしょう(誕生の喜び)。あなたが死ぬ時、あなたは笑い(満足)、みんなが泣いてくれる(惜しまれる)人生を送りなさい」
あなたが自分の人生を振り返り、満足して笑顔で去ることができるように。そして、周囲の人々はあなたを慕うがゆえに、別れを心から惜しんで涙してくれる。そんな人生を歩みべきだという教えでしょう。
その通りだと思います。
私たちもキリストの再臨の時、あるいは地上の生涯の終わりの日に、心から自分の歩みを神様に感謝し、満足しながら天の御国へ凱旋したいのです。同時に、あなたとともに歩んでくださった皆さんが、心からあなたとの別離を惜しんでくれるような愛される歩みをぜひさせていただきたいと思いませんか。
しかし、私たちが自己中心的で、自分の利益ばかり追求する歩みをしていては、このような生涯の終え方は難しいことでしょう。自分のために生きる人生では、終わりの時に何も残らないのです。
ですから、私たちは本当の愛に生きる必要があります。パウロは、主と出会い、主の愛を学び、その愛をもって宣教者として歩みました。このテサロニケ人への手紙を読んでいれば、それが伝わってまいります。今日は、この手紙の最後の挨拶の部分となりますが、教えられて参りましょう。
1. 最後まで聖く保たれますように
23節には「パウロの祈り」が語られています。平和の神があなたがたを完全に聖なる者としてくださるようにと。「聖なるものとする」とのことばは「聖別する(聖め別たれる)」と訳せることばです。キリストにあって救われたあなたがたが、この世の波風に流されてしまうのではなく、そこからしっかりと分離され、聖なるものとして取り分けられて歩めようにとの祈りです。
「この世と調子を合わせてはいけません」ともみことばは語っていますが、まさに世の風潮に安易に流されず、聖なる歩みを大切にできるようにとの「とりなしの祈り」です。
世と異なる価値観に歩んでいるからこそ、キリスト者の存在意義があります。実際、キリスト者として歩む時に、人々はその違いに気づき、興味を持つことが多くあります。「何かが違う」と思っていただき、興味を持つ方が起こされるなら嬉しいことです。
Ⅰテサロニケ5章24節
あなたがたを召された方は真実ですから、そのようにしてくださいます。
パウロはこれを信じており、また、それを読者に伝えています。あなたがたは大丈夫ですよ!なぜなら、あなたがたを召し出してくださった方、主は真実な方だから救いの恵みの約束をまっとうされるのだということです。「真実」とはことばと行いの一致。約束を必ず守るということ。主が召された以上、矛盾することはされない。この確信が読者にもたらす励ましとして、どれほど豊かなものでしょうか。
2. 私たちのためにも祈ってください
そして、パウロはテサロニケの兄姉に向かい、謙遜の限りを尽くして友情を示しています。
Ⅰテサロニケ5章25節
兄弟たち、私たちのためにも祈ってください。
謙虚でなければこのお願いはできません。祈って欲しい、祈られなければやっていけない。それは、自分の弱さ、自分の足りなさを自覚している者の姿です。
3. この手紙を読んで聞かせよ
そして結びのあいさつの中で、27節のことばは注目すべきでしょう。
Ⅰテサロニケ5章28節
この手紙をすべての兄弟たちに読んで聞かせるよう、私は主によって堅く命じます。
Ⅰテサロニケ5章28節
私たちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたとともにありますように。