東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: 子育て「子どもと向き合う」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2021/07/13

子育て「子どもと向き合う」

*** 7/13(火)ママ’sカフェ ***

子育て「子どもと向き合う」


 ある方が幼い子どもたちに英語を教える仕事をしています。そこで子どもたちが、我先にと今日あった出来事をワーっと話し始めるそうです。とにかく話を聞いて欲しい。そんな子どもたちであふれていると。

 子どもたちが言うには、テレワークで親が家にいるけれど、仕事に忙しくて「話を聞いてくれない」とのこと。それで、あずけられた先でやたらと自分のことを聞いて欲しくて話すという面があるようです。

 メインの仕事は彼らの話を聞いてあげることではないのですが、それでも最初に一通り聞いてあげないと、パンクしそうな子どもたちの姿に切なくなるとのことです。


 愛には犠牲が必要で、時間も労力もそこにささげる必要があります。しかし、自分のことに忙しく、あるいは向き合うことが怖くて、子どもたちと向き合うことを避けてしまう親も少なくないのが現状だと言えます。

 しかし、聖書には以下のようなことばがあります。

Ⅰヨハネ4章18節
愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。恐れには罰が伴い、恐れる者は、愛において全きものとなっていないのです

 愛と恐れとは反対方向にあります。
 愛は恐れを締め出し、恐れよりも愛が勝つときに、人とより深い絆を築くことが出来るのではないでしょうか。どうしても傷つくことを恐れすぎると、人と良い関係に踏み出すことができません。子育ても同様ではないでしょうか。

確かに、子どもと向き合うのには、時間を取られるだけでなく、メンタル面、体力面でも相当なエネルギーを必要とします。特に、親も子どもが何を考えているのか、何を思っているのか分からないと、子どもと向き合うのが怖くなるのです。

 例えば・・・急に子どもの態度が変化した。ネガティブなオーラを感じるけれど、話してくれない。声をかけても反応なし。そうした事で、自分の子どもとはいえ、わからなくなり、話すのが怖くなる。

 あるいは、踏み込んだらキレられてしまって、それ以上深く入り込めなくなった

 そんなケースも多々あります。

 ただ、そこで逃げないで向き合っていくことが大切です。

 確かに、カウンセラーや学校の先生に頼り任せる道もあります。そしてそれが有効であることも少なからずありますので、背負いすぎる必要はないでしょう。

 でも、親に向き合って欲しいのが子どもです。「逃げて」しまうと、それ自体が子に伝わります肝心な時、自分が苦しいのに親は逃げて向き合ってくれなかった。この愛の飢え渇きの記憶が残ります。

 私自身、グレかけた時が何度かあると思います。母親に向かって「クソババア」と言ったことは一度や二度ではないでしょう。母を傘で殴って家出したこともあります。

 不良たちと犯罪まがいのこともしました。それでも、グレる手前で戻って留まれたのは、母が本気で向き合ってくれたからです。中学時代には体力的には完全に私の方が上。私に向き合うのは怖かったと思います。それでも涙して本気で訴え、叱ってくれたので、愛を感じることができました。

 忘れてはいけないのは、どんなに未熟な親だとしても、その子にとってのお母さんは皆さんしかいないのだということです。 

 これは、どんなプロにも代わりができません。子育ての専門家であろうとも、親に取って代わることはできないのです。

 子どもたちは私たちが思う以上に、親を見ています。どんなに言い訳をしようと、子が一番大変な時、悩んでいる時に、親が向き合ってくれたかどうか。それをよく見ています。たとえ、見捨ててはいないとしても、向き合う気がない姿を発見すれば、子どもたちは親に愛されていないと感じます。

 距離を置き、腫れ物に触るかのごとくにしている親に、子は失望します。

 私たちはしばしば、自分に都合のいい理由を考えて逃げます。自分が傷つきたくないかっらです。仕事は最も都合の良い理由にできるでしょう。私も「少し放っておいてあげた方がいい」と理由をつけて、向き合うことを避けた事がありました。でも、それを子どもたちは「お父さんは忙しいから仕方がないんだ」とも「お父さんなりの愛なんだね!」とも思いません。

 結局、面倒だからでしょ? 口先ばかりで、本当は愛してないんでしょ?
 そんな風に思われるものなのです。

箴言13章24節
むちを控える者は自分の子を憎む者。子を愛する者は努めてこれを懲らしめる。

 むちを控える者は、子を愛していない者・・・ではなく、「憎む者」とさえ語られていることに驚きます。最近の子育てでは、親が子どもにむちを加えること自体を否定的にとらえすぎる傾向もあります。でも、時に親は、体当たりで子どもと向き合い、厳しいむちを加えることも必要です。

 上手に対処できる必要はありません。
 正解を出そうとする必要もありません。
 不器用でもいいのです。

 でも、真剣に子どもたちと向き合ってあげてください。その姿勢が、子どもたちにとって一生の宝になります。叱るべき時には、本気で叱ってむちを控えないようにしてください(暴力という意味ではないですよ)。愛のある厳しさが、その子の心を悪の道から守り、愚かな道から守ります。
 



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